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差別のことを語る

(承前)

小集団の中である差別が大集団の中では観測されず、大集団側からは差別問題としてではなく「いじめ」問題として観測されることもあるのとは逆に、小集団の中でむしろ大集団の差別が解消されていると言うこともあって、そういった集団の中に外側から入ってこようとした人が強い差別感情を抱えていてそこを差別主義的にオルグしようとするとかで、その集団から弾かれてしまうとか、そのことを恨んでより差別感情を深化させると言うことは比較的観測されやすいことではないかと思う。
たとえば性差別のあまりない集団の中に性差別を持ち込もうとする人がいるとか。

また、広く観測されるようになった差別は、その構造も深化していることが多く、その解消が観測されることは稀ではあるが、とくに短い期間に麻疹のように広まった差別ならばさほど状況が深化しないまま、ある時期にマイノリティだった人々が例えば経済的優位性を持つなどといった状況の変化を背景に一気に解消されると言うことは起こりえると思う。こういった場合は大集団としてはもう差別なんて状態ではないけど、小集団の中ではあいかわらずあったりとか、あるいは差別者達が自身をむしろマイノリティとしてむしろ差別感情を深化させて行くと言うこともあると思う。

で、広く観測されるようになった差別で、歴史があって深化している差別でも、全体として改善に動いているときは上述二つの現象が同時に起きると思う。
なぜなら差別を解消する小集団が徐々にでも増えて行くと言うことが差別者達にとって後述のような状況に映るということ。「キモカネ」とかってそういうところで性差別への固執から生まれてきたもんだろうって思うし、まぁ未だにオタクへの偏見を叫んでいるような輩は上述二例の後者の現象の中から生まれてきたもんなんだけど、興味深いのはそういった人々が「むしろオタクこそが差別者なんだ」とか差別主義的なオタクとそうでないオタクと同時にいる状況の中極めて荒い「エビデンス」を挙げて悪魔の証明を迫ったりする現象と構造だったりすると思う。