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花うさぎのことを語る
花うさぎのことを語る
みやげものの
貝殻らせん
なかをあるいてみたくて
ながいこと目をこらしてた
鍵のないたから箱を
与えられたような理不尽
花うさぎのことを語る
- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢でさえ、なくていい」3------
おれが六つのとき、すでにあのひとはあの土地で確固たる地位を築いていた。若く、並外れた技量があり、抗いようのない不可思議な魅力があった。だれもが認める美男ではなかったが、あのひとが道を歩くとみなが足をとめて眺めた。昔話の笛吹きのように、こどもはその後を走って追った。おれは追わなかった。あの手がほかの子の頭を撫でるのを遠くに見ていた。
叔父の妻がまずその魅力に篭絡された。おれがはじめて男女の営みを垣間見たのは、あのふたりのそれだった。女優崩れのおば…[全文を見る]
花うさぎのことを語る
朝日とともにおびただしい人を吸い込み
日暮れとともにちいさく吐きつづけて
城は シンデレラの時間に
ようやく闇に堕ちる
そんな満ち曳きのくりかえしのなかで聴こえていたのは
鳴り止まぬビル風だけだったのか
貝殻に耳をあてたら聴こえる あのおと
はじきだされた異物がたどりつくのは いつも水辺だ
あなたは海抜ゼロに立ち
すべてを またはじめられる気がしただろうか
海よ
海底の貝殻よ
おまえが聴いたあのひとの
おとのかたちをおしえてくれないか
花うさぎのことを語る
赤い珊瑚の塊は
心臓に似ていた
心臓が繰り出すおとを
聴き続けたあの夜
もう その諧調も思い出せないけれど
花うさぎのことを語る
- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢でさえ、なくていい」2------
はじめは、毅然としているひとだと思った。じっさい生真面目で堅苦しいところもある。休憩時間以外の無駄話はしない。陳列棚の乱れは誰よりも早く気づきすぐ直す。しかも自宅でたとえひとりでいても、きちんと正座して食事をとる。それを見て、おれはじぶんの身仕舞いのだらしなさ、心得のなさを本気で恥じた。このひとは師匠の御宅に世話になったせいだとこたえたが、それだけとは思えない。だいいち足音をたてずに歩く。いつでも背筋がのびている。忘れ物をしたのを見たことがない…[全文を見る]
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ほのかに光るのを
見覚えのあるそれ
かつて
愛しんだそれを
もういちど
花うさぎのことを語る
夜の海に立つと
不安と安堵が交互に
寄せては返す
その危ういバランスを
サーフしながら
花うさぎのことを語る
花うさぎのことを語る
- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢でさえ、なくていい」1------
長い黒髪が乱れて枕に散っている。見事に波打ったシーツを腹の下に感じ、まさに情事の翌日といった風情なことに、おれはとうとう声を押し殺してわらった。このひとと暮らしはじめて数か月たって、ちかごろようやくこういう姿を見ることができるようになった。つまり、ふだん眠りのとても浅いひとが、おれの隣で安らかに寝息をたてている。いとおしいという感情の熱をおれは長らく忘れていた。いや、知らなかった。
このひとは「仕事」のあと疲れきっているせいか気が昂ぶっている…[全文を見る]
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- ------------- 金魚 ---------------
夏休みに入るかという日差しの下で、4年生の私は絵筆を握っていた。
膝の上の画板に四角い紙があり、そのなかにはさらに四角い緑がある。
ところどころにぼんやりと赤い斑点がなければ、羊羹にでもみえそうだ。
そして、わたしは。
わたしの前にあるものがコンクリ製の人工池であると、
今、この様子を知る人間にしかこの四角の意味がわからないだろう――
ということに、打ちひしがれていた。
どれだけ緑のグラデーションに気を配ろうが、
金魚の姿の「みえなさ」を如実に写し取ろうが、抹茶羊羹から一歩も出ないのだ。
さん…[全文を見る]
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あれは明るい夜だった
明かりをおとしても
まぶたを閉じても
何度も何度も
潮の音を聴いて
何度も何度も
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- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」8------
彼女は明らかに呆れ声だった。はなしの噛み合わなさに途方に暮れているみたいだ。いっぽうおれは笑いを噛み殺すのに苦労した。このひとのこの調子に、おれだってどれほど悩まされたことか。
そんなわけで電話の向こうでは彼女がまだ何か説明しようと躍起になっていたけれど、このひとはそれを押しとどめるべく諭すような声でつづけた。
にんげん疲れてるとろくなこと考えないよ。とにかく休むといい。遠く離れていても君の処に届くよう、君のためにとっておきの香音(かね)を鳴らすよう努…[全文を見る]
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抗うための声もなく
逃げるための足もない
夜店のヒヨコよりはかないいきもの。
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- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」7------
眠らないよう互いに気をつけていたはずがうとうとしていたようだ。メールの着信音で飛び起きたのはふたり同時だった。彼はそれを目にし、あーと呻いて長い髪をかきあげた。どうやら師匠は家にいなかったらしい。彼は頭を振りながらむずかしい顔をして電話をかけていた。おれはその背中にぺたりと頬をおしあてた。興味本位なだけでなく、やはり気にはなった。彼女なら、いっそゴシップ記事でも読むように盗み聞きされたほうが清々しいというかもしれない。おれのみっともない「優越感」を察知す…[全文を見る]
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なまぬるい風にのって
遠くからくる祭りのおと
木木が
草草が
ひとびとが
やわらかな息を吐く時間
たいせつなことほど
気づきにくく
たいせつなことほど
言葉にできない
あなたが悔いているように
あのひとも悔いているだろうか
きんいろのさかなが居るあの場所で
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- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」6------
師匠はもとより、大先生の顧客は一見さんが多かった。
はなしがどこにどう繋がるのかわからずに、おれは首をかしげた。すると、彼はおれの手に顔を寄せたまま口にした。
彼らには香景が視える。それを聞く。道を歩いていて、香音の残り香を聞いて声をかける。または魘の残響に夢を要らないかと問う。相手はほぼ断らない。
それを世間で何と呼ぶか、知っている。あの師匠も写真でみたその祖父もとびきりの美男というのではないが、ともに押し出しのいい男だった。あの調子でやさしく声…[全文を見る]
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- ---『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」5------
師匠はどんなに遅くなっても俺の淹れたお茶をのんでから自室にさがった。きゅうな用事で外食しようと食事が用意してあれば絶対に残さず平らげた。寝ていていいと言われても、だから俺は起きていた。
親が死んで、師匠が俺を引き取ると言ってくれたときは心の底から嬉しかった。俺は七つの頃から師匠に憧れてたし、その当時からお宅に出入りしていた。じぶんの家のような普通の一軒家とちがう立派なお屋敷で、そのころはとても賑やかだった。師匠のおじいさん、つまり大先生(おおせんせい)…[全文を見る]