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id:ken_wood14
差別する自由のことを語る

蓋然性は高くありません。
元の文に戻ると「差別する自由ってものがある」と唱える人に向かって、「その自由に価値はない」と言う事によって新たな理不尽が生まれる蓋然性です。低いです。

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差別する自由のことを語る

それが起こらない「安全性」が100%でなくても構わない事例を出しているのに、
それが起こる「危険性」を見たら99%を割り込むのは当たり前じゃないですか。
「危険性」を減らして「安全性」を増やす、と言う視点に立てば最後の一文は同じ事でしょう。
 
まあそれはともかく、例えばこの議論において、「rcfさんが完全に間違っていて、普通に理解すればいいものを私がレスしなければならなくなった」と言う「根拠無き不利益」を与える危険性は0%ではありませんが、rcfさんはこうしてレスをしてきた。
そうです。「安全性は」100%でなくても構わない、とご自分の行動でrcfさん自ら仰っている。

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差別する自由のことを語る

考えるに「区別」と「差別」の間に線引きはない。
やってる方は「区別」のつもり。
「区別」の中で、その差異に基づくことが理不尽な差異に基づいていたり、代替ルートの用意されていない「区別」を「差別」と呼ぶのではないか。
例えば、「横断歩道を歩いて渡るのに10分かかる人達がいる」とする(実際いる)、「その人達のために信号機は切り替わるのに10分掛けるべき」か。
考えるまでもなくそれは難しい。
この「区別」は車椅子を押す介護者とか、電動カーとか、むしろ車道を行けるようにするタクシーとかの「代替ルート」の存在によって「差別」となることを免れている…[全文を見る]

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差別する自由のことを語る

その意味で
>残り1%の不正確さによって、
根拠無き差別、利害を間違えた差別(あるいは、差別の解消)が
発生することになりますから。
と言う表現は不正確でしょう。「発生しない可能性」がありますから。

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差別する自由のことを語る

いえ、十分です。完璧ではありませんが十分です。
例えば、あなたが道を歩いていて右から悲鳴が聞こえて視線を向けるとしましょう。
あなたはその時、常に歩みを止めますか?止めなければ視界から外れた左から来る人とぶつかる確率が上がるし、足下の蟻を踏みつぶす確率も上がる。
止めますか?では後ろから歩いてきた人があなたにぶつかる可能性がある。
100%を求めるとはそういうことで、それは「不可能です」、それは「何もできない」と言うに等しい。みんな「数十%」で行動してるのです、私も、あなたも。

そして今回の議題に関して言えば、一点重要な条件を見逃してい…[全文を見る]

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差別する自由のことを語る

>その「判断」を「正確」と判断することは
いや、そりゃできます。勿論100%には不可能ですが、80%程なら良く見て聞いて感じて考えれば。
私たちは100%の確証が無ければ何もしないでしょうか。
「判断できるのか」それを他人に問うのは意味のないことです。私達は「正確とは判断できない判断」を元に行動し論述することを日常既にやっているからです。そして一生続けるしかないのです。