ウェブ検索していてたまたま面白そうな論文が公開されているのを見付けた。著者は王丹丹博士(比較社会文化)。
日本と中国の若者の言語使用に見られる対人関係上の志向性 : 「卑語」、「ぼかし表現」、「アクセサリー化した方言」の使用実態を中心に - 九大コレクション | 九州大学附属図書館
分量があるのでまだ冒頭しか読んでいないけど、「論文要旨」の部分から引用するとこの辺に興味を感じた。
また、婉曲表現とされる「ぼかし表現」は、若者においては集団であることを強調する機能をもつことが分かった。このような親しい若者同士の間の「ぼかし表現」の使用は、従来言われてきた「摩擦の回避」より、「親密さを出す」という解釈のほうが妥当であると考えられる。
ぼちぼち読んでいきたい。
い、が/の、は。それと「私は」と「私が」
日本語の主格の標示とセブンとローソンについてのあれこれです。
い
昔々、ある所に〈い〉という助詞がありました。
主語の格助詞としての働きがあることを認めたり、なかったり、副助詞としたり、辞書によって扱いが違うことがあったり、間投助詞としての条を立てたりもされる。他の助詞と連続して「いは」とか「いし」のような形でも使われた。分類はともかく、いくつかの働き方の一つに、少なくとも主語を「支える」性質も持っていたと見ておきます。
裸の母音が文節末に付くので、吸収乃至脱落が起きやすい。意識として…[全文を見る]
(承前)第三回です。以下のことは「こうである」というのではなく、「こう考えたらどうか」という提案として存ります。
住所と文法
いつだったか、「住所は文なのだ」という思い付きを得て、それから日本語の語順に対する考えが、どうにかまとまるようになった気がします。
住所や氏名の並びは、日本語と英語を比べると、互いにひっくり返っているので、文法と関わっているように見えます。もっとも英語の語順は「整合的でない」というのですが(他の多くの欧州言語も)、住所氏名に関しては SVO 型の基本に一致していると見ておくことにします。日本語は「整合的」なの…[全文を見る]
(承前)続きです。日本語の語順の文法的な、理屈にとどまるのではなく、作文に役立つような理解の仕方について考えています。「私は本を読む」のような模式的な短い文で済むことは実際には少ないので、もっと実際的な長い文での言葉の出し方をどう決めたら良いかということでもあります。
読み書きのために
繰り返しになりますけど、ここでの主題は、日本語の語順に対する理解を、読み書きの訓練につなげることにあります。
私は国語の授業でする作文というのが大嫌いで、書くことは苦手な方でした。1999年に出た大野晋の『日本語練習帳』は、自分にはあまり役に立たなか…[全文を見る]
日本語の語順について考える
日本語の語順の問題についてちょっと考えてみましょうか。ここでの関心は、語順についての、文章の訓練に役立つ理解の仕方、ということです。
文章を書こうとすると、言葉の並び方が何通りも考えられる場合があって、どうすれば「言いたいこと」に対して最も伝わる表現になるのか悩みます。決めるための基準を持つには、日本語の語順が持つ文法的働きを理解する必要がありそうなのです。
語順の不思議
学校では、英語は日本語とは「語順が違う」と教えられた憶えがあります。「私は本を読む」に対して「I read a book」だから「語順が違う…[全文を見る]