停年を控えた私が研究室を片づけていると、埃にまみれたSEPAC(※)の文書の山がありました。その古文書をひもとくほどに、20世紀に栄えた宇宙文明の経典の趣があふれ、密林にマヤ文明を発見した感がありました。「すごいことをやったものだ」という思いが、ナット浮遊事件の見方も変えました。というのは、もしその文書に「完成品の取扱中に異物の混入を避けること」と一行書いてあったら、ナットは遠慮しては入らなかったに違いないと思い始めたからです。「そこまでは書かないのが普通です」という言い訳もあるでしょうが、実は、私、そこまでは気が付かなかったのです。
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Tips:スクワットは、回数を急に増やすと膝を痛める。調子を見ながら少しずつやってみよう。
勝手に引用のことを語る
勝手に引用のことを語る
ふれあいが現代社会で特に求められているとはいっても、ふれあいには健全なふれあいと不健全なふれあいがあることを知らねばならない。
不健全なふれあいとは、いわゆるベタつきのことである。相手かまわず自分の生い立ちを語り、現在の苦境を嘆き、人が時間をさいて対応してくれると、いかにも心のふれあいをもったかのように満足する人がいる。なんのことはない。これは“愛情乞食”にすぎぬ。
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ふれあいの原型は母子一体感であるから、こういう人物は母子一体感を求めていることになる。しかし、成長するということは、母子一体感からの脱皮である。脱皮して…[全文を見る]
勝手に引用のことを語る
自己との対話なくして吐き出された言葉は、他人だけでなく、自身をも傷つける“凶器”となる。人間には面倒くさいことはコロリと忘れ、楽なほうへと流れていく性がある。手間のかかる自己内対話が完全に忘れ去られ、“凶器”だけが氾濫する世の中になりはしないかと、心配なのだ。
不毛なつぶやきは自分への“凶器”に変わる(4/4ページ)
/勝手に引用