(承前)
まぁ、より自然には、とても愛したペットの死は、見知らぬ人物の死の何万倍も悲しいとか、実のところヒトとヒト以外と言う分け方は感情的距離感とは異なったりもするわけで、戦争や悪政など社会の問題に殺される見知らぬ人々に対する思い、「それはもしかして私や愛する人々だったかもしれない」と言うことを合わせて考える訓練の結果引き寄せられるものだったりするわけで、実のところ人権の「不自然な感じ」はこの「想像力」の為のプラクティスを背景としているのであって、別に宗教的背景ではないのではないかと思うわけで。
で、何のためにそういった訓練をす…[全文を見る]
とある絶滅危惧種についての話題を聞きつつ、その個体数の増加とか減少に一喜一憂すると言う背景に見落されているものについて考える。
たとえば「原爆や空襲などによって一時期微減したものの、朝鮮特需などを背景に日本人の個体数は回復させるのに成功した」とかアメリカ人が胸を張ってたとしたら、「なんだかなぁ」とか思うわけで、つまり個々の命というものを軽んじることがヒト以外に比べヒトに対してはやはり憚られるわけで、やっぱり我々はヒトとヒト以外を区別して生きていることを思い知ったりする。
まぁ、どんなに人権感覚の怪しいひとだって、たとえば誰かに首…[全文を見る]