うーん、なんだかなー…「性暴力」とか「セクハラ」っつーと、
自動的に『加害者:男性&被害者:女性』のケースの話にされてしまうっつーのは、
発生件数(と言ってもそれは「表に出た」ケースだけなのだが)から言うと、
仕方ないところがあるのは重々承知ではあるんですが…。
『加害者:女性』のケースの被害者側な自分にとっては不本意というか、
なんかごっついもやもやするというか。だから俺は極力
『加害者:男性&被害者:女性』以外のケースを例に挙げるようにしてんだけどな。
アブグレイブもdadakoさんがお書きのインドのケースも『被害者:男性』だし、
「性的いじめ」は…[全文を見る]
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メモとか思いつきのことを語る
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別にそういう算段は男じゃなくたって女だってするもんだしそこに性別はないですよ。女にだって性欲あるんだし。
ただほんとにその性欲の解放に相手がいるものかどうかって考えたことあります?
性欲以外のものって絡んでません?
セクハラの話でいけば、対価型と環境型とあるけど、特に環境型は性欲のあるなしの問題だけでは説明できないですよ。
わたしはセクハラも性暴力も根っこの部分は同じと思ってて、そこにはなんらかの優越感を満たすための力関係の表現のようなものが絡んでると思うので、性欲のコントロールだけの話、まして「男はそれをがまんできない」なんていわれてもなあって感じ。
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アブグレイブのイラン人捕虜への性的虐待by米軍とか、
dadakoさんが下で書いてる話とか、
あと「カイボウ」とかのいわゆる「性的いじめ」とかってのは、
間違いなく性暴力ではあるのだけれど、
加害者は別に被害者に欲情してるとは限らないんですよね。
被害者を痛めつけるために有効な手段として「性暴力」を使ってるだけで。
被害者側からすると、加害者の欲望がどうあれ、
自分の「性」に関するところを痛めつけられたことには変わらないので、
殴る蹴るの暴力とは違ったダメージを受けるのですが。
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うーん、受け入れているのだろうか。>「満たされるべきもの」として
女性側、というか「男性でない」側は受け入れさせられている、認めさせられている、なんではないだろうか。
それと、一応、被害者・加害者とも性別は関係なく性暴力は起こる、という話のつもりで書いてはいるつもりなんです。ただ事例として集まりやすいのが女性=被害者、男性=加害者が多いので一方的に見えたのかもしれませんです。
前にセクハラのことで話してまして(http://d.hatena.ne.jp/dadako/20080205#1202197459がまとめになってませんが「わたし」の考えのちょっとまとめっぽい)、そのあと他にもいろいろ考えてるんですけど、
性暴力に性欲が関連する部分ってほんとにちょっとなんじゃないかなあと思ってます。つまり、性欲のコントロールというのだけの話じゃないんじゃないかなあと。
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男性の場合と言うのはもうひとつ思い出すのがあって、もう何年前だか忘れたけど、外国人50人くらい集めて討論する番組あったじゃないですか。
あれで「日本のイジメ問題」についてやったことがあって、「日本のイジメなんてたいしたことない、このていどで死ぬなんて」なんてえ結論はともかく、そこでインドからの留学生(男)だったかが泣きながら
「自分の男のともだちはみんなが見てる前で肛門に木の棒を挿されて、恥ずかしくて自殺した」
って話をしたら、その場にいた人の大半が笑い出したわけ。まあ言葉の選択が怪しかったので頭に浮かべた光景がシュールで想像できなかったんだろうと思うんだけど。
これが女がやられたって話だったらたぶん誰も笑わなかったろうなあと、今になると思う。
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男性の場合っつうのは、例が本の話ばっかりで悪いが、橋本治がけっこう小説に書いてるんですよね(ただ橋本治本人は痴漢・痴女にあった体験者なので、自分の体験から書いてる部分があると思うけど)。
『無花果少年』が典型的で、spectre_55さんがあげてるような理由を人に言われるかもしれない、自分はなんで抵抗しなかったんだろう、女から男がレイプされるなんて聞いたこともないしあれはレイプじゃなかったんじゃないか自分の勘違いじゃないか、ともんもんとして誰にも言えない高校生の話。
……被害者の思考ってのは男女関係ないですね。
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あああごめんまた粗雑と言うかぬけぬけのほんとの「思いつき」をそのまま書いてしまった。
セカンドレイプ「される」恐怖感を皆が持ってるのが当然って頭にあったもんで>自分。
それにくわえてネタにされるのもやだしね、だったのです。
というか、「そういう体験をネタにする人がいる」という考えがまったくない人(まれにそういう純粋な人もいる)から見たら、わたしのこの発言自体に傷つく人だっているかもなあ。
ただそういうものをネタにする人は実際にいるんだよね。時々苦々しい思いで自分のダイアリのリンク元を見てますよ。
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http://h.hatena.ne.jp/spectre_55/9236557633237969872の続き。
…で、男性被害者が被害体験を語る場合はちょっと違う場合の方が多そう。
男性が性暴力被害に遭った場合、特に加害者が女性だった場合に何より深刻なのは、
「被害に遭った事」自体を否定されるというか、
「された事を『被害だと思う・嫌だったと思う』こと」を否定される事が多いこと、だという気がする。
「…ラッキーだったじゃん!楽しめば良かったのに、何深刻な顔してんの?」とか言われかねないよね。
あと男性被害者の場合は、加害者の性別に関わらず、
「嫌だったんなら殴ってでも止めさせればよかったじゃん。男なら腕力あるだろうに」とか、
それこそ抵抗する・しないという点で「自己責任」(笑)を問われたりしそうな気が。
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http://b.hatena.ne.jp/entry/http://yuki19762.seesaa.net/article/84034217.html
↑これの俺のブクマコメですね。
性暴力被害に関して、特に女性被害者の場合にはホントにその危険性を恐れて「語らない」人は多そうに思います。
<相手のズリネタにされるのがやだ
ていうか、「自分の被害体験をズリネタにされた」って事を被害者が知った場合、
被害者本人にとっては文字通り深刻な「セカンドレイプ」になり得るとも言えるわけで…。
「嫌だという自分の気持ちを無視されて性的対象にされる」って図式を、
別の形で追体験することになると感じる人にとってはね。
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前に確かspecre_55さんがどっかのブクマコメかなんかで「女がオナニー話をしないのは相手のズリネタにされるのがやだからだ」って書いてあったと思うんだけど、
それって性暴力や性被害についても同じだよね。
いくら「嫌だった」って書いても、というか、「嫌だった」って言えば言うほどネタとして使用されるという。
だから自分が痴漢にあったという話や下着泥棒や下着を投げ込まれる話や盗撮の話なんかをみんな言わないし、書かない。
そんでみんなないことになるのさ。
わたしが日記に書くときには、いかにしてネタとしてイけないように書くかが課題だな。
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僭称っつー言葉使いもおかしいね、詐称か(^_^;)(ある意味では合ってるかもしんないけど←性格悪いな)。
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>「女性」以外を嫌悪する→男性嫌悪+同性愛嫌悪
うわーこういうクソ女ってマジで居る!つか実際見たことあるかも。
ただ、最近だとこういう女は「女性同性愛者を僭称する」のではなく、
Aセクシュアルと名乗ったりすることが多いんじゃないかと思うけど。
性欲は男(と一部の特殊な女)にしかないもんだとか思ってて、
で、「アタシには性欲がないんだから、そういう人間に性欲を押し付ける男が悪い」
っつって、関係性の責任を全部他人に押し付けようとするような。
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追加。
「男性」以外を嫌悪する→女性嫌悪+同性愛嫌悪
の意味。だから逆の場合も
「女性」以外を嫌悪する→男性嫌悪+同性愛嫌悪
で、『水晶内制度』は、女性だけの国を作るにあたって「外国」から文句を言われないために、「女性同性愛者だけの国」として建国、しかし内実は同性愛嫌悪なので本物の同性愛者は国外退去、住めるのは女性同性愛者を僭称するヘテロ女性のみ、という設定になってる。
これに「男性社会」に対する積年の恨みつらみの重なりなんかがあって、男性ホモソーシャルよりも構造がもっとエグイ。
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前にこっちに書いた「たけし軍団がホモソーシャルで苦手」って話をダイアリに書いた。
結局わたしはホモソーシャル集団内部なら通じる「冗談」が一番ダメなんだろうな。
本人たちには冗談なんだろうけど、わたしには冗談として笑い飛ばせないし、そこで「潤滑油」になる気もないし、メンバーとして「名誉男性」になる気もない。
『百合祭』が逆ホモソーシャルなんじゃないの、というのは実はこないだのNHKの番組見た時からずっと思ってて、そんとき『テルマ&ルイーズ』と同じじゃん!とかも思ったんだけど、うまく説明できん。
男性がホモソーシャルを作る時に「男性」…[全文を見る]
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●考え中のメモ。まったく詰めずに書く。
それぞれの立場として
・治りたいのか治りたくないのか
・治ってほしいのか治ってほしくないのか
・治したいのか治したくないのか
もちろん、どれも二極分布ではない。
目的と手段みたいなこと考えると(ちょっと言葉の使い方おかしいけどかんべん)。
患者側から見れば
「目的=治ること、手段=治療法、治療者」
で、治療者から見れば
「目的=治すこと、手段=治療法、患者」
対価として介在するのが「金」。
「権威」「おすみつき」が「対価」である「金」を「目的」に変えると、患者は金のガチョウになるので、手放さない=生か…[全文を見る]
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ほんとは『今読んでる本』に書くべきだけど、あっちはタイトルだけ淡々と羅列する、に近いので、こっちに。
『金毘羅』がいろんな意味でまたすごいことになってる。
著者の体験がどのくらい反映されての内容なのかわからないんだけど、「おまえはおれか」状態。
「男候補生」「本当は男」としての長女のあり方とかの精神面もそうだけど、
階段を飛び降りる練習とかするくせに普段の歩き方がおかしくて人から言われたことがある、とか、成績以外の全てが平均以下で、たまに平均以上にできることがあるとそれは心がおかしい状態になってるときだ、とか、
そういう身体面でのずれとかバランスの悪さとか、他人との関係性とか。
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あ、そうなのかー。それは知らなかった(というか、聞いたとしても覚えてなかった(^_^;))。
>主演女優2人が考えた純然たるアドリブ
スーザン・サランドンのほうは確信犯ですな、すると。
うん、諸事情でspectre_55さんが萎えざるを得ないというのはわかってますので。すみませぬ。
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あのラストのキスシーンは、脚本にあったり監督に指示されたんではなく、
主演女優2人が考えた純然たるアドリブなんですよねー。
そこをどう考えるかっつー事でもあるのかも。
俺は自分のバックグラウンドのせいで、そこに恋愛感情(っつーかセクシュアルな何か)があろうとなかろうと、
女同士のキスシーンには萎えざるを得ないところがあるのでアレなんですが。
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『テルマ&ルイーズ』はわたしの周囲のフェミには大ウケだったらしい。わたしはあれ、全然セクシュアルなものを感じなかったんだけれども。
あの二人はっきりヘテロだと思うし。
あのラストについては、まだほんとに思いつきに過ぎないけど、
「異性との関係より同性との関係を優先すること」を危険と見るかほほえましいと見るかというのはあるかなあと。
監督が監督だし、主要なメインターゲットは「男」だったんだろうと思うんだけど、「男」には、「女同士の友情」が「男との恋愛」より優先されるのは脅威なんじゃないかなというふうにわたしには見えて。だってそれって「女だって選べますよ」って言ってるってことだから。
普通のヘテロの女に主義主張があるって考えるのが怖いから、それならいっそ「レズビアン」←「受身ではなく主体性を持つ女」と見える形にしてしまった方が納得されやすいと判断したんじゃないか、と。
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自分も極端ではないにしろそうかもと考えたりもするけどね。