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美の巨人たちのことを語る
美の巨人たちのことを語る
雪舟は 天橋立側から見た栗田半島の風景を、
左右反転させて、本来見えない場所から描いたこの絵に
描き込んでいる。
天橋立、日本古来の ”神の地” を、まるで神の視点から
描くことを目指したかのように、はるか上空から見た
風景として描いた雪舟。
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雪舟の真筆とされる作品は、二十数点確認されているという。
今日の一枚である国宝 『天橋立図』 を描いた時期は、
そこに描かれた智恩寺の建立時期から推測して、
雪舟 最晩年の82歳の時ではないかという。
そして 『天橋立図』 は、21枚の紙が つぎ合わされており、
それぞれの紙を持ち歩いて描いたスケッチをつぎ合わせた、
下絵なのではないかという。
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今週は雪舟等楊です。 今日の一枚は、国宝 『天橋立図』 。
掛け軸に仕立てられた水墨画。
山々に囲まれた風景、そこに在る寺社などには、なぜか
その名が記されている。
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来週は、雪舟の 『天橋立図』 です。
何年か前、京都であった雪舟展では、たしかその中に 50年ぶりに
展示される国宝とかもあり(←うろ覚え)、身動き取れないほどの混雑だった…。
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トゥールーズ=ロートレックも、浮世絵の影響を受けている。
限られた色と 簡潔な線、 陰影・濃淡をつけずに 広い面を
一様に塗りつぶす。
これらに、強烈に人の目をひく、まさにポスターとしての役割に最適な効果があった。
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今週は アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック。
今日の一枚は 『アンバサドゥールのアリスティド・ブリュアン』 です。
モンマルトルの歌手、アリスティド・ブリュアンの舞台を宣伝するポスター。
今のように情報過多でない時代、さぞや ”ポスターでの宣伝” が
重要であったろう時の、トゥールーズ=ロートレックの色彩豊かな版画。
今、パリのレコード屋でかけてもらったという、ブリュアンのレコードの曲が
流れた。ポスターは見たことがあるが、声を聞いたのは初めてだ。
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外交官としても活躍したというルーベンス。
今日のテーマではないが、17世紀スペインの宮廷画家
ディエゴ・ベラスケスも、宮廷画家としてだけでなく、
宮廷で仕える者として 最高の官位を与えられていたというが、
ベラスケスの死は、その職務が多忙を極めたための
過労死だったという説がある。
成功を手にしたルーベンス、成功はしても 絵画だけに専念
できなかったベラスケス。画家の様々な人生。
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ルーヴル美術館にはルーベンスホールなる ルーベンス専用の
展示スペースがあり、24枚の連作である大作、『マリー・ド・メディシスの生涯』 が。
世界の 多くの名だたる美術館に ルーベンス作品がある。
ルーベンスといえば大画家、ゆえに作品も希少と思われる場合があるが、
当時主流だった 工房での制作をしていたルーベンスは、実際には
非常に作品数が多い。 死んだのちにようやく認められる画家も
多い中、ルーベンスは、生きているうちから もっとも画家としての
成功をおさめたうちの 一人だった。
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今週はルーベンスです。
今日の一枚は 『聖母子と諸聖人』。
ベルギーはアントワープ、ノートルダム大聖堂から歩いて15分の、
聖ヤコブ教会の中にある 画家自身の墓の上に、画家の遺言によって
掛けられた その絵。
宮廷画家として、それ以上の成功を手中におさめたルーベンスは、
”王たちの画家であり、画家たちの王” と言われた。
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ダリには死んだ兄がおり、悲しんだ両親によって 兄と
同じ名をつけられたダリには、『晩鐘』 の二人が、死んだ息子を
思って悲しんでいるように見え、 幼少時、両親が 自分を通して
兄へ 愛情を注いでいるように感じていた その悲しみを、
重ねていたのではないか、と。
そして ゴッホもまた、死んだ兄と同じ名を つけられていた。
そして まるで、サンシエが著書の中で イメージ操作して作り上げた
ミレーのごとき、清貧の暮らしだった。
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絵の二人を カマキリに見立てるなど、突拍子もないように
思える ダリの『晩鐘』解釈。
”死を感じさせるもの” があるとまで言う。
ダリの依頼を聞き入れたルーブル美術館が行ったX線検査で
判明した、塗りつぶされた図形を、ダリは、ここには
もともと棺が描かれていたに違いない、という。
しかし、本当は何が描かれていたのかは 証明されていない。
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”貧しい農民画家” というイメージをもたれがちなミレー。
しかし、友人であり、画家として売り出すためのマネジャー的存在
だったサンシエなる人物が、著書で ミレーの信仰心や
貧しさを強調し、ある種の イメージ操作をしたという。
しかし実際には、教会に行ったのは冠婚葬祭の時くらいで
信仰心もそれ程ではなく、なおかつ 40代以降は絵が売れ、
浮世絵などの収集もできるほどで、決して貧しくはなかったという。
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ゴッホは、『晩鐘』 を 崇拝するほどの気持ちで見つめ、
一方 、『晩鐘』 に不安を覚え、その恐怖は 大人になるまで
続いたというダリ。
それにしても、ダリによる『晩鐘』解釈は、あまりに独自の世界すぎて、
「やはりダリ・・・」 としか言いようのないような・・・。
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今週は ミレーです。 今日の一枚は 『晩鐘』。
バルビゾン派の代表的な画家、ミレー。
そしてそのミレーに多大な影響を受けた、ゴッホとダリ。
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来週は ミレーの 『晩鐘』 です。
そして それに影響を受けた、二人の異才 ダリとゴッホ、
それぞれの異なる 『晩鐘』観 とは。
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様々な国、時代の美術に興味を持ち、研究もしていたクリムト。
東洋美術にも興味を持っていたというが、日本の琳派の
作風の影響も かなり 色濃く見られる。
陰影を表現しない平面的な描き方、装飾、構図、そして黄金色を
用いることなどに その影響は見られる。
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彫金職人の家に生まれたため、金箔を巧みに扱う技術を
持っていたクリムトは、その作品で、金箔の上からも
油絵具で彩色するという特徴があった。
金色を作品に使った画家がまったくいなかった訳ではないが、
これほどまでに 巧みに自作に取り入れ、なおかつ、独自の作品を
生み出した画家は、クリムトをおいて ほかには そういないと言われる。
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若い芸術家らとともにクリムトが結成した ウィーン分離派の合言葉。
『 時代には その時代の芸術を
芸術には 自由を 』
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彫金職人の家に生まれたクリムト。工芸学校で装飾を学ぶ。
のちにデザイン事務所のような仕事を始め、美術史美術館の
内部装飾などの 大きな仕事を請け負うように。
やがて、自分の作風を模索し、肖像画で一般的に使われる
縦長のキャンバスを使わず、あえて正方形のキャンバスを使う。
その余白に、独自の平面的装飾を施すために。