11月25日
家の郵便受けを開くと、中から大量の砂があふれ出す。これだけのスペースにどうやったらこんなにと思うほど、後から後から湧きだしてきて、くるぶしまで砂に埋もれる。
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11月27日
年に一度開かれる<国境なき飲酒団>の総会に出席する。
<国境なき飲酒団>は男女十数名からなる組織で、そもそもはただの飲み仲間であったのだが、自分たちのこの飲酒という行為はまったくもって何の役にも立たない無償の行為である、ということはつまりこれは非営利団体なわけで、ならばNPOとして認可してもらって国の補助金が出てしかるべきではないのか…[全文を見る]
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(2006年)11月8日 水曜日
朝、きのう書泉グランデで買った『「ひとつ、村上さんでやってみるか」〜』(朝日新聞社)を読む。
質問29 「原稿流出のこと」について村上春樹は(ヤスケンが原稿を古本屋に放出した直後、そのことを)、
「一人だけ書いた人がいましたが、そのまま立ち消えになってしまったようです」と答えている。
「立ち消え」ねぇ、『エンタクシー』の創刊号であの<追悼文>を書いた時、私は、東京新聞の「大波小波」やネットで、あるいは直接、色々な人から批判されたんだけどね。
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(2007年)7月22日 日曜日
・・・『東京人』時代の19…[全文を見る]
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愛を学ぶために孤独があるなら
意味の無いことなど起こりはしない
(Jupiter)
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プラクティカル・ジョークという言葉を知ったのは、中原弓彦サンが編集していた『ヒッチコック・マガジン』という雑誌のコラムでだと思う。その後、アレン・スミスの『いたずらの天才』という本で、アメリカの、その手のジョークの実例に出会うことができた。
それ以前から、中学生のくせに自分でも結構やっていた。
通学カバンの中に、目覚し時計とどこかでかっぱらってきた電話の受話器を入れておき、バスの中で、目覚しのベルを鳴らし手受話器を取出し「はい景山です」などとやって周囲の乗客をびっくりさせて喜んだりしていた。(引用者注:1960年ごろの話です)
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「無の歳月(un-years)」とネリーは呼んだ。しかしその歳月は、モンクが「ファイヴ・スポット」のハウス・ピアニストとして迎えられたときに終わりを告げた。人々が聴きに来てくれる限り、また自分でそうしたいと望む限り、好きなだけそこで演奏してかまわない、と彼は言われた。ネリーはほとんど毎晩、店にやって来た。彼女がいないと、彼は落ち着きをなくし、緊張し、曲と曲のあいだにとんでもなく長い間を置いた。ときどき演奏を中断して家に電話をかけ、ネリーに「変わりはないか」と尋ねた。電話口に向かってもぞもぞと、愛の優しいメロディーであると彼女の耳には…[全文を見る]
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モンクとネリーは、飛行機のファーストクラスで世界を飛び回るような生活を送ったが、もし彼がどこかの会社の清掃員や、あるいは工場の仕入れ担当係で、朝に起きて、夕方に帰宅して食事をとるような生活を送っていたとしても、ネリーはやはり同じように彼の面倒を見ていたはずだ。彼女なしではモンクは無力だった。彼女は夫が着る服を選び、混乱して服もうまく着られないようなときには、手伝って服を着せてやった。そんなときモンクは、シャツの袖の中で拘束衣を着せられたみたいに硬直し、ネクタイを締める複雑さの中に自分を見失っていた。彼が音楽を創り出せるように…[全文を見る]
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戦争に関する音楽をやりたい。と思った。今僕の中にはセックスによってもスポーツによってもドラッグによっても愛によっても過食によっても知識によっても他の音楽によっても解消されない何かが存在し、僕の精神を少しでもヘルシーにするものはもう戦争でしかない。
ここでいう戦争とは、厳密に言えば「地上戦の最前線」というのが最も近いし、イメージ上のイコンとしてはヴェトナム戦争という歴史的事実からいくつか採用しているけど、これはナム戦が歴史上最も音楽に接近した戦争であったことに敬意を表しているだけで、あの戦争自体を再現したいとか思っているわけ…[全文を見る]
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10月2日
頼まれているエッセイの締め切りを2、3日延ばしてもらいたくてP社T井さんに電話をすると、またしても別の人が出て「T井は病気で長期に休みをいただいております」と言う。そんな話は聞いていない。なおも問い詰めると、じつは無断欠勤が続いていて自分たちも心配しているのだと白状する。そういえば前に電話した時も、冷蔵庫にあった腐った牛乳を捨てにいっているので不在だと言われて、折り返し連絡するよう頼んだのに電話はかかってこなかったのだった。もしかしたらあのときから帰っていないのかと問うと、帰っては来たがあれから様子がおかしくなった、仕事もぜ…[全文を見る]
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第8章
フォッサルタで砲弾が塹壕を粉々に破壊している最中に彼はべったり伏せて汗をかきながらああイエスキリスト様どうか俺をここから出してくださいと祈った。イエス様お願いですここから出してください。キリスト様お願いですどうかお願いですキリスト様。死なずに済むようにしてくださったら何でもおっしゃるとおりにします。俺はあなたの御力を信じています。世界中みんなに大切なのはあなただけだと言います。お願いですお願いですイエス様。砲撃は戦線のさらに前方へ動いていった。僕らは塹壕の修復に取りかかり朝になると陽がのぼってきて昼間は暑く蒸して朗らかで静かだった。次の夜メストレに戻ると彼はヴィラロッサで一緒に二階へ上った娘にイエスのことは言わなかった。そのあとも誰にも言わなかった。
monkey business. vol.6 in our time. E.Hemingway. p.185. 2009.7.
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2月4日
「分数アパート」なるものの噂を聞く。二階建てで上下に五個ずつ部屋が並んでおり、例えば上の階に警官が住んでいて下の階にも警官が入ると、相殺されて両者が消える。上の階と下の階で赤ん坊が生まれると、赤ん坊だけ消える。山田と山田、もちろん消える。一見何の共通項もない35歳アルバイト店員の男と16歳女子高生が消えて、二人が共に靴下の匂いフェチであることが判明。いつなんどきどういう共通項で消されるかわかったものではないので住民は戦々恐々として気が休まる暇がない。そんなアパートが都内のどこかにあるという話。
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2月14日
夜シャワーを浴び…[全文を見る]
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香奈子を訪ねようとしない自分のことを、ひどい人間だとか、そういう風には思わなかった。香奈子の生活費や学費はすべてわたしが出していたが、そんなことは関係ない。四年近く付き合ってきて、世の中にはどうあがいてもどうにもならないことがあると身に染みてわかった。そういう無力感を味わうのは生まれて初めてで、香奈子が入院するたびに、病院を訪ね花を渡すたびに、そしていつまでも見送る香奈子を残して病院を立ち去るときに、人はいつか死を受け入れなければいけないときが来るとわたしは思い知らされた。そういう風に思わないと、香奈子の傍を離れることができなかったし、そもそも付き合うことはできなかった。
(村上龍 『心はあなたのもとに』 文藝春秋 p.6)
/勝手に引用