湯築城資料館で購入した「湯築城歴史塾要旨集」2011年度、2013年度、2014年度の物。1冊200円。
編集者は河野氏をよく研究されている西尾和美氏、山内譲氏、それに南北朝から室町・戦国期にかけての幕府・守護体制の研究で知られる川岡勉先生など。
河野氏のまとめを安価で入手できること自体も魅力的でしたが、2013年度のに西尾和美氏の「織豊期河野氏と河野通昭」があったので即買いしました。
『河野家譜 築山本』から見える、謎の多い河野氏宗家の終焉から通昭、築山氏への繋がりについてまとめられています。
広島藩に宍戸司箭(家俊)を開祖とする貫心流という武術が…[全文を見る]
これ、もちろん正面から撮りたかったんですが

左の軒下に犬がいて、「ウウウ…」って唸りながらこっちをじーっと睨んでたので、それ以上近寄れなかったっていう。
土日は四国行ってました。お城は湯築城跡と松山城。
松山城の石垣が思いのほか素晴らしかった。いきなりの高石垣で心掴まれましたが、広ーい本丸から見たガッガッガッと屈折した石垣が一番気に入りました。
湯築城跡はすっかり公園になってたけど、ちょっと前までは動物園だったらしいです。資料館で購入した講習会か何かの資料が収穫でした。
写真整理はだいぶ時間かかりそう。

平林乳業「ひらひらミルピィ」
(かみさん曰く「溶けたチューペットみたいな味」)
平成24年に乳酸菌飲料ヒラヤソフトをリニューアルして販売開始したそうです。
http://www.hiraya-milk.com/profile/history.html
ひらひらミルピィ…

見ろ!人がゴミのようだ!!
(って言ってみたかっただけ)
かろいちにて

すなば珈琲

これと

これが競い合うように向かい合って掲げられてました
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<猿知恵、猿真似、猿芝居ってあんまり良い意味の言葉じゃないけど。猿岩石?そんなのいたわね…
<良い名前かどうかはさておき「猿に同じ名前を付けるのが失礼」って意識は猿に失礼じゃないですか!!あっちのお国がどうなのかは知らないけどさ!!
鳥取砂丘では駐車場の行列を避けて東へ東へ進んだら…

なんかあまり砂丘っぽい景色じゃなくなった

微妙

というわけで、らっきょう畑を見に行きました。
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結構立体的な作り。明治頃には廟門や回廊も巡らせてあったそうです。

だいぶ傷んでますが、それもまたいい風合いに感じます。でも結構これを維持するのも大変みたいです。
検索したらこんなブログ記事がありました。
Lablog 割れていた唐破風 -池田家墓所光仲墓
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-93.html

ここのお墓の特徴といえば、この亀趺です。2代の墓碑のみ、生類憐れみの令に配慮してこれがないとか面白い話も。
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鳥取では早朝、池田家墓所にもお参りしてきました。鳥取には幼少期から何度も行ってますが、そういえばここには来てなかったなと。


鳥取城からちょっと離れて、因幡一宮の宇倍神社とかがある国府町にあります。結構のどかな立地ですよ。

鳥取藩主池田家の初代光仲から十一代慶栄までの一族のお墓が並んでます。
予習してなかった(とうふちくわは光仲が倹約のためにちくわに豆腐を混ぜさせたことから始まったという説を聞いた程度)ので、歴史的背景とか分かりませんが…。
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浜坂駅の近くを通ったら、こんな看板が

山名氏史料研究所。検索してもほとんど情報が出てきません。
Twitterに行ったという人の投稿あるけど内容不明…
まあ、駅から近いので18きっぷ案件かな。
浜坂で山名といえば、山名時熙開基で有名な画像もある(まあ、見られないだろうけど)楞厳寺にも行きたいし。
ちなみに時熙はあの宗全の父で、明徳の乱による危機から立ち直って山名氏を再興、山名時氏以来の惣領家が伯耆守護から但馬守護に変わったのはこの人からです。幕府の宿老として、将軍義教を誕生させた籤の封印をした人でもあります。
安芸と備後の守護職も得ていたので、意外なところで毛利煕元(元就の曽祖父)や沼田小早川氏の小早川煕平にも偏諱を与えてます。
【Replyを使わずにこっそり】
僕がワセリンを初めて知ったのは、森山御大のマンガからなので、
ワセリンで女子力アップとかそんな話は聞きたくなかった!!
【スルー推奨】
八木城跡も麓まで寄ってみたのです。(石垣見えるところまでは行けませんでしたが…)



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9号線沿い福知山にある「日本一たい焼」ではいつも「博多の女」の切れ端を購入します。(関連会社が経営してるらしい)

この日も鯛焼きは買わなかった…

夜久野の茶堂にて。周辺には地蔵や石仏がたくさん。八十八ヶ所石仏めぐりもできるそうです。

応仁の乱では攻め込んできた細川方の丹波勢を山名方が迎え撃って、大将の内藤孫四郎貞徳を討ち取り勝利したとのこと。(夜久野合戦、『応仁記』では但馬に集結した太田垣の与力が丹波に攻め込んだともあり、どっちが攻めたのかよく分かりませんが…。)
貞徳という名からして丹波守護代内藤氏の一族でしょうか。夜久野には孫…[全文を見る]
新しいイラストが入ったポスターを、春日の道の駅で見かけました。


こちらには細川幽斎父子とガラシャさんもいます。丹波から丹後にかけて多くの市町村が協同で大河ドラマ誘致活動されてますので、その関係でしょうか。
(僕の希望はずっと前から近衛前久が主役ですが…)

でもそれを差し置いて赤井直正が主人公ポジションなのが嬉しいですね。やっぱり丹波の戦国武将といえばこの人でしょう。
丹波守護代・内藤氏の名跡を継いだ松永久秀の弟・内藤蓬雲軒宗勝を永禄8年に撃破、三好政権の丹波支配を瓦解させたのはこの人だし、荘厳寺本播磨黒田氏系図に記されている官兵衛…[全文を見る]
車で山陰方面行ってきました。
黒井城跡には時間的に上れませんでしたが、麓の兵主神社だけお参りしてきました。


近衛家の崇敬厚く、明治時代の「丹波黒井式内兵主神社全図」には近衛信尹の歌が添えられています。
「いのるかいあるにつけても藤原に かかるちぎりや春日部の郷」
父の前久は三好氏による足利義栄の擁立に協力したため、足利義昭の上洛に際して追及を受け、妹の嫁ぎ先である赤井(荻野)直正の黒井城に逃れていますが、信尹もそれに伴ってこちらで幼少期を過ごしたもの思われます。

拝殿の奥には磐座がありました。
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茨木、高槻の前に伊丹通って久しぶりに有岡城跡も寄ったんですが

同じ荒木村重つながりの花隈城と同様、駅前で市街地の中ということもあって、微妙な感じの城跡公園として整備されてて、風情も何もないんですが…

この一角だけが一応当時の石垣が復元されてます。

で、墓石が使われてることに気付いたっていう。
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