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Tips:はてなフォトライフのフォトライフ記法を本文に貼ると対応する画像が表示される。
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雪杯×すのう!のことを語る

筍は食べなくてもよい、もちろん料理しなくてもいい、見にいけば良いのだな!よしっ
あとは、卯の花っていうのを見てみたいなぁ
梅花ウツギは家に咲いていたこともあったんだけど

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雪杯×すのう!のことを語る

王様
おこた〜お布団の上〜押し入れ から、さらなる気温の上昇を受けて
窓辺の猫毛布の畳んだのの上に移動
いつでも見つめられる、いつでも撫でられる、あまりにも撫で過ぎて嫌われる日々

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雪杯×すのう!のことを語る

画像の向きを直してからフォトライフに上げても、数枚は直らないまま上がってしまう
で、フォトライフの中で向きを変えると、「実は見た目はあれだったけど、縦横ちゃんと直っていたんですよ」っていう縦横から向きが変わってしまうので、ハイクに上げると向きがまたおかしくなっている
っていうのが、ずっと以前からありますよねぇ
これは、フォトライフに上げて、一日とか寝かせれば、正しい向きで表示されるようになるのかしら
それとも表示はおかしなままで、でも本当は直っているということなのかなぁ
ハイクに上げてみないとわからないので地味に困るなぁ

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雪杯×すのう!のことを語る

んも~、眠れないし!
今日は
振り込み
投函
仕事
振り込み
ハガキを書く
24日消費期限だった豆腐麺を食べる

以上
出来たら、清算関係の紙の整理

寝たい…

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雪杯×すのう!のことを語る

あと、こんなこと私が考えるのも畏れ多いことだけれど、ハイクでハイコンテクストという言葉を知って、それから俳句を始めて以来、俳句はハイコンテクストか?ということをしばしば考えていて
これまでも「ハイコンテクストにあらず。すっごくローコンテクストと思う」って感じていたのだけれど、この本を読んでいて、その思いを強くしています
だから、何?っていうことだけど、そうだとしたら、他の日本文化はハイコンテクストだと言われる中、俳句は何故ローなのか?とか、そこに子規さんの関わりは?とかいう本がありそうだなぁとか思ったり
して
います
(収集がつかないまま終わる)

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雪杯×すのう!のことを語る

中盤まで読むのが苦しかったけど、ここへ来て楽になってきた
子規さんの病状は悪化していくので、違う辛さは増すのだろうけれど、子規さんの格闘の果てに光が見えてきたような気持ち
目の前が澄んできて、光が見え始めたというのに、身体はどんどん言うことをきかなくなるって、どんな気持ちだろうか

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自分を省みると「詩歌を読むのが苦手。集中力と精神力を必要とするから、疲れちゃう」っていうのは、このせいかぁって納得がいきました
私はこれまで文章というものを、空気を読むように読んでいたんだなぁ

あとは、こういう厳密性が俳句に残っている理由は、結社とか師弟とかの指導や訓練の仕組みのため…というか、何しろ短いから!ってところに尽きる気がする
これを長文で教えたり学んだりするの、すごく大変なんじゃないかなぁ
世の文筆家の方々は、一体どんな風に学んだり、教わったりしたのかなぁ
そういえば、脚本家にも師弟関係があるんだよなぁ
なるほどなぁ…

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「子規と漱石」
写生と叙事文、子規さんの日記まで
ここまできて、最初の方で取り上げていた「地の文の四つの文体の書き分け」が、子規さんの新たな血肉になっているみたいに感じた
あと、虚子さんの句の解説の時の視点の多さ、煩雑さが一気に解消されているようにも思った
それでも文章っていう平たいものの中で細密に時間を操るには、古語の助動詞が必要なんだなぁと、緻密な構成を見て思ったり
今の小説の文章っていうのは、そこに時間が内包されているっていうのが普通になっているから、書き手が文法で明確にするのではなくて、読み手が「察する」ものになっているのかなぁ?
そうだとすると、子規さんたちの目指した客観的、写生、写実的表現っていうのは、現代の文章表現では形だけ同じで中身は損なわれているのかしら
いや、そもそも私が古典やその流れにあるものを読んでいないだけなのかな

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今日のクロ現はスノーデン

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鶏胸肉と野菜を茅乃舎の出汁でただ煮るのが大好き
蕪と煮ました
蕪とか大根の葉っぱ、大好き
あ…、兼題が筍なのをほったらかしにしている…、豆ごはんも…
料理苦手な上に、好きじゃない食材だと、どうしたらいいのか

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お膝を下りたごまふくさんは、執拗におやつを要求して、ほんの数粒カリカリ言わしたと思ったら、今は窓の外の鳥さんに喧嘩を売っています

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かわいいごまふくの写真をあげたら、写ってはいけないものがばっちり写っていたので削除しました…

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服部牧場にミニブタの赤ちゃんが生まれてる〜(´ω`*)♡
早く見にこないと大人になっちゃうって…はぁぁぁ…♡

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忘れない
九品仏お面かぶり

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昨夜、睡眠中にごりっという音がするほど舌を噛んで、激痛でのたうち回った痕がまだ痛いです
明け方は出所不明なおじさん臭で目覚め、どうにもこうにも強烈で、なかなか寝付かれなかったのですが、朝起きてみたら臭いはなくて、不思議
昨日は何もないところで、とても甘いウイスキーの芳香がして仕方がなかったし、幻臭かしらん

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今日はBSプレミアムシネマで「プロジェクトA」ですが、ワタクシは午後ローで「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」を観ます

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直虎
但馬は生まれた家と己の職務のために人徳がないので(境遇が違ったら、人徳すっごかったと思う!)、戦略で行くしかない
でも、直虎は但馬が戦略で突破できないところを、人徳(っていうほどの人徳は育っていないけれど)っていうか、誠実さとか裏表のなさで突破してしまう
でも、それは相手にも同じだけの誠実がある場合だけ(どんなに冷酷無比であっても)
氏真には賢さも誠もないから、但馬から見ると直虎敗北の予感しかないよねぇ
今のワタクシは、天国で直親と但馬が仲良くおしゃべりをする妄想くらいしか、直虎を乗り越える術がないのでした

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「子規と漱石」を読んでいるのだけど、漱石さん、今のところ、あんまりでてこないなぁ
「小園の記」のところを読んだのだけど、これは「どんでん返しのある映画を結末を知った上で観直すと味わいが増す」構成なんだなぁと
それがいいのかっていうと、たぶんそうじゃなくて、文章表現が文語から口語へと移っていく時期に、文語の機能を十全に活用して、スマートな作品を生んだっていうところなのかなぁ
「鏡は横にひび割れて」で、古い英語を使う老人と新しい英語を使う若い人の間で齟齬が起きていたのを思い出しました
まだ、ようやく半分だよー

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「子規と漱石」
子規さんが碧梧桐さんと虚子さんの句の解説をしている
ぜんぜんわかりませんよ?
赤い椿白い椿がどうして複数になるのか解説されるということは、普通に読むと複数とは思えないからで、そこを複数に読ませるために解説されているわけだけど、これは本当に厳密に文法に則ったらそうなるのでしょうか…?はぁ…
かんてらの句など言うまでもなく…
読み解く自由があってこその多様性だけれども、ものっすごい自由…
虚子さんの句の解説の方はというと、舞台作品の虚構内虚構演出みたいになっているような気がする…
俳句は一人称というのは、この頃は皆さん同意のことではなかったのかなぁ
それとも、今は普通なことが当時は普通じゃなかったから、今読むと迂遠と思われるような解釈や解説で説明せざるを得なかったのかなぁ

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直虎
他国の領民に逃散を唆したら体外紛争の火種になると思うけれど、井伊家の中でも家臣それぞれが領地と領民を抱えているんだよなぁ
家中で領民が移動しちゃったら、それも問題だよねぇ
せたほうだは直虎が古くからの家臣から新参の武士でもない方久に与えた領地だし、直虎を殿様と認めていなかったり、反感を抱いている家臣だって多いのに