(承前)なぜ、こんなことを考えているかというと、毎年1,600人が水難事故に遭って約50%が死亡し、3,600人が山岳事故に遭って10%が死亡するという統計データを見たからだった。特に、川下りは絶対に沈まないライフジャケットと一切の水が入ってこないドライスーツというフル装備をしていても一回の転覆で30〜80%くらいの気力と体力を奪われる(経験的にも、統計的にも、無防備な人は30〜60秒以内に溺れる)。だから、いかに危険を避けるか?転覆したらどうすべきか?をずっと観察・試算している気がする。そして、無理な川へ入ることと同じくらい、山で道に迷うことは危険なのだと、ぼくは経験的に知っているのだった。
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位置情報が大きくズレる森や谷でのトレッキングについて考えていたんだけど、「現在地の把握」は手段であり、目的は「生還」だと気がついた。安全工学的に考えると、①そもそも危険に陥らないゼロ次安全(予防)、②スマホを用いたナビ(通常行動)、③別の電子機器での照合(冗長性・独立性)、④電子機器を用いない読図での空間把握(フェイルセーフ)、⑤撤退・安全確保・救援要請といったように整理できる。で、同じような場所でパックラフトもしているぼくは、①の事前の情報収集、危険時の対応準備が8割だなと思う。さらに言えば、世の中の大事なことはこんな原則で安全を確保しつつ動いているのだと思う。
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(承前)ちなみに、いま自分が持っているスマホのGNSSの精度がどのくらいかを測りたい時にはgeographicaというアプリを入れると、水平誤差と高度誤差が見れます。このアプリは国土地理院の1/2.5万または1/5万地図を使っていて、めっちゃいい。さらに豆情報だけど、緊急時には①iPhoneのSOS発信、②山アプリとStarlink-Direct経由で自分の位置情報を送ることができるのだった。
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最近、山アプリに目覚めたのはGarminの腕時計のせいだった。ぼくは毎日スマホを持たずに自転車で5km走っているんだけど、緯度・経度・高度、移動速度などのデータが完全に取れているのだった。調べてみると、これらは様々なセンサーのおかげもあるけど、基本はみちびき(日本) 、GPS(アメリカ)、GLONASS(ロシア)、Galileo(EU)、北斗(中国)などの4機以上の測位衛星(GPSだけでも30機飛んでいる)からの電波を受信する「GNSSチップ(みんながGPSだと言っているもの)」のおかげなのだった。ちなみに現在のスマホやGarminの腕時計のGNSSの測位精度は約10mなんだけれど…[全文を見る]
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もともと国土地理院の2万5000分の1地図を見るのが好きなんだけれども、今日YAMAP、ヤマレコ、geographicaなどのスマホアプリを入れたら、周りの世界が一新されて感動した。特にYAMAPのユーザー記録がすごく面白くて、あっという間に半日が溶けた。あと国土地理院の地図を基に作成され、GoogleMapの情報調査がしやすいgeographicaもすごくて、身の回りの世界の豊かさに気づくことができて感動した。Googleマップも優れたものだけれど、2万5000分の1地図は「人力でしか行けない・人力で行動できる」範囲において最大の情報を提供してくれる最強の地図なんだよなと確信した。
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約1年半前にSONYの「ICF-EX5」というアナログ調整できる中古のラジオを買ったんだけど夜の受信感度がすごい。ネットに「遠距離中波(AM)受信にはロマンがある」という言葉があったんだけれども、ぼくはノイズの中から人の声を探し出して受信している感のあるAMラジオが好きである。しかし、よく調べてみると、2028年秋を目途に本州の民放局のAMはすべて終わってFMへ移行するらしい。理由は、超強力な中波(AM)を飛ばす施設(百メートル超の電波塔、同規模のアースの設置など巨大な敷地が必要)を維持するのが難しくなっているからだ。幸いなことにメインで聴いているNHKラジオは残るようである。しかし、理由は分かっていても、530~1605kHzという周波数の中から日本の放送局がほぼ全部なくなるのはなんだか悲しいものである。
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ここ数日間、何年か放置していたロードバイクを再生するためにコメリに通っていた。ヤスリ、オイル、防錆剤、ペンキなど、あらゆる修理はコメリで解決できるんだよなと実感した(自転車はほぼ新品状態に戻った)。ぼくは木材、合板、工具、ネジ・クギ、接着剤などのDIY系のアイテムを見るのが好きである。ぼくは手先が不器用なのでできないけれども、やる気とセンスがあったら、家のリフォームとかもホームセンターで売っているもので大体できる気がしてならない。DIYができる人はマジで尊敬してしまうのだ。
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薬学とAIの両方にある程度の見識があるんだけど(テストだけはできた)、ChatGPTに処方されている薬の副作用と対処方法を訊いたら、勝手に変なネット情報を解釈していて危うさを感じた。かつGemini、Grok、Claudeの回答には「私は医者ではない」という前置きがあり回答に逸脱は少なかったけど、ChatGPTには前置きすらなかった。「1箇所でも間違いがあったら全部を疑う」がぼくのAI活用方針なんだけど、医療も法律も会計もビジネスも、あらゆる仕事には微妙な解釈や判断があって、それはやっぱり人間じゃないと無理ではないかというのが今のところのぼくの考えである。
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強制加入させられているLINEグループで、わちゃわちゃと業務プロセスやシステムを設計しているのを見せられていて、「こういうのは本当によくない!遊びじゃないんだ!絶対に燃えるぞ」と苦々しく思っていたんだけど、案の定、今日その業務が燃えているのを見て、「絶対にバグは許さない男」が発動した。業務プロセスとかシステムの「設計段階」にバグがあるのが、ぼくは本当に許せなくて「上手くいかない原因と改善方法」をすぐに数十個並べたらLINEグループが死んだようになった。こういうのは自分が経験するしかないんだけれども、設計・業務改善・システムというものに関わる人は「曖昧さを絶対許さない議論をすべきだ」と思うんだけど、どうだろう?(実際には曖昧になりがちである)
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色んなストレスから病のフルコンボになって、かつ治療・禁煙・食事制限でさらに無快感症が酷いため、セーブしながら仕事をしている。現場に戻ると、ストレスへの守備力が1/10以下になっている自分を感じていて、どうにかしないとなと感じていた。で、2週間くらい色々と試行錯誤していたんだけど、「食事」「喫煙」という二大ストレス解消策を全て「運動」に向けるとよさそうだと感じた。仕事も将来設計も今は考えないで、とにかく運動で健康の回復を図るしかない。
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(承前)ちなみに余談になるけれども、一般的な歴史の出来事の時期は「前後関係」や「相関関係」「それに関する感情」で覚えてる気がする。たとえば、盧溝橋事件は1937年7月に起こったので、南京事変は1937年12月だなと。この記憶を確固たるものにしているのは「たった5ヶ月」で北京から南京まで進軍して陥落させたことへの驚きや何でそんな無謀なことをしたのかという疑念、ここでの国民党政府との停戦交渉が日本の明暗を分ける結果となったという強い思いである。そんな風に「蜘蛛の巣」のような繋がりによる記憶がぼくは好きである。
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昨日の『VIVANT 2』で「普通の人は携帯番号を覚えない(が、ベッパンならできる)」という台詞があったので、中学生の時に習った『スーパー暗記術』を使って、家族全員の携帯番号をガチで暗記してみた。番号の語呂合わせ→ストーリーを絵にする→3回テストで確認と10分あればできると感じた。あと1週間に10回思い出せば、記憶定着する気がした。ちなみにぼくは携帯電波はおろかStarlinkDirectも怪しい場所へよく行くので、緊急救助用に覚えたいと思ったんだけど、これを全員にやっていたら発狂する気がする。技術と精神は別物なのだ。
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ふと若い頃、彼女が「人生の体感時間の折り返し地点は20歳よ」と言っていたのを思い出して、調べたら本当だった。ぼくは座禅をする前に必ず過去と未来を展開して、折り畳んで、時間を今ここの一点に重中させるイメージワークをしてるんだけど、わりと波瀾万丈な人生なので社会人になってからの人生も長い気もする。しかし直近の5年は本当に一瞬だったような気もする。「永遠のようで一瞬、一瞬のようで永遠」。それが掴みようがない時に対するぼくの実感である。時間は考え方や生き方や捉え方で「伸び縮みするもの」ではないだろうか。
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学生時代によく修学旅行の旅館や川床料理の大量の片づけや皿洗いをやっていたので、「飲食店で皿を重ねるのは店員さんには迷惑」と思っていたんだけれど、会社員時代にラーメン屋のバイト経験がある後輩社員と「皿を重ねる/重ねないどちらがマナーか」と口論になった。「重ねたい気持ちは分かるが、器が欠けたり、油汚れになるので『カタチが違うもの』は重ねない」が当時のぼくの言い分だったんだけど、今日Grokに訊いたら「重ねない派」が正解らしくて安心した。もっともTPOによって、「お膳料理」はそのまま、テーブルが小さい場合には「重ねてもいいよね」的なゆるいマナー運営がよさそうだなと思った。
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基本、スマホは最安値プランだし、サブスクはAppleMusicだけだ。と思ってたら、GoogleWorkspace、X premium、アマプラ、プロバイダ、サーバー、ドメイン代などを支払っていて、ゲンナリした。もう切るとしたら、プロバイダ代くらいで迷う。デジタル社会で情報量は増えて便利になったかもしれないけれど、コストに対して得られる喜びや感動が減った気がしてならない。
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病院で時間があったので、人生3、4回目の『ペスト』を読みはじめた。ぼくは今まで新潮文庫の宮崎嶺雄訳で読んでて、今回はじめて光文社古典新訳文庫の中条省平訳版を読んだんだけど、文章の簡潔さに驚いた。この視界のクリアさは翻訳の違いか、ぼくの読解力の変化か分からないけれど、最後まで読んでみようと思う。文学作品には色んな作品があるけれど、カミュの『ペスト』はたぶん自分にとって特別な一冊なのだ。
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禁煙の無快感症(何をしても「食べた」「できた」「やった」という感情が一切持てない)がピークでツラい。なので、本病で「やってはいけない」と言われていたことをあえてやってしまったら、劇的に血中成分が悪化して、今日は半日ベッドで寝込んでいた(漫画版のナウシカに出てくる人工管理された人間みたいだなと思う)。色々、生き地獄であるが「風立ちぬ、いざ生きやもめ(風が吹き出した!生きなければならない!)」の精神で、人生全般の不調にじっくりと立ち向かいたいと思ったのだった。
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そう言えば、先月、車検に出してから、車の中ではFMラジオを聴く習慣がついた。この10年ぐらいずっとサブスク音楽しか聴いてこなかったので、ものすごく新鮮で、贅沢で満たされる時間になっている。同時に入院してから、読書の時間も増えていて、とてもいいなと思っている。
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『ラジオ深夜便』で、養老孟司さんのインタビューを聴いていたら、「メメント・モリ(死を想え)」は中世の修道院での挨拶らしく、「カルぺ・ディエム(今日を掴め)」と答えるまでがセットだったという話を知って、なんかいいなと思った。
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細長くて短冊状に切った乾燥したタラのおつまみを「たらまつば」と呼ぶということを、今日はじめて知った。正確に言えば、タラなどを原料にしたカマボコを薄くのばして、乾燥させて切ったものが「たらまつば」なのだ。しかも、こいつは「蒲焼さん太郎」とか「ビッグカツ」といった駄菓子のベースになっている気がしていて、「そのウナギとかカツだと思ってるヤツの正体はカマボコなんだぜ!」と、子供の頃の自分に言ったらすごくショックを受けるだろうなあと思ったのだった。
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