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のことを語る

巷の描画論などでよくある「黒は使うな!だって自然界に黒は存在しない!」みたいのあるけどあれはよくある間違い。
写真を含む具象は自然界の光を映しとったものではない。
何故なら我々が画面に使える色は太陽光のように輝くこともできないし、木炭などで真っ黒にしたものであっても漆黒とまで言えるものではない。
即ち我々が表現できる色には自ずと自然界にある色よりも狭い色を用いることになるし、モノクロ描写などあえて技術的に利用できる色の幅をさらに狭める場合もあるが、にも関わらず我々は極めて多様な自然を描くことが出来る。
なぜそれが出来るのかと言えば、見た自然の中の印象の秩序を用いることが出来る色の範囲の中に再マップするからだ。
さらに言えばこの再マップも、写真のように行なわれるとは限らない。たとえば視界の中で一番明いところを100%の白に、一番暗いところを0%の黒に設定し、そのなかで正確に明暗差をマップするのではなく、印象に残る差異を印象の強度の差で描いて行くと言う形が描画と言う面では自然である。
だから自然界にない色だから使わないのではなく、画面上に作りあげる秩序の中にキレイに乗せられないから使わないのである。
そしてこの画面上に作り上げる秩序の中にキレイに乗せられないと言うのは、もちろんどんな画面でもと言うわけではなく、黒を主体に画面を作れば黒を使わずにはいられないし、白から黒まで様々な有彩色を含めて秩序を作ることが出来るのならば黒を使っても一向に構わないのである。
即ち、上記のような「黒を使うな」論は、黒を使いこなせない人が、たまたま黒を使わないようにすると上手く画面を組み立てられた経験の理由を間違って推測した結果なのだが、もうひとつこれが広く受け入れられやすいのは、(承前) に指摘したような多色の画面の中での白や黒が際立ちやすいために、扱いづらいということもあると思う。