北島雅孝
お話しするにはログインしてください。
Tips:ルビ記法:[文字(もじ)]の様に書くと文字とふりがなになる。
戦国時代人物しりとりのことを語る
戦国時代人物しりとりのことを語る
藤堂仁右衛門高刑(たかのり)
藤堂高虎の甥。
関ヶ原の合戦にて、自刃した主君・大谷吉継の首を密かに埋める湯浅五助を発見、吉継の首の在処を口外しないと約束を交わして大剛として名高い五助の首を取り、詰問にも答えず約束を守ったことでかえって家康から称賛されたという。
戦国時代人物しりとりのことを語る
筒井左門順国
戦国時代人物しりとりのことを語る
嶋村弾正左衛門盛貫
戦国時代人物しりとりのことを語る
斎藤利政
戦国時代人物しりとりのことを語る
飯尾元連
戦国時代人物しりとりのことを語る
後藤将監基国
戦国時代人物しりとりのことを語る
浦上村宗
戦国時代人物しりとりのことを語る
毛利次郎
戦国時代人物しりとりのことを語る
浦上国秀
戦国時代人物しりとりのことを語る
吉田兼倶
戦国時代人物しりとりのことを語る
下条頼安
戦国時代人物しりとりのことを語る
大道寺太郎
戦国時代人物しりとりのことを語る
三好之虎
戦国時代人物しりとりのことを語る
吉川経基
応仁の乱で東軍として活躍し「まな板吉川」と呼ばれたという。(oppaiの話ではなく傷だらけという意味)
娘が尼子経久の正室で、嫡男国経の娘が毛利元就の正室、孫の元経の継室が元就の妹、曾孫の興経の正室が宍戸元源の娘で、宍戸元源の孫の隆家の正室が元就の娘というややこしい関係。
この人は93歳、国経も89歳まで生きたという怪物親子ですが、元経は60代で父より先に亡くなり、興経は元就に…。
戦国時代人物しりとりのことを語る
増田盛次
関ヶ原合戦で改易後は徳川義直に仕え、大坂冬の陣に徳川方として参戦するも出奔、夏の陣では豊臣方として長宗我部盛親に属し、八尾の戦いで藤堂高虎に仕えていた磯野平三郎(磯野員昌の孫)に討ち取られたという。興味深い経歴の人です。
戦国時代人物しりとりのことを語る
諏訪碧雲斎
戦国時代人物しりとりのことを語る
戸次鑑連
戦国時代人物しりとりのことを語る
鳥居兵庫助景近
戦国時代人物しりとりのことを語る
江見又四郎元続
※三木合戦で羽柴秀長軍を蹴散らした淡河弾正忠定範の甥
/戦国時代人物しりとり