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ホリィ(新人)のことを語る


上月から津山へ向かう姫新線の車窓から

津山では「欅」という洋食店?でオムライス食べました。この後岡山で乗り換えて海を渡って、打ち込みうどんも食べたので、ちょっと食べ過ぎですね。

ちなみに翌朝にも系列店で牛すじうどんと…
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話のついでに、上月で見かけたもの(上月城関連除く)

上月駅は特産物直売所と一体化してます。ローカル路線ではよくあることですね。

赤松圓心公廟所 是ヨリ三里川…とありますが、当時はまだ赤松氏にあまり興味なかったし時間も惜しかったんで、スルーしてしまいました。
検索してみたところ大庄屋・大谷家の墓地にそれらしい堂があるようです。

ねこ
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利神城跡の登山道にあった記念植樹

この卒業生の方たちが堂々とここに再訪されることもできないわけで…寂しい話です。

2010年当時の平福駅前。せんさんのブログ記事見たら顔出し看板がリニューアルされてて笑った。

これも新しく塗り替えられてましたね。
ちなみにこの時は18きっぷで行ったんですが、姫路から姫新線経由で佐用で智頭急行に乗り換えました。上郡から智頭急行だと結構連絡してるんですが、こちらのルートは連絡悪いんですよね。
神戸発で姫路→佐用→平福→佐用→上月→津山→岡山→坂出→丸亀(なぜか海を渡ってうどんを食いに…)
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利神城のことをブログに書きたいと思いつつ、「登山をご遠慮ください」とされているこの城の写真を載せることの是非が掲示板で討論されているのを見たりして、ずっと躊躇していたんですが、とうとう我慢できず…。
この機会に池田由之のあの伝説と、三木別所氏と佐用別所氏のことも調べられたので良かったです。
しかし本当に、再び大手を振って登れるようになるには、どうすればいいんでしょうか。

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あっ、通知された。更に図書館で確認した内容と、それを元に考えた赤松氏と光専寺の関係についての推測を追記しました。(ページの最初と最後です)

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光専寺にに関しては兵庫県ないし播磨の寺院を総合的に扱った史料は見当たらなかったのですが、神戸新聞文化部編『杜を訪ねて ひょうごの神社とお寺[下]』に光専寺の項がありました。
現住職の赤松誠真さんの言では、寺の縁起によると赤松円心が創建したという円応寺が前身で、正和年間に矢野庄が東寺領となったため真言宗に転じ、その後寛文5年(1665)に赤松義村の孫・小林義光(のちに釈正西)が実如上人の感化を受け真宗に転じ、六代教誓に至って寺谷から現在地へ移転したとあるそうです。また、寺谷以前の経緯は不明ですが近くには「改宗」という地名があって住民のほとん…[全文を見る]

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あと 赤松氏ゆかりの山城・感状山城 でも書いた、赤松義村の孫が創建したと伝わる矢野庄光専寺と感状山城の関係について気になってたので『播磨鑑』をチェックしてみました。
光専寺については項がありませんでしたが、感状山城の項で真っ先に「城主ハ赤松彌太郎義村 字道松丸後號政村 父ハ刑部介政資」とありました。
道松丸は道祖松丸の誤字でしょうけど、どうも地元では感状山城の城主が義村であったと伝わってるようで、その辺りの事情が関わっているように思われます。

また、「又赤松義村居住ス(後改政村)初メ竹内助太夫義昌ノ養子タリ 後政則ノ養子トナル 政則コ…[全文を見る]

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ブログ記事書く前にもう一度きちんと扱った本を読んでおこうと思って、今日は中央図書館で3冊借りてきました。
石田晴男『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』(吉川弘文館)
早島大祐『足軽の誕生 室町時代の光と影』(朝日新聞出版)
橘川真一・角田誠編『ひょうごの城』(神戸新聞総合出版センター)

適当に手元の本(佐藤先生の孝景本と川岡先生の山城国一揆)で済ませるつもりでしたが、このサイトを知ってしまったから…。
http://sengokureimeiki.com/

早島大祐氏はこのサイトの管理人さんの推薦で結構名前が挙がってたので。
足軽の誕生は2回目ですが、前回は骨皮道賢…[全文を見る]

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中もこんな感じでかわいい…

(社)松江観光協会 美保関町支部
http://www.mihonoseki-kankou.jp/
せっかく公式サイトのトップにも画像載せてるのに、HTMLで強制縮小表示されててぼんやり画像に見える。惜しい…

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美保関の手描き観光マップが可愛すぎてどうしようかと思いました(別にどうもしないけど…)

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建勲神社に到着、すでに日は落ちてどんどん暗くなっていきます。フラッシュを使わず撮影しましたが、どうにも色が出ません。

背後の山が船岡山で、建勲神社はその中腹に建っています。

明治2年に創建された織田信長を祀る神社ですが、元々は本能寺の変後に秀吉が船岡山を信長の廟所と定めたことに由来するようです。
所蔵品の中には信長が桶狭間合戦の戦利品として、「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀織田尾張守信長」と刻印させたという名刀「宗三左文字」があります。(京都国立博物館で管理されてます)
三好宗三(政長)から武田信虎へ、そして今川義元へと贈…[全文を見る]

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そしてこの後、再び烏丸通を北上して大谷大学博物館の特別展「戦国武将と神仏」と講演を聞きました。
感想はこっち http://h.hatena.ne.jp/k-holy/81796742040811278
大谷大学を出た頃にはもう日が落ちかけてましたが、建勲神社&船岡山を目指して北大路通を西へ。ここまで来るとさすがに碁盤の目感がなくて大通りもぐねぐねです。
そのまま進むと大徳寺の前に出ますが時間がないのでスルー、建勲神社の正面に出るため堀川通からちょっと南へ下って建勲通を経由します。

猪熊通と建勲通の接点にある玄武神社。平安京の北の守護神ということでその名が付けられたそうです。

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烏丸通を北上し、上御霊前通から西に向かって御霊神社へ

御霊神社はその名の通り、平安時代の御霊信仰の広がりによって建てられた神社です。

「応仁の乱勃発地」とありますが、それぞれの事情で内外に対立関係を生じていた有力守護家が東軍と西軍に分かれていき、京都で最初の武力衝突に至った事件という感じでしょうか。
以前より家督を争っていた東軍方の畠山政長と西軍方の畠山義就が戦ったのが、上御霊社境内(当時はもっと広大だった)「御霊の森」でした。
かつて幕府から討伐を受けた義就が山名宗全の猛プッシュによって復権を果たし、管領職も斯波義廉に代えられ…[全文を見る]

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繋げておきます、出雲市。



吊るし柿に気を取られていると…
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山陽でも海側では見かけなかったので、彼が石見神楽とともに伝播したという説が僕の中で急浮上してます。
そして以前、せんさんが岩国で目撃されてましたが、吉川氏の岩国転封とともに伝わってたりしたら面白いなぁと…そんなことはないかな。
http://romance705.hatenablog.com/entry/2013/11/25/175206

こちらは出雲のもの


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秋の山陽山陰周遊ドライブ行ってきました。



北広島の吉川氏城館跡と元春・元長父子の墓所にも、ほぼ日が暮れつつ何とか巡って来られたんですが…
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