1年近く前は換骨奪胎された日本版MMTなるものを見かけて、まるでトンチンカンなことを記載していたのだが、今日、MMTの理論の中でもJGPこそがその核を成すのであって、革命的ですらあることを垣間見、心が震えた。
このような知的感動を覚えたのは10年振りくらいで、それは多分、佐々木中の『夜戦と永遠』を読んだ時で。
そして私の中では明確にこれらふたつがリンクしている。
つまりだ、我々のありとあらゆる仕事が、新古典派経済学が掲げる生産性という物差しで計られマネジメントされて久しいが、そのようなマネジメント原理主義は単なる歴史の偶然の産物で、真実を生成…[全文を見る]
お話しするにはログインしてください。
Tips:横着して自分に楽な書き方をすると、第三者には「何について」言っているのか分かりにくい文章になるよ。
MMTのことを語る
MMTのことを語る
日本におけるMMT受容は本場とは真逆で右派が牽引していることもあり、先日一悶着があった模様。
いろいろ調べたが、積極財政に至るのにMMTが唯一の理論ではないこと、クルーグマンやスティグリッツも財政投資の必要性について認め始めていたり、フリードマンの株主第一主義に対しても多様なステークホルダーがいるとの見方に変わってきていたりするようなので、MMTにしがみつく必要はないと、ひとまずの結論を得るに至った。
国内においてはとりわけリフレ派からのMMT転向組が胡散臭く(商売のネタ!)、また、仮に国債発行してもどこにどう投資するかこそが肝要であるはずだが、そうした議論が蔑ろにされている感がある。
経済音痴である私には感覚以上の判断がつかないので、とりあえず岩田規久男でも真面目に読んで過ごすこととする。