2004年『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集「大瀧詠一の系譜学」を再録した2005年8月21日の日記を再録。
“過去を歴史のなかに封印することなく、つねに活性化させ続けること。大瀧さんのこの方法論的自覚こそ、系譜学的思考の核心をひとことで言い切っていることばだと私は思います“”
http://blog.tatsuru.com/2013/12/31_1454.php
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内田樹のことを語る
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トークショー覚書き
・1975年、仏映画かぶれだった頃に初めてテレビ(NHK)で見た小津映画。
・映画のロケ地(多摩川沿い・下丸子)は内田氏が育った場所であり、林家の次男坊(勇)は年代的にも自身そのもの。
・この映画のテーマは一言で言うと「コミュニケーション」。
・平一郎 (佐田啓二)との節子( 久我美子)会話(「いい天気ですね」「ほんといい天気」)は映画史に残るラブシーン。
・次男坊(勇)の傍若無人ぶりは10年後(映画の公開は1959年)の家族崩壊及び安保闘争を予言していた(これは半分冗談で)。
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トークショー覚書き
・1975年、仏映画かぶれだった頃に初めてテレビ(NHK)で見た小津映画。
・映画のロケ地(多摩川沿い・下丸子)は内田氏が育った場所であり、林家の次男坊(勇)は年代的にも自身そのもの。
・この映画のテーマは一言で言うと「コミュニケーション」。
・平一郎 (佐田啓二)との節子( 久我美子)会話(「いい天気ですね」「ほんといい天気」)は映画史に残るラブシーン。
・次男坊(勇)の傍若無人ぶりは10年後(映画の公開は1959年)の家族崩壊及び安保闘争を予言していた(これは半分冗談で)。
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7/6(土)大阪・九条のシネ・ヌーヴォでトークショーがあるそうです。
18:00『お早よう』(小津安二郎監督)上映後 ゲスト:内田樹さん(思想家・武道家・神戸女学院大学文学部名誉教授)
↓因みにこちらの本にはレヴィ=ストロースを小津安二郎「お早う」で読み解いた文章が載ってます。
「現代思想のパフォーマンス 」難波江 和英 /内田 樹
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7/6(土)大阪・九条のシネ・ヌーヴォでトークショーがあるそうです。
18:00『お早よう』(小津安二郎監督)上映後 ゲスト:内田樹さん(思想家・武道家・神戸女学院大学文学部名誉教授)
↓因みにこちらの本にはレヴィ=ストロースを小津安二郎「お早う」で読み解いた文章が載ってます。
「現代思想のパフォーマンス 」難波江 和英 /内田 樹
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内田樹最終講義サマリー
1月22日、神戸女学院大学で行われた内田樹さんの最終講義まとめ。
http://togetter.com/li/92210
内田樹のことを語る
結婚についての取材がどういうわけか続いた。
先週「週刊SPA」からは「意外と祝福されていない結婚式」という特集の取材を申し込まれる。(...)あ、そうですか・・・とやや鼻白んで、ちょっと今回はご容赦くださいとお断りする。
その二日後に今度は『Grazia』から「婚活特集」の取材がある。(...)「婚活しないで、どうやって結婚すればいいのか?」という独身女性たちの側の「スタンダード」に切実な問いについて、回答を求められた。
結婚に必要なのは「万有共生」のココロです、というような答えでお茶を濁す。
答えにくいのももっともで、私は6月13日に結…[全文を見る]
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お手柔らかめにしてくださって
ありがとうございます。(愛
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「ストレスを感じさせない人」が評価につながる——神戸女学院大学教授・内田樹氏インタビュー
(日経トレンディネット2008年10月03日より)
(...)もとはといえば、自分の無思慮が生み出したストレスですから、抜本的には「もうすこし賢くなる」ということしか解決法はないです(笑)。
(...)必死で働いている時には賢くなる余裕がないので、とにかく仕事をしない時間をつくる。原則として夜6時以降は仕事をしないと決めています。どんなにスケジュールが詰まっていても夜に書き物はしません。合気道や杖道や能楽の稽古がある時はお稽古をして、お風呂に入って、お酒を飲…[全文を見る]
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消費社会における若者の労働意欲
──記号的に職業を捉える若者たち──
(『BERD』13号/2008年7月より)
ところが今の学生は、この「感じる」こと自体が苦手なんですね。つまり自らの身体実感と照らし合わせながら、自分が就いた職業の中から、自分なりの達成感や満足感を感じ取る力が弱い。(...)感じる力がないと、職業選びは記号的なものにならざるを得ません。実感で選べないのだから、世の中にリストアップされている記号を参考にしながら選ぶしかない。(PAGE 2/5)
個性的でありたいけれど、それが「リスペクトに値する個性である」という社会的合意の存在する範囲でしか個性的であることが許されない。それが「自分らしさ」を記号的に表象する人間の陥る落とし穴です。(...)学生を連れて海外に行ったときにも、「身体を通して旅を経験する」という意識の薄さを感じます。レストランで食事が出ると、彼女たちは一斉にデジカメや携帯で料理を撮る。「撮るより、味わう方が大切だろう」と思うんですけど、彼女たちにとっては何を食べたかを細大漏らさず記録して、それをコンピュータに取り込んでいくことの方が、味わうことと同じくらい、場合によってはそれ以上に重要なんです。(PAGE 3/5)
…[全文を見る]
内田樹のことを語る
僕が「護憲派」って言うと、改憲派の人なんかまあ「うるさい」って黙らせようとしたりするんだけどさ、俺は彼らの発言を絶対に禁止しない。仮に彼らが独裁的な権力を持って「内田は黙れ」と僕を弾圧することがあっても、仮に僕が独裁的な権力を持った場合にも、決して君らの発言を封じない。君らの言論の自由、結社の自由、それはすべて僕が保証する。それが護憲派だと思うんだ。
俺、彼らを愛してるわけよ。なんたって、俺、愛国者だからさ。で、彼ら、日本人でしょ。愛国者っていうか、真のナショナリストっていうのは、自分の意見に反対の人であっても、同じ日本人だ…[全文を見る]
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「自分自身にかけた呪い」の強さを人々はあまりに軽んじている。
http://blog.tatsuru.com/2008/05/13_1156.php(「被害者の呪い」)