ところ変われば「普通」は変わる、ということに気付けた時、インターネットやっててよかったなーと思います。
米どころ、或いはお米を食べられたところは道明寺がメジャーなのでは、というのにはなるほど納得。
京都は言わずもがな都ですし、弘前も米どころかつ城下町なので、民草がお米を食べる比率も高かったのかなーと。
まずは長命寺あるいは桜色の桜餅、おいしいやつを探して食べてみます
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ところ変われば「普通」は変わる、ということに気付けた時、インターネットやっててよかったなーと思います。
米どころ、或いはお米を食べられたところは道明寺がメジャーなのでは、というのにはなるほど納得。
京都は言わずもがな都ですし、弘前も米どころかつ城下町なので、民草がお米を食べる比率も高かったのかなーと。
まずは長命寺あるいは桜色の桜餅、おいしいやつを探して食べてみます
>> id:spectre_55さん
なんだろ、向島も亀戸も隅田川べりであったり、運河でつながってるところなので利根川流域ともつながりがあるはずなので、腑に落ちる見解です。住んでいたところがウドとかイモばかりで米麦の二毛作までいまいち想像が及びませんでした。ありがとうございます。
>> id:gustav5
関東圏は米がふんだんになかったから、というよりは。
…利根川の下流とかだと土地が肥沃で水もあり、気候も温暖な為に二毛作が可能で、米と麦がどちらも取れてたんだそうです。
でも、米は年貢に回るので、庶民の日常食としては麦を遣った粉食が比較的盛んで、それが、武蔵野から上州あたりまで広がるうどん料理だったり、「小麦粉を焼いて作る桜餅」だったりに名残りをとどめてるんではないかな?
…というのが俺の見解です。
道明寺の桜餅とか、かなりの年齢まで食べたことがなかったなあ。
あれはあれで綺麗で美味しいけれど、今でも俺が桜餅と言われて思い浮かべる第一候補は、桜の葉の塩漬けとピンク色のもちもちした皮でアンコを巻いたヤツではあります。
たぶん前にも書いたかもしれない。東京の桜餅の一部は白くて、向島の長命寺の門前の店の看板商品でもあるので「長命寺」ということがあります。白いのは小麦粉を使ってるからです。米を使わなかったのか、使えなかったのか定かではありませんが、亀戸の船橋屋のくずもちも小麦粉をつかいます。
いわゆる道明寺の桜餅は米粉です。大和路線だったか近鉄電車に道明寺っていう駅があった気がするのだけど、道明寺桜餅はおそらく大阪由来のはずで、大阪は米取引の場所でもあったので米粉をつかえたのではないか、と。対して江戸はあまりお米をふんだんにつかえないので、小麦粉…[全文を見る]