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id:spectre_55
メモとか思いつきのことを語る

2人の子供さんを育てているセックスワーカーの方が書いてるはてダによると、
仕事柄全身のケアを怠れないので、基礎化粧品代としてものすごい金額が毎月飛んで行くとか…
そして、それだけの金額を費やさないとセックスワークを続けていけないのだ、とも。

id:dadako
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びびったです。
消費税入れると55000円くらい。
世の中金持ち多い。

id:dadako
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しょこたんの件でのブクマコメ、明らかに日々のケアなど何もやっていない(基礎化粧品すらつけてない)自分が書いてて苦笑気味だったのだけど。
もしやスターつけてる方々も近い方々では、と考えるとちょっと笑ってしまった。
それで思い出したんだけど。
同居人がさすがにシミと隈が気になるようになってきたってんで、ドモホルンリンクルのお試しパックを取り寄せて使ってみた。
一回目で効き目がはっきり目に見えて判る(特に隈)のだけど。
「これだけです」ってのの内容と価格は以下。
朝晩20~40分ずつ。朝は4段階、夕は7段階。
二ヶ月で5万強。
……すいません…[全文を見る]

id:dadako
メモとか思いつきのことを語る

よくよく考えるとやっぱりわたしは空気が読めてないんだろうなあ。
「志村!後ろ!後ろ!」みたいなのはよくあるし。読書感想文の件なんかでもそうだけど、空気を読んでるつもりで読み間違えてるというか。
言葉の定義に厳密というか、状況に応じて場を読み取るってのがあまりできない自分を知ってるから、言葉自体に頼ろうとしてるのかもしれない。
以前fuuuuuuunさんが書いてらした「冗談がわからない」ってのはこういうことだろうか。

id:dadako
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phsからかきこるのでなかなかReplyでお返事書けなくてすみません。下書きというかほぼ自分にしか通じないような独り言なので、しょうがないです。
反応いただけるだけでありがたいです。

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×「フェミニスト(笑)」的な精神構造を持つ「女」
○「フェミニスト(笑)」的な言葉を使う精神構造を持つ「女」
だ。
もっと簡単にいうなら、女性版ホモソーシャルを国家原理にした宗教国家。

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なんでフェミニスト(笑)なんてことを考えたかというと、『水晶内制度』の舞台である女人国が、「フェミニスト(笑)」的な精神構造を持つ「女」以外を人間として認めないことになってるから。
ヘテロで性欲を持たない(ことになってる)女しか存在しないってのは、たぶんある種の人々にとっては「常識」なのだろうけれど、それを押しつけられた側が積極的にそれを受け入れかつ自分たちのために徹底的に利用したらどんなにグロテスクな世界になるか。
『家畜人ヤプー』の方が全世界で同じ意識を持ってるだけまだ悲惨でない気がする。

id:dadako
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『水晶内制度』がかなり自分の好きな分野の切り口が多い本で、感想を書くのに困る。人によって取りかかる場所が変わってくる本だろうなあと。
でまたいつものごとくこっちで下書き兼もやもやの吐き出し。
とりあえず忘れない内にメモするが、amazonレビューで5が2、1が1ついて平均3.5になってるんだけど、この1をつけたレビューがこの本に対するある意味最高の評価になってるのがかなり笑えた。
この人ほんとに読めなかったのか読まずに書いたのかわからないんだけど、この人のおそらく叩き目的のレビューはこの小説のめざしたものが達成された格好の証拠になってしまってる。
こういう両極端の評価を受けるものはぱわーがあって、おもしろい。

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ほんとうはスイーツ(笑)と同じように、「フェミニスト」にも(笑)をつけたいんだろうなあ。
それとももうやってるのはいるのか?わたしが見たことないだけで。

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『水晶内制度』を読むきっかけになったのは、ティプトリーの『たおやかな狂える手に』なのだけれど、あの小説が好きなわたしとしては、
映画『ペネロピ』はいろんな意味で気になってしょうがないのだった。
あそこまで、行ってくれるだろうか。

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しかし結局、わたしの中に「そういう部分」があるからこそ、相手が退くような的確な攻撃になってしまうわけで、そのへんの自分の醜さはあるていど自覚している。

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小学三年くらいのとき、出席番号がすぐ次の子がやたらわたしのやることに口を出したり手を出したりしてくるので、すごく嫌になった。
考えたあげく、顔をちゃんと見て小さい声ながら本人には聞こえるようにはっきり
「小さな親切大きなお世話」
と言った。当時CMかなんかでよく見たフレーズだったのね。
彼女はそれ以降ちょっかい出してこなくなった。
非コミュ人生はこの頃には既に始まっていた(-_-;)。

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去年だか一昨年だか、鬱でウツウツかつ(他人から見たら)攻撃的な日記を書いてた頃に「もっとくだらない系のお笑いでも見て楽になれば。たけし軍団みたいな」とほのめかされてがっくりきた事がある。
わたしお笑いは好きでわりかし見る方なんだが、つうのと、鬱の時は笑うこと自体難しいし後からけっこうどっと疲れがくるもんなんだが(それでも一時忘れたくて見る)そんなのわかってないだろ、つーのと、よりによって一番苦手な軍団すすめてくるか、つーので。
吉本とかの大阪方面の上下関係はわりとまだ平気なのだけど、軍団のあの雰囲気はもうできた当初から苦手、というか嫌い。いじめられたりした事あるからダメなのかと思ってたんだけど、もしかしたらあの笑いの質や雰囲気に、昔からホモソーシャルばりばりを感じとってたのかもしれない。

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車椅子関連のところだけ日記に挙げて昔の日記にリンクするかな。それにしても、昔の日記に既に「自閉症児の親も含む」って書いてあるのを見た時には「あらー」と思った。すっかり忘れてた。
思い出していくと擁護施設も身体障害も知的障害も発達障害も、当事者・家族含め、深くではなくても関わった事があるのに、全部ふだんは忘れてるのね。
こどもの時の方が関わる場・関わらざるを得ない(この言い方はアレだが)場があった、ということかもしれないけれども。
今はわたしの活動の場や視野が狭くなってるんだろうな。

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しかしこの話、まとめるべきかどうか迷い始めてきた。
もう10年以上前の話で、状況も多少変わってるだろうしなあ。
大学時代からの友人に介護関係で仕事してる(今は事務だけどその前は長いこと現場だった)のがいるから、そいつに少し聞いてみた方がいいのかもしれないが。

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車椅子を自分たちが作るとか用意するという発想がまずなくて、車椅子がないならどうしたらいいかという発想もなくて、車椅子があっても押す人がいない時は乗ってる当人が自分で動かすなり別の人を呼ぶすべを見につけるなりしなくちゃいけないのに、そこを想像する頭もなくて、
だから、「自分が車椅子を押してる姿」が介護だと思ってるだろ、みたいなことだったと思う。
彼女の息子は当時もう施設で働いてた。

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昔この話をやはり書かずにはいられなくなったことがあり、日記に書いていた。
http://d.hatena.ne.jp/dadako/20050629#1120060468
車椅子云々のところは書かなかったけど。
言葉の使い方、選び方は、わたしが昨夜の「ひとりごと」で怒ってたみたいに難しいところではあるんだけど、発する「場」とか「立場」の問題がかなりあると思うんだよなあ……。

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20代の頃フェミ関連の知人のつながりで自閉症児のお母さん数人とよく一緒にご飯食べたり喋ったりビデオ見たりしてたのだけど(わたしより20歳くらい上の人たち)、その人達も例として車椅子を挙げたことがあったな。
わたしが当時買ってた雑誌に、ある投稿(「自分のことを自閉症っぽいって自閉症でない人が言うと、自閉症に対する誤解が広まるから使うのやめましょう。共生のために」by介護士めざして勉強中)が掲載されて、そのぎまんに非常に怒ったことがあった。まず、その雑誌自体が今でいうBL系のもので、「差別的発言」について語るならまず自身の同性愛者をネタに雑誌作…[全文を見る]

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コミュニケーション不全の人の他人との接触のしかたの一つとして、「物」についての語りってのがあるのかもしれない。
直接自分(の問題)にふれられることは嫌だけれど、あるものに対してどう感じるかを語ったり聞いたりすることによって、自分を語リ、相手を知る、というような。
わたしにとってはそういう接触はきっかけに過ぎなくて、その部分が延々と続く人はまだるっこしい、あるいは「こちらとの関係は必要ない人なのだな」と感じる。

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ああそうか、わたしが「所属されること」に反発するのは、生後すぐにわたしの「所属」先を決められてしまったためなのかもしれない。親がよかれと思ってしたことだったのは疑わないが、形式的にでもよいから、わたしに選ばせてほしかった。そしたらこども達の中である種の思い出を共有できず浮いてしまっても、「わたしが選んだ結果」と納得できたかもしれないのに。
「所属されること」はラク、でも押しつけられたくはない。
他の人ならばあったであろう選択肢が、わたしにはなかった。「所属先」の影響はわたしの中に深く根づいて、脱け出したいのか居続けたいのかももうわからない。
今もどっちつかず。所属先がない、どこにもない。