『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ (講談社現代新書)』戸谷 洋志
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本のことを語る
自分(id:nekoana)のことを語る
(承前)私も毎日、叔母と従妹(も、病気が見つかり入院している)のことを 思い出しているわけじゃないんだけど
ときどきひどく落ち込むのは
仲良かった、あの叔母の家族のことで、けっこう悲しんでいるからなのかな と思う
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叔母が亡くなってから やっぱり母が元気がなくなった
よくはないが、私に優しくなったのは確かで あんなに厳しかった家事チェックとか ああしろ、こうしろがなくなった 何も求めなくなった
私や子ども(孫)たちに、生きていればいい、と頻繁に言う
しんじゃうってもう二度と会えない、話せないってことなんだね って、よく言うようになった
母は両親は早くに亡くなったけど 妹が先に逝ってしまった事が相当ショックなんだな
「自分が元気なのは 妹の寿命を奪ってしまったのかもしれない」とも言う
(そんなわけないと端から見ればわかるのだが、そういう責任を感じてしまう気持ちもわかる)
グリーフケアが必要なのかもしれない
ドラマのことを語る
『新☆暴れん坊将軍』が……思いもよらずおもしろかったんですが……!! また季節ごとにやりませんか……民放時代劇要るって!
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はてなブログのことを語る
「『海に眠るダイヤモンド』 観ました。」
https://nekoana.hatenablog.com/entry/2025/01/03/005305
はてなブログのことを語る
「まだ人にできることがあると信じたい(2025年 新しい年に寄せて)」
https://nekoana.hatenablog.com/entry/2025/01/02/233000
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長子が悪い時は休むのが良い というのはわかっているけれど
「周囲に迷惑をかけているという、申し訳なさ」
「もう治らないのではないか、元通りにならないのではないか という 当たり前だったことが失われる不安」
この二つが、よく休めないネックになっています 自分の場合は
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海に眠るダイヤモンドのことを語る
年をまたいでしまいましたが観終えました よかったです...
なんかこう キャッチーに衝撃的だったり華やかな作品ではないかもしれないけど 数年後十数年後にあれは名作だったね、と振り返れるような ジンワリと沁みるドラマだった
廃墟ツアー的なものに感じてた微かな違和感に、形を与えてくれたような
栄華の跡のようにとらえるんじゃなくて 人の営為があった場所はどこでもそれを望んで創り上げた願いが確かにあったこと、
それへの敬意なく消費したくないな...どんな時代の痕跡も
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私がさぁ今日から明るくなります! て無理なわけじゃん 私も要求しないからそのままにしといてって
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ひとつにならなくていい、なれるわけない ばらばらなままで
どれもまちがいじゃなくて、まちがいと言われないで、あるがままがそのままで生きていけたらいいな
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「好きなものとの、適切で、持続可能な、社会との折り合いをつけた、距離感」
「推しが、欠点のある人なこと それを受容しながらファンでいるには?」
…のこと ずっと考えてる
繰り返し、まとまらないままブログに書き留めてるけど、長くなるから、またブログに書いたほうがいいな
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私、成功したオタク を観なさい…
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この歳になると何度もガッカリした経験てあって、
「いやでも、ガッカリするのも私が勝手に思い入れて、勝手に裏切られたと思ってるんだよな 自分の感情には自分で責任持たなきゃな」というのを何度かやってきて
あとショック受けてもちゃんと回復はできる…も経験してきて
「何かに人生を、あるとき仮託すること、支えてもらうことがあっても、やっぱり主役は自分しかいない
誰もが『自分推し』に帰るんだ」の思いがあります
これがないと生きていけない! と思ってたもの たいてい失っても生きていけてる うまく言えないけど
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(承前)
それは何か表現するわけじゃないファンでも、そうじゃないかなって 好きである自分を客観視する余白を持つ
私を見て、ファンではない人が、その対象についてどう思うか? と見回す視点
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ファンアート描くような人間が何言ってんだ、と思われてしまうかもしれないけど
絵描くのって多少 対象と距離取らないと全体見えない 例えばデッサン狂いに気づけない
何かとんでもない物を描いてることを自覚できない というのがあって
ひと呼吸置く、離れてみる て大事なことだと思ってて
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めも
ファンダムもこの今の世界の、社会の一部であって選ばれた特殊な集まりじゃ無いってこと忘れたくない
私も興味なんかない、どうでもよかったころ、好きになる前だったころが、あったこと
そしてこれから何かあればファンやめるかもな、やめるのも自分で決めて自由に出来ることだ
そういう「覚めた」部分を頭の中に持つこと