テレビで紀伊半島の先端、三重県のほぼ最南端の御浜町で「超ごくわせ」みかんの収穫が始まったというニュースが流れていて、いいなと思った。御浜町の「超ごくわせ」〜「早稲」のみかんは日本トップレベルでおいしいのだ。そして、熊野市、御浜町、紀宝町と和歌山県東側へと向かうこの辺りの町の空気感や景色がぼくは大好きである。
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山へ行くために、筋トレをはじめた。カーフレーズ、ランジ、プランク、プッシュアップ、スクワットと基本ばかりだけど、朝と夜に頑張ってできる限り頑張ることにした。何でもやっていると、色んな情報が入ってきて、痩せるならとにかくスクワット。しかも、スクワットは太腿の前部ではなく股間や腰の筋肉を鍛えるものなので、「回数よりも深さ(お尻を下ろす感じで)が大事」という野田クリスタルさんの言葉がなぜかすごく心に沁みた。病を抱えながら人里離れた場所で負荷の高い運動(登山)をすることはリスキーだけど、同時に病の治療にとって最善手と考えられるので頑張りたい。
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登山の知識がついてきたので、モンベルへギアを見に行ってきた。ストームクルーザー、トレールアクションジャケットなど「山の定番」と呼ばれる製品の品質は本当に素晴らしかった。一方で小さめのリュックを見ていたんだけど、ぼくにはしっくり来なかった。で、屋根裏に大昔に買ったアークテリックスのリュックが転がっていたのを思い出して、それを使うことにした。アークテリックスは元々ハーケンとかロープとか「崖登り」用の道具を入れても大丈夫なバッグや動きやすい服を作っていたメーカーである。「クソ頑丈で使いやすい」というユーザーの印象が集まって、30年後にアウトドア業界の超高級ブランドになっているのが面白い(今もとにかく頑丈らしい)。
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また能登半島が災害に襲われてショック。子供の頃の大切な思い出の場所なのだ。今は直接行けないけど、遠くから復興を応援したい。で、お金を稼いだら、必ず両親を和倉温泉などへ連れていきたい。ぼくはこれからも能登半島を応援していきたい。
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登山アプリの性能をテストすべく、なじみのある山の登山口まで車で出かけた。地図を見れば、標高1000mの山頂に対して、600m付近の登山口まで車道があり、かつ駐車場があるという記録も残っていた。しかし、その車道が超狭くて、落石まるけの超危険な道であることは行くまで分からなかった。ガードレールのない高さ数百メートルの道を走ったのも人生初だった。もう二度と車では行きたくないと思ったけど、標高600mでも山の上から見る世界は神々しかった。相当体力づくりが必要だと感じたけれども、その風景をまた見に行きたいと思った。
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自宅で2台使っているデスクライトの蛍光灯が一つ切れて、お店で最後の3本を買い占めた。店員さんの話によれば、年内にパナソニックは蛍光灯の製造を止めるらしく、今あるものがなくなったら終わりらしい。で、まったく合理的ではないけれど、全部で1万円以上かけて、2.5〜3年の延命対応を選択した(ブラウン管テレビに地デジチューナーをつける的な選択である)。理由はよく分からないけれど、「使えるものを使える間に捨てるのは嫌だった」からだ。もっともパナソニックの人からしたら、Nationalブランドの製品をいまだに使っているぼくは許せない存在かもしれないけれども。
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山に興味を持ってからコアな登山ファンからの信頼が厚い「ヤマレコ」というGPSアプリを開発した社長(まとやん)のYouTubeを観てるんだけど、「靴とザックと雨具があれば登山はできる」的な動画があって、その通りにした。と言っても、買ったのは熊除けスプレーと安いレインパンツくらいで、後は全部手持ちのもので対応することにした。あとはおにぎりと水筒とタオルを入れるだけで、いつでも登山に出かけられる。と、こうなるとますます地図を読む技術が大事になるんだよなと痛感する。まだまだ暑いので、秋になるまで読図について学びたい。
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昔から興味がありながら、今まで距離を置いていた登山になぜか興味が湧いて、この数週間で北アルプスの主要な山の登山動画をほぼ全部見た。この「北アルプス」とは、岐阜、長野、富山、新潟の県境が接するあたりにある3000m級の山々のことである。で、これらの山々の代表的な入り口が「上高地」で、ぼくは過去に何回も行ったことがあるものの、こういった概念をまったく知らなかった。「上高地」はわりとインスタ的な場所でキレイというよりイヤだなという思いが先に立つけど、その先の「涸沢カール」という場所がガチでよさそうだった。そして、実はそんなに頑張らなくとも行けそうだという点が魅力的で、そう遠くない未来に挑戦したいなと思うのだった。
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タバコを止めたので、カフェに行けるなと思って、スタバへ行ったんだけど、これじゃない感がハンパなかった。思えばタバコを止める前から、ぼくは開放的で明るく健康的なカフェより、暗くて狭い秘密基地みたいな喫茶店が好きだった。同じ感じで暑くて人が多くて音がよくない音楽フェスより、静かに座って聴けるホールコンサートが好きだ。さらに焚き火の匂いにまみれて眠るテント泊より、美味しいものをつくって食べてシャワーを浴びて寝られるコテージ泊のほうが好きだ。という感じで、二項対立はよくないけど、自分の面倒臭さを実感するのだった。ぼくはアウトドア好きだけど、テント泊が苦手なのだ。
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(承前)なぜ、こんなことを考えているかというと、毎年1,600人が水難事故に遭って約50%が死亡し、3,600人が山岳事故に遭って10%が死亡するという統計データを見たからだった。特に、川下りは絶対に沈まないライフジャケットと一切の水が入ってこないドライスーツというフル装備をしていても一回の転覆で30〜80%くらいの気力と体力を奪われる(経験的にも、統計的にも、無防備な人は30〜60秒以内に溺れる)。だから、いかに危険を避けるか?転覆したらどうすべきか?をずっと観察・試算している気がする。そして、無理な川へ入ることと同じくらい、山で道に迷うことは危険なのだと、ぼくは経験的に知っているのだった。
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位置情報が大きくズレる森や谷でのトレッキングについて考えていたんだけど、「現在地の把握」は手段であり、目的は「生還」だと気がついた。安全工学的に考えると、①そもそも危険に陥らないゼロ次安全(予防)、②スマホを用いたナビ(通常行動)、③別の電子機器での照合(冗長性・独立性)、④電子機器を用いない読図での空間把握(フェイルセーフ)、⑤撤退・安全確保・救援要請といったように整理できる。で、同じような場所でパックラフトもしているぼくは、①の事前の情報収集、危険時の対応準備が8割だなと思う。さらに言えば、世の中の大事なことはこんな原則で安全を確保しつつ動いているのだと思う。
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(承前)ちなみに、いま自分が持っているスマホのGNSSの精度がどのくらいかを測りたい時にはgeographicaというアプリを入れると、水平誤差と高度誤差が見れます。このアプリは国土地理院の1/2.5万または1/5万地図を使っていて、めっちゃいい。さらに豆情報だけど、緊急時には①iPhoneのSOS発信、②山アプリとStarlink-Direct経由で自分の位置情報を送ることができるのだった。
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最近、山アプリに目覚めたのはGarminの腕時計のせいだった。ぼくは毎日スマホを持たずに自転車で5km走っているんだけど、緯度・経度・高度、移動速度などのデータが完全に取れているのだった。調べてみると、これらは様々なセンサーのおかげもあるけど、基本はみちびき(日本) 、GPS(アメリカ)、GLONASS(ロシア)、Galileo(EU)、北斗(中国)などの4機以上の測位衛星(GPSだけでも30機飛んでいる)からの電波を受信する「GNSSチップ(みんながGPSだと言っているもの)」のおかげなのだった。ちなみに現在のスマホやGarminの腕時計のGNSSの測位精度は約10mなんだけれど…[全文を見る]
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もともと国土地理院の2万5000分の1地図を見るのが好きなんだけれども、今日YAMAP、ヤマレコ、geographicaなどのスマホアプリを入れたら、周りの世界が一新されて感動した。特にYAMAPのユーザー記録がすごく面白くて、あっという間に半日が溶けた。あと国土地理院の地図を基に作成され、GoogleMapの情報調査がしやすいgeographicaもすごくて、身の回りの世界の豊かさに気づくことができて感動した。Googleマップも優れたものだけれど、2万5000分の1地図は「人力でしか行けない・人力で行動できる」範囲において最大の情報を提供してくれる最強の地図なんだよなと確信した。
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約1年半前にSONYの「ICF-EX5」というアナログ調整できる中古のラジオを買ったんだけど夜の受信感度がすごい。ネットに「遠距離中波(AM)受信にはロマンがある」という言葉があったんだけれども、ぼくはノイズの中から人の声を探し出して受信している感のあるAMラジオが好きである。しかし、よく調べてみると、2028年秋を目途に本州の民放局のAMはすべて終わってFMへ移行するらしい。理由は、超強力な中波(AM)を飛ばす施設(百メートル超の電波塔、同規模のアースの設置など巨大な敷地が必要)を維持するのが難しくなっているからだ。幸いなことにメインで聴いているNHKラジオは残るようである。しかし、理由は分かっていても、530~1605kHzという周波数の中から日本の放送局がほぼ全部なくなるのはなんだか悲しいものである。
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ここ数日間、何年か放置していたロードバイクを再生するためにコメリに通っていた。ヤスリ、オイル、防錆剤、ペンキなど、あらゆる修理はコメリで解決できるんだよなと実感した(自転車はほぼ新品状態に戻った)。ぼくは木材、合板、工具、ネジ・クギ、接着剤などのDIY系のアイテムを見るのが好きである。ぼくは手先が不器用なのでできないけれども、やる気とセンスがあったら、家のリフォームとかもホームセンターで売っているもので大体できる気がしてならない。DIYができる人はマジで尊敬してしまうのだ。
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薬学とAIの両方にある程度の見識があるんだけど(テストだけはできた)、ChatGPTに処方されている薬の副作用と対処方法を訊いたら、勝手に変なネット情報を解釈していて危うさを感じた。かつGemini、Grok、Claudeの回答には「私は医者ではない」という前置きがあり回答に逸脱は少なかったけど、ChatGPTには前置きすらなかった。「1箇所でも間違いがあったら全部を疑う」がぼくのAI活用方針なんだけど、医療も法律も会計もビジネスも、あらゆる仕事には微妙な解釈や判断があって、それはやっぱり人間じゃないと無理ではないかというのが今のところのぼくの考えである。
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強制加入させられているLINEグループで、わちゃわちゃと業務プロセスやシステムを設計しているのを見せられていて、「こういうのは本当によくない!遊びじゃないんだ!絶対に燃えるぞ」と苦々しく思っていたんだけど、案の定、今日その業務が燃えているのを見て、「絶対にバグは許さない男」が発動した。業務プロセスとかシステムの「設計段階」にバグがあるのが、ぼくは本当に許せなくて「上手くいかない原因と改善方法」をすぐに数十個並べたらLINEグループが死んだようになった。こういうのは自分が経験するしかないんだけれども、設計・業務改善・システムというものに関わる人は「曖昧さを絶対許さない議論をすべきだ」と思うんだけど、どうだろう?(実際には曖昧になりがちである)
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色んなストレスから病のフルコンボになって、かつ治療・禁煙・食事制限でさらに無快感症が酷いため、セーブしながら仕事をしている。現場に戻ると、ストレスへの守備力が1/10以下になっている自分を感じていて、どうにかしないとなと感じていた。で、2週間くらい色々と試行錯誤していたんだけど、「食事」「喫煙」という二大ストレス解消策を全て「運動」に向けるとよさそうだと感じた。仕事も将来設計も今は考えないで、とにかく運動で健康の回復を図るしかない。
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(承前)ちなみに余談になるけれども、一般的な歴史の出来事の時期は「前後関係」や「相関関係」「それに関する感情」で覚えてる気がする。たとえば、盧溝橋事件は1937年7月に起こったので、南京事変は1937年12月だなと。この記憶を確固たるものにしているのは「たった5ヶ月」で北京から南京まで進軍して陥落させたことへの驚きや何でそんな無謀なことをしたのかという疑念、ここでの国民党政府との停戦交渉が日本の明暗を分ける結果となったという強い思いである。そんな風に「蜘蛛の巣」のような繋がりによる記憶がぼくは好きである。
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