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それでもそこにいたいって気持ち、よくわかる。

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地元放送の無線が終わったとたん、また風が強くなった。
こんなことってあるんだ。

近くのお寺から鐘の音が聞こえる。

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風、ぴたっとやんだ。。。

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急に曇って強風になってきました。
関連付けはしたくないけれど、そういうこともあるのかもしれない。

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群馬にいたとき、50号を通ってよく茨城に魚を食べに行ったり、ドライブに行ったりしたんだ。
いわきには元夫の友人で、私も大好きだった子がいて、何度も遊びに行ってスパリゾートも何度も行ったし、海水浴の帰りには海の近くだった自宅にお邪魔したこともあった。
もう連絡先もわからないけれど。
あの、いつも笑ってた、日に焼けた元野球少年はきっと元気に生きてると思いたい。

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私は見るよ。
後悔するかもしれないけど。

どうなったか、どうなっていないかを確認できる機会のひとつと捉えるつもり。

時間には市の防災放送。

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菫で思い出したこと。

高二がいちばんきつかった。
選択授業はないから常に同じ顔ぶれ。
無視は連鎖的に広がっていき、私の隣には空き机が置かれていた。
登校しても一日誰とも口をきかず、お昼はひとり部室で食べていた。
学校まで行っても教室に入れないことも度々だった。
辞めてしまいたいと思うこともよくあったけど、辞めていった同級生は見るからにヤンキーばかりで、同じに思われたくなかった。また、私が辞めることでクラスメイトを喜ばせたくなかった。
大学にも行きたかった。こんなのを学生生活の最後にしたくなかった。

だけど、卒業まではとほうもない長さ…[全文を見る]

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お風呂入ってくる。
黒い自分を流さねばならんのだ。

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私、アルマゲドンやディープインパクト、日本沈没や2012みたいな、天変地異パニック映画が好きだったんだよね…。
SFX(今はVFXって言うんだっけ?)駆使した、大掛かりなやつ。

旧作では日本は沈没したけれど、新作の日本沈没は被害甚大にしろ、沈没は免れた。
どの映画も、主人公は生き残り希望を見いだす。

今はもう駄目。
そういうパニック映画は、実況中継されてしまった東日本地震の映像と重なってしまって、まるで見られなくなった。
映画は作り物、でも起きたことは現実なんだって思い知らされるから。

もともと映画の好みにはかなり偏りがあるんで、世界が狭まっち…[全文を見る]

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長野県在住でこんなこと書いたら怒られそうだけど、やはり3月11日はトラウマになってる。
ここしばらく、毎晩地震の夢を見る。

東日本地震から日付が変わった朝方、緊急地震速報と同時にまた揺れ。
長野県北部地震発生。

なにが起きているのかわからず、得体の知れない生まれて初めての恐怖だった。
それまでも震度1でも飛び上がるくらい地震は怖かったけれど、あれから一年たっても、電気を消した部屋では眠れない。

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私は、当時の私がいとおしい

その頃は、「普通」になれない自分が大嫌い立ったけれど、今は「よく頑張ったね」と誉めてあげたい。
へりくだることも迎合することもなく、いつも嘲われて無視されても、平気な顔をしてひとりでいたじゃないか。

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ひとりで安心できる場所ってだけで、嬉しかったよ

でも、なーんにもない、思い出もない、行って帰っただけの修学旅行だった。
高校を卒業した後、もういちどやり直さなければ…と、年上の友達とふたり、広島に行った。
やっと、いろいろなものが見えて、聞こえた気がした。

ただ、広島から高校の担任に、「修学旅行をやり直したくて広島に来ています」と絵はがきを出したのは、内容的に本当に失礼だった。
ごめんね、先生。

今は全部浄化されちゃったよ。

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さて、酔っぱらいの年よりは今夜もくどくどと思出話をしてみる

小学校の修学旅行はゆうべ書いたんだよな(だれも続きなんか期待してないて!)

中学は京都奈良だった。
いまと違って、タクシーで観光コース回るなんて許されず、せいぜい、場所場所で班で回るくらい。
特に仲良しがいたわけではないけど、平和だった。

人生の暗黒期、高校の修学旅行。
前の晩まで仮病で休もうと思っていたのに、ついうっかりと行けば楽しいことあるかも…なんて思って出掛けた私がバカだったのよ。
京都広島三泊四日、口をきいた記憶なし。
行きの京都へ向かうバスの中で、持参のお弁当を食…[全文を見る]

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酔わないなぁ…と飲んでたわけです。
酔いに時差があるのを忘れていたよ…

うわあああん…

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長野県民の八割が、被災地(福島を除く)の瓦礫受け入れに賛成とか。

ちょっと嬉しく感じたニュース。

福島を除くってのが、ひっかかるんだけどさ。

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これももう10年も前の話になるけれど、新聞屋さんにもらったチケットで、平日の東京ドームにて日ハムの試合を見ていた晩。
平日だったし、人気カードでもなく、場内は半分空席で、私たちはビールを飲んでくつろいでいた。

当日、上田はスタメンではなかったんだけど、すぐ近くにいた小学校の団体は、交代がある度に先生が主になって、上田コールを繰り返していた。

五回の裏の交代のアナウンスで「本日は○○県××小学校、△△県□□中学校の皆様が来場なさっています」って言うんだけど、それで合点。
長野県松本市のその小学校は上田選手の出身校だったのね。
八回の交代で見事上田は登板してきて、子供も喜んだけどなにより先生が大喜びしていて、日ハムも粋なことするじゃんか…と思いながら、その日ちょっと日ハムが好きになった。

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私のふたつ下の妹の修学旅行ではメインが後楽園になり、弟の時代にはディズニーランドになった。

二十歳くらいの頃、初めて男と行ったディズニーランドで、スペースマウンテンの順番を待っていると、真後ろに名札をつけた小学生がいた。
あぁ、まだ修学旅行に名札をつける学校があるんだ…と懐かしく思いながら、ふと見ると、まさにそれは自分の通った小学校の名札。
思わず名前を見ると、その姓には見覚えが。
「○○(屋号)の子?」と聞くと「うん!」て。

あぁ、これ以上話しかけては自分の身元がばれてしまう!と口を拭った私。

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山口は光の武田薬品の友達を訪ねたんだった。
新幹線を広島で降り、山陽本線で光まで。
3月の山口は暖かく、初めて見る瀬戸内海は穏やかで、いつまでもいつまでも海を見ながらボックス席に乗っていたかった。

当時は光駅前にはホテルなんかなく、駅前の旅館に泊まったのだけど、興奮してかまったく眠れず、窓からずっとホームを見ていた。
なぜか、真夜中なのに中島みゆきの「臨月」が駅に小さく流れていて、合わせて歌っていた。

今でも「臨月」を聞くと興奮と不安で眠れなかったあの晩の暖かな夜を思い出す。

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長らくひとりでは都内のどこにも行けず、いつも友達に案内してもらっていたのだけど、なぜか16歳で名古屋や大阪、山口には、バスと新幹線を使ってひとりで出掛けていたのだった。
もちろん初めての地。

いかに東京が恍惚と不安の場所であったかというお話。

今はもうないのかな。広島駅前のダイエーの化粧品コーナーのお姉さんが「ひとりで長野から来たの?」と驚きながらも、化粧水と乳液のサンプルをたくさんくれて、それがとても嬉しかった春休み。
あぁ、ちょうど今ごろだ。
高校の卒業式をサボって3月5日から2泊3日で出掛けたんだもの。

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小6の修学旅行から次の上京は、6年後だった。
大学一年の時、武道館のコンサートに行くと言う同級生に誘われて。
友達は電車で上京し、私はバスで向かい、待ち合わせは上野駅の到着ホームだった。

コンサートが終わった後、都内で専門校に通っていた高校時代のバイト仲間の家に泊まることになっていたんだけど、右も左もわからない私は、彼女に九段下の駅まで迎えに来てもらって、彼女の住む世田谷まで行った。

その後学生時代は何度も彼女を訪ねたけれど、新宿のバスターミナルから小田急を使い世田谷代田の彼女の部屋をひとりで訪ねられるようになったのは、10回ほどしてからだった。
新宿駅って、私には魔境のようだった。
また、地下鉄は路線ごとに切符を買うものだと思っていて、乗り換えごとに切符を買い直したのもこの頃。