「江戸っ子だってねぇ」
「神田の生まれよ」
江戸⊃神田と知らなかったから、二人目は江戸っ子じゃないんだと思った。そんで、「あ、そっか。まぁいいじゃねえか寿司喰いねえ」って感じなのかなと。でも理屈ではそうだけれども雰囲気からしたらそうじゃないんだろうなというくらいには空気は読めた。そういえば本郷もかねやすまでは江戸の内なんだよ。
お話しするにはログインしてください。
「江戸っ子だってねぇ」
「神田の生まれよ」
江戸⊃神田と知らなかったから、二人目は江戸っ子じゃないんだと思った。そんで、「あ、そっか。まぁいいじゃねえか寿司喰いねえ」って感じなのかなと。でも理屈ではそうだけれども雰囲気からしたらそうじゃないんだろうなというくらいには空気は読めた。そういえば本郷もかねやすまでは江戸の内なんだよ。
物理をいっぱい勉強すれば、たぶんすごい発見をして、自分の名前が単位になる。
結構本気で「でも僕の名前長いからどう省略すれば単位っぽくなるかな」とか中学生まで思ってたよね。
昭和天皇の名前はきんじょう。
ミル・マスカラスの入場曲ということもありポジティブな曲だと思っていた「Sky High」は恋人との別れを歌う悲しい曲だった。
君に愛を与え
アイゲイブユゥラブ
二人の愛は最高だったはず
アイソウトダットウィ ハドゥメイドイッ トゥダトッ
与えるべきものは
アイゲイブユゥオー
全て君に与えた
アイハトゥギブ
なのに、何故二人の愛は終わったのか
ワイディドイッ ハフツストッ
君は空高く吹き飛ばしてしまった
ユウブブロウンイッ オールスカイハ-イ
僕に嘘をついて
バイテリングミィ アラ-イ
何の理由もなく
ウイズアウタ リーズンワ-イ
君は空高く吹き飛ばしてしまった
ユウブブロウンイッオール スカイハ-イ
今はもう、サッカーのオウンゴールとはおじいちゃんが高速を逆走する的な感じですごい勢いで自分のゴールの方に走っていって周りが呆然としてるうちにすこーんと入れちゃうことだ、
という勘違いはしていません。
「○○年度」の年度を、粘土だと思っていた。
子供心にも「イミフ」と思っていた。
「じんじろげ」はお日様の下で書くのははばかられる恥ずかしい毛のこと(ほぼ書いとるがな)
はいさいさんの書いたのをみて「攻めるナ…」と思ったんですけど単なるナンセンスワードだったのかな!
森山加代子「じんじろげ」
いやあん聞いてるだけで恥ずかしい ><; 午後ロー。
キャンベルスープはウォーホルの創作。
「日常性のイメージ」でデザインしたオリジナルかと思った。実物見たとき笑った。
「好事家」と同じころに知った慣用句だと思うけど「好事魔多し」は、「好事家(趣味人?)」はそこにとどまらず「好事魔(マニア?)」になりがちだ、みたいな意味かとなんとなく想像した。どちらも親が友達が使ってるのは聞いたことなかったしなあ。
聖書のタイトルは「聖書」。
まちがいとは言い切れないのかもしれないけど、岩波文庫に入ってる「福音書」は「聖書」とは別の本だと思って読み始めた。
「たいのまこ」は「鯛の真子(卵巣)」。
今でも実はそう思ってる節があるのだけれど。
https://www.kanefuku.co.jp/story/nym23.htm にあるように確かに今は自分でもあまり言わなくなってきたけど。
「たいのまこ」は「メンタイ(朝鮮語でスケトウダラ)の真子」だったってことかなあ…
後楽園ゆうえんちは日本三名園のひとつ。
(遊園地が?と思いながらもそう思っていた。もちろん小石川後楽園のことも知らない。)
私が幼稚園児だった頃、2つ上の姉に、親がしょっちゅう「かきとり、かきとり」と言っていた。
当時の私は「柿取り」と解釈していた。「柿なんてどこにもねーぞ」と思っていた。
私が小学校に入学してから、「漢字書き取り」のことだとわかった。
善光寺と中禅寺湖と中尊寺金色堂と東照宮をすべて混同して「日光の中善寺金色堂に眠り猫がいる」という漠然とした認識を持っていたようだ。さっきまで。
「関白失脚」でした。
私もよく知らなくて、今日歌詞を調べたらはっきりと「仕事のできない俺だけど」とありました!
つうことは、関白宣言のほうも「俺は仕事ができない」でいいんじゃないでしょうか⁉︎
私の勘違いは勘違いじゃなかった!
いやあ結婚は回数が決まっているわけでもないのですから、ご縁があればまたきっと。
関白宣言は「男仕事できてなんぼ、奥さん家庭守って」で私も受け止めてたんですけど、sayさんの子供のころしてた勘違いの方がむしろほんとうなんじゃないかと思い直しました。最初のほうの「できる範囲でかまわないから」の関白らしからぬ実情とも合致するように思ったんです。どうなのでしょう。
各大学のさだまさし研究会などではなにかしらの結論などはでていないのかしら…
一連の流れは追えていませんが、
私は関白宣言の「忘れてくれるな/仕事もできない男に/家庭をまもれる/はずなどないってことを」は、
「仕事ができる男しか家族を養い守れない(だから家のことは頼む)」
というマッチョなメッセージを(強がりで)言っているんだとついさっきまで思ってたんですが、あらためて読むと全体のノリからすると、
「仕事もできないおれが家のことができるわけないじゃないか」
って解釈がしっくりきます。
「家庭をまもる」を「家族を世間から守る(稼ぎ、世間とうまくつきあう)」と解釈してたけど「家庭をきりもりする」(銃後の守り的な?)ってことだったんですかね。
そうか仕事ができないと結婚できないんだなと恐怖した元小学生にとって解釈ががらっと変わるなあ。
角丸派
わりと本気でガリヴァー旅行記の茹で卵論争の引用みたいなものだと。