[××に対する個人的イメージ]
新宿がやくざとオカマがいる怖い場所って書きこみをみたんだが、なぜその二つが怖いのかよくわかんなくて、なんだろ、その人がなにをしたかではなく、属性やイメイジで判断してしまうほど怖いことはないと思うのだが、ハイクってそういう脳内の中の景色がさらっと出てしまう点で、ハイクって怖いな、と思う。
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名古屋ハイカー君(さん)、ナナちゃん人形のところへ集まれ!のことを語る
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[元興寺周辺で問わず語り]

○ブラタモリでは元興寺の衰退をさらっとながしていましたが、衰退していく過程で資金繰りに苦しんだようで、周辺の商家に寺に所有物を差し出して融通していてもらっていたようです。ですから、周辺の個人宅には国宝級のものがいくつかある家がある、とおっしゃっていました。

○奈良は商都ではなかったものの麻布製品(奈良さらし)という特産品があり、明治期以降は麻加工の技術を転用して蚊帳生産に乗り出します。廃仏毀釈時には蚊帳のシェアが高かったのでお寺に融通するだけの資金があったそうで。もっともいまとなっては蚊帳はあまり生産されてないらしかったり。布巾なんかは生産されてるようなのですが。麻加工が盛んであった、ってのは今回はじめて知りました。あとその延長線上で、襖地も特産ってのは土地柄かも。また繊維産業とは異なるのですがボタンの生産がけっこうあるらしかったり。
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好きなたこの食べ方のことを語る
たこわさ
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春日大社にテロ警戒の看板あり。不思議ではないが信仰の場所のテロは止してくれないか、と単純に思う
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好きな魚卵のことを語る
辛子明太子(山口油屋福太郎)
好きな詩の一節のことを語る
ものすべて変りゆく音もなく
思索せよ旅に出よただ一人
鈴あらば鈴ならせりん凛と
辻井喬・「新年の手紙」より
よいお年をのことを語る
近所の寺の鐘がなりはじめました。あれが終わるまでは眠りが浅いのですけど横になります。
みなさまよいお年を!
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レベッカのフレンズもけっこう経験にリンクするっていうか、あるあるになっちまうのだけど、口付けをかわした日はママの顔さえもみれなかった、ってやつ。おれが男子校だったせいもあるが。矢が背中に刺さったような、そんな感じ。なんだろ、昔のうたってのは身体にひっかかるというか突き刺さってくるような。
恋するフォーチュンクッキーがわるい、ってわけじゃないけど。ってか、どんどん意味不明なことを云ってるかもしれない
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風呂あがり、テレビをつけたらみわさんで、ヨイトマケのところはきちんと観てしまった。
抱いてもらおうとして、でも学校に帰った、勉強するよと云いながら、ってのが、ううむ、キモなのかなあ。あと子守歌、という点。
カタカナでハグっていうけど、人のぬくもりとかそういうのは原始的な安心感があって、その原始的安心感ってのを経験してると、あのうた、若干、聴いてると揺らぐのではなかろうか。
バールのようなもののことを語る
「庶民感覚」ってなんスか?のことを語る
「1000ポイントで商品券に交換」ってなポイントカードを年内に1000まで貯めることができて、ちょっと嬉しくなる
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でもなんとなくこう、それなりにやり過ごせたのだから、充実した一年だったのだろうか。だったのだろう。そういうことにする。
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だいたいややこしい課題は分解っていうかひも解きさえすればなんとなく手順は判ってくる。でもそのひも解きが難しいこともあるし、ひも解いたところでめんどくささの山であったりすることがある。そのめんどくささの山をみてうげーっとなっちまうこともあるし、まわりの協力を得なくちゃだったり根回しが必要だったり、ってことがある。なにあたりまえのこといってんの?かもしれないけど、根が怠惰な人間なので、けっこうしんどい。頭和げるのは苦ではない。そこに欲しい結果というか成果があるから。でも、なんというか、今年は忙しくてしんどかったなあ、と。しんどさを…[全文を見る]
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忙しくて、しんどくて、濃密な一年だった気が。
お前ら、大晦日どうすんの?のことを語る
さっきまで、勤務先に居ました。
大晦日に働いてる勤労者ハイカー各位のみなさま、そうでないみなさま、おつかれさまでした。
きっと繰り返して話すけどのことを語る
いちねんがはやい
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あいみてののちのこころにくらぶれば昔はものをおもわざりけり、っていうのもテキトーに覚えていたのだが、そのうち色気づいてデートとか行くようになって勝負パンツとかきになりだしたんだけど、昔はパンツのことなんて考えなかったよなあ、ということを思い出した時点で、ああこれだったのかーと、昔機械的に覚えた百人一首が血肉となって、目の前に現れたような気がした。って、以前どこかで書いたかもしれないが。
古典がいまでもそれなりに生きているのは、過去の人の作品の中に、いまでも通じるところがあるからなんだろうな、と。でも平安時代から変わってないんだなあ、恋愛では進化してないんじゃないか、ともいえるかもしれない。




