サンデーモーニングに関する事。
あるサイトで、シンカリオンが最終回を迎えようと
していた時、
「子供番組をやめて老人番組に変えたって、誰も
その老人番組を見る人はいなくなってテレビは衰退するだろう。」
みたいなツイートを見たことがある。
当時アニメとか特撮をヨイショするための
極端な意見の持ち主らしいと思ったけれども
Mastodonなどで、サンデーモーニングに関する事で
多少の論議になった時考えた。
彼らはサンデーモーニングを攻撃していた。
だけれども、それも極端だよ。
その時、シンカリオンが最終回を迎えようとしたときの
ツイートを想い出した。
そう。老人番組が嫌ならば見なければいいんだよ。
誰も見なくなってネットに移行するならばそれは仕方がない。
サンデーモーニングはボイコット。それでいい。
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ヒトコトのことを語る
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最近、インターネットが何かの代替になっていると思うのは
「ある程度の郵便への代替」
だろう。
電子メールやLINEで、ダイレクトメールを沢山取っているが、
郵便では全くもらわなかっただろうメールももらっている。
ネットはテレビに変わるというけれども、機能が沢山ありすぎる。
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私の家が加盟している、CATVの番組表を兼ねた雑誌に
タイのblドラマが紹介されていた、イメージとしては
タイ人のペーソスで作られた「おっさんずラブ」というか「なぎささん」
って感じがする。
タイの映画を「ムトゥ」や「冬ソナ」が公開される以前見たけれども、
視聴者のことをわかっている作りの映画だった。
韓国とは政治問題でギスギス、台湾はなんにも考えないで
「おっさんずラブ」や「なぎささん」と流すべき枠で、臺灣人のペーソスで作られた
「花の子ルンルン」、「クリィミーマミ」を平気で流すことを考えれば、タイの映画やドラマを紹介したほうがいいと
ふと思った。
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以前、テレビで華族に関する番組があった。
豫告編では「日本史の徒花のような華族」
と、ナレーションが存在したが、母親はこれに一言
「徒花だよ。」
と嫌(いや)みたらしく一言
それに対して、自分たちが憧れたり、豊かさを感じたり、した要素の文物を
茶化したり揶揄したりすると、怒る。
ブルーレイやネットフリックスの世代があの当時の映画や音楽を
拝見しても、頭ではわかっても、そこまで豊かさや憧れを感じない
部分がある。だから、
「母親が華族や天皇制に関する批判的な空気や空間よりも1960/70年代の欧米への憧れ豊かさへの理解が不能だ。」
と思うから茶化したり揶揄したりする部分がある。
正直なところを言うと、ジャズの深さってわからない。
あの時代の洋楽の嵐に浮かされて考えているのではないかと思った。
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8.15と3.11私はただ黙ってその日を見ていたい。
3.11に関しては、東北にルーツのある人々がたくさん住んでいる地域の人が騷ぎ出すから
東北にルーツのない關東人である私は少々複雑だ。
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一説には、しずかちゃんは男の友情の潔さを選んだと言う人がいた。
男の友情って神聖かつRomanticに言われますよね。
それは作ることができなかった。
男の友情という言葉を言うと、
「それって、ドラマか漫画の世界だ」
と言われたことがあった。
男の友情に苦しんだ私はなんだろうか。
友達を作りなさいと言われながら、作れなかった。
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葦の髄から見える情報から、タイの映画・ドラマの情報が入ってくる。
そこにも、日本で例えれば、
「三谷幸喜・クドカン・北川悦吏子・大河原邦男・小林亜星」
みたいな制作スタッフの影を感じる。
韓国同様だ。
そして韓国同様、スタッフに関して、知りたくもあり、知りたくもなしという
ふうに私は考えている。
そして、タイや韓国のサブカル制作スタッフみたいな空気を台湾は阻んているような気すらする。
韓国が嫌いならば、
「悪い奴ほどよく働く」と思い、
タイを相手にしないのならば、
「そーなのかー」
というふうに考えて、相手にしないことも必要なのでは。決して
なんにもやらないやつを担ぐことではない。
下手な反日国より台湾のほうが厄介なことがある感じがする。
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私は自分の弟が苦手である。
大親友が大量に存在して嫁さんまでいる
幸せだけで全てが出来上がっている。
世間は友達がたくさん男を甲斐性のある人、幸せの象徴みたいに言う。
だからいつも苦しむ。
お金がなくても、男は友情であるという巨大な神話が存在している。
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アカデミー賞を受賞した韓国映画「パラサイト」に感じるものがあるけれども、
いわゆる「韓国の北川悦吏子」、「韓国のクドカン」、「韓国の三谷幸喜」みたいな
ヒット作を連発する
脚本家やプロデューサーがいると思ったら、
「韓国の大河原邦男」、「韓国の小林亜星」みたいなあるときはあの作品、またある時は
この作品と言う感じのスタッフとして呼ばれれば、それなりの仕事して名前を刻む
スタッフみたいな
人がいるのではないかと韓国のドラマや映画の現場を感じる。
韓国を嫌うのはわかるけれども、何もしないtaiwanを担いで、バカな袋小路に迷い込みたくない。
韓国が嫌いならば、他にいい仕事をする國のFilmクルーを考えるね。けしてtaiwanじゃないね。
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都道府県擬人化が今も流行っていますが、昔こういうのをやったら、
東京都の擬人化は江戸っ子・下町風が多かったようにも思えます。
それも3昔前の1970年代ぐらいまでだと思うのですが・・。
なぜ江戸っ子・下町風が廃れたのか。
1970年代は多摩地方や大田区あたりが東京と認識されなかったからだと思うからです。
だけれども、城東地方が北の玄關口に拘泥してしまって、現実の東京と乖離してしまったから
だと思います。だから、大田区や多摩地方を包括した東京のイメージが
求められるのでは。
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また傘紛失の続きだけども、母親は早く大人にならなければいけないと
思っていたのではないか。
だから、ものをすぐなくしてしまう自分は情けない子
恥さらしめと思っていたから、ものをすぐなくしてしまう行動に苛ら立ち
を覚えていたのではないか。
それから読む本に対して。
母親の原風景には活字が存在して、漫画なんて下卑たものには教養は存在しないと
考えている部分があると思う。
父親が漫画をよく読む人だったが、私は活字の方に没入する傾向を強めていった。
やはり母親がバイブルのように没入するメディアに入って、母親の心を知りたかった
という部分があるか…[全文を見る]
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なんで母親に怒られたことは尾を引くのだろうか。
実は小学校の時、傘を忘れて、なくしてしまった。
母親はヒステリックになくしたならばさがしなさい。と言っていた。
その時母親が怒ったときは、自分がどん底に落とされた恐怖ばかりが残った。
また探さないと恐怖に落とされる。と思った。無くした自分が悪かったのかもしれないけれども、
注意されたという感じよりも、地獄に落とされる恐怖ばかりがあった。
そんなとき、先生が傘を貸すという、それも無理やり。
「そんなことよりも探さないと母親が怖い。」
と言った。
先生はすごく怒って自分に引っ叩いてまでお前に貸すとは言うんだけれども、
先生に引っ叩かれても、母親への恐怖ばかりあった。そっちに怒られる方がずっと怖かった。
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私が「腹が立つなぁ。」と思ったのは、
いつの頃だったか、
「世界三大料理といえば中華料理・フランス料理、トルコ料理らしい。」
と私が口走つたのだけれども、母親は
「地元の身びいきかもしれないけれども日本料理の繊細さは
世界に冠たるものだ。」
とヒトコト。
そんなことを言うと、タイ人がタイ料理を持ってくるよ。
と心で思った。
あまりに日本のことを褒める人でない母親が言うと、
なにか怖いものを感じた。
いかにも1950^70年代の戦後復興・高度経済成長の名のもとに
日本がどうアイデンティティを確立し、欧米コンプレックスを
解消していくかみたいな思想が…[全文を見る]
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私の高校時代取っていた英文法には、国連英檢だなんていう
言葉を言う人がいた。彼からは、いや彼女か
「安全に生きるために、憧れもなにも捨てて窮屈な健全のために生きよう。」
みたいな空気を感じた。
私は母親の天皇制に反対する考えには共感している、
だからそれにはとやかく言わない。
しかし、それよりももっと嫌なのは
1960-70年代的な
「アメリカの豊かさ・憧れ」
みたいな空気である。
「北米とか英語圈にアジアで失敗しないために精神の上での安全
を買っている自分ら世代からすれば、
母親はそれに憧れて、光を見ている。
だから衝突が起きる。
自分は自分の好奇心が抑えきれなかったけれども、
今思えば、
英語圈とかに関する思いを憧れに変換できれば、自分の気持ちが楽になったのだろうか。
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腹立つなあと思ったこと。
私は横浜に住んでいるのだが、なぜだか神戸の料理を看板に出している
料理屋やパティスリーは珍しい。
ちょうど、神戸牛を謳い文句にしている牛丼屋が街にあったので、
「神戸牛か。横浜には珍しいなあ。」
と母に言う。
母は
「京都には敵わないでしょ。」
と一喝。
私は關西風にいう「あほらしやの鐘がなる」みたいに言われた感じがしてがっかりした。
確かにごちゃごちゃ言う人には「あほらしやの鐘がなる」って一喝言えばいい。
だけれども、それだけでいいのだろうか。
他に考えるのは、関東において近畿圈が
「大阪や京都が存在し、土台である奈良が存在し、關東とは一線を画す場所」
という考えばかりクローズアップされて、そのイメージで近畿圈を見る人が遥かに多い。
そのように考える人々が
まるで織物みたいに、肯定的な色彩の糸と否定的な糸として絡まっていて、
中々神戸のイメージが伝わらないきらいが存在する。
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高校時代、「ハングルなんてファッションでやるのはやめなさい。」
と言われて仕方なく英文法をとった。
好奇心でやっている人が多かったハングルのクラスを羨ましい
と思いながら、英文法をとったんだけれども、
その時、一人の女子生徒がいた。
彼女はその後研究職になって人権などを研究しているらしいのだけれども
今は思えば、好奇心やノリよりも堅實で、安全な世界を選択して
その中で、アメリカに接近するというタイプだったのでは。
母親のように、アメリカの豊かさ・憬れという概念がすごく濃厚な世代からすれば
僕ら世代の
「アメリカや北米を見るのは勉強のため、ある種の妥協。
一瞬つまらないけれども、アジアに行って大やけどをするよりは堅実に
生きるためにアメリカに接近する」
という空気の体現者のように今になって思う。
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なんで、ローカルセールスってことがを思いついたか。
それは一部の人に大好きで、神聖視されている台湾の人とネットで話しているときに、
{自分のところのサブカルが近所の海外にも流行るものが作れないのは当たり前だ}
みたいなことを発していたのを思い出す。
なんで、そんなことを考えるのだろうか。日本のサブカルだって台湾や欧米の人が
面白がるなんてあんまり考えないで作った企画がある。純粋に日本の市場だけで狙って作られた
って某特撮・アニメのWikipediaのスペースで読んだことがある。
それが日本の実写ドラマが台湾であたり、日本のアニメが欧米で当たる
事…[全文を見る]
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井沢元彦の「逆説の日本史」の制作の背景だけれども、
お寺と神社を曖昧のもと利用している部分、
神仏混淆という背景などを感じる。
何でも批判するものじゃない。
あと、韓国サブカルの「国民の妹、弟」
という単語。
韓国サブカルもローカルセールスを重要視する空間があるということだ。
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思うところがあったから、ここに書く。
私はccさくらの木之本桜が好きになれなかった。企画建ての仕様程度にしか
考えられなかったからだ。小狼と木之本桜、知世ちゃんと木之本桜という
カップリングは苦手だった。
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こ最近、オリンピックやワールドカップに関して思うけれども、海外開催で日本人派遣
という空気に傾いているのだけれども、
そういえば鈴木大地だって、ソウルで金メダルを取ったのだった。
彼もPressureの中近年の羽生結弦・宇野昌磨みたく健闘した。
海外の形勢不利の状況でできる人はできるって昔から考えている。