たまたま「イエーイめっちゃ堀辺(正史)」っていうフレーズが降ってきたので検索してみたら、堀辺正史が昨年に亡くなっていたことを知りました。遺影めっちゃ堀辺…。
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar985100
インタビューの内容も面白かった。(続きは有料だけど)
僕の青春時代は骨法真っ盛りでしたねぇ。餓狼伝説で主人公兄弟の弟が骨法使いって設定になったのも堀辺氏の功績(?)なんですよね。永井豪も影響受けてマンガ描いてるんですよ。
亡くなったことが公表される前の記事ですが、こちらも面白かったです。
http://yoshikogahaku.jp/2016/01/18/post-244/
[言いたいだけ]
位置情報を活用することにより、現実世界そのものを舞台として、ゲットマシンを捕まえたり、交換したり、合体したりすることができるゲーム!『ゲッターロボGO』

堺の開口神社、近世までは念仏寺(通称「大寺」)という寺があって賑わったそうです。
明治の廃仏毀釈運動では大変だったようで、明治6年には元和3年に堺奉行が奉納した梵鐘が本願寺別院へ移され、明治7年には泉陽高校の前身となる堺高等女学校のそのまた前身となる女紅場を建てるため、神職の役宅が明け渡されたとのこと。泉陽高校発祥の地とされているのはそのためのようです。
三重塔も明治6年に処分されそうになったところを地元商人の河盛仁平さんが購入して寄進という形で残されましたが、残念ながら昭和20年7月の大空襲で全焼してしまったそうです。

三好元長が堺…[全文を見る]
久しぶりにアクセス解析など

以前は結構あった50アクセス未満の日が、7/12の更新以来なくなりました。60~70くらいで落ち着いてます。
アクセス元比率はGoogleが45%、Yahooが32%、Bingが8%、そしてTwitterが2%になりました。そんなにアクティブではないものの、たまに本の感想とかツイートして出版社公式に拾われたりしているためか、少しずつフォロワーも増えてきました。まあ2%っていうと数人程度でしょうけど、同好の士に見ていただけるのは嬉しいことです。

今回の注意点は、Yahoo検索経由で「足利義稙」がランクインしてることですね。YahooはGoogleよりもライト層と…[全文を見る]
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/316613085776037688
予告通り食べてきましたよ

いちじく&すもも、毎度定番の橋本牧場かろいち店にて

完熟梅ソース&白桃、こちらは北栄町のCodaにて
どれも美味しかったー
ぼくめつ君、実在した

http://ameblo.jp/town-watch/entry-10558161976.html
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ぼくめつ君は飲酒運転のドライバーに喝を入れる小坊主という設定。ゆるキャラとして着ぐるみを作ることも検討したが、予算上の問題から僧侶のコスプレで代用することになり、堺署交通課の水野寛治巡査部長(46)が扮することに。水野巡査部長は飲酒運転やスピード違反の検問を15年間続け「取り締まりは決してゆるくない」という。
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ほんとにゆるくない感じ…。
義稙本、明応の政変あたりで中断してたんですが一気読みしました。この3冊を読み比べると面白そうな感じ。



浜口先生が在京四大名による猿楽興行の共催を高国が序列形成を図ったものとしているのに対して、山田先生は将軍が1人を突出させないようバランスを図ったものと、真逆の評価をしてましたね。
藤井先生は義稙に心底呆れてもう面倒見切れない、みたいな感じで帰国したと捉えていて、二度目の出奔で義興を頼らなかったのも喧嘩別れに近かったためと見ているようでしたが、山田先生は尼子の相手してて余裕ない上に京都から遠いからって理由を挙げてます。
畠山順光と…[全文を見る]
ゆるキャラ への投稿を躊躇させた、堺市のゆるくないキャラ「ぼくめつ君」

高谷知佳『「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる』 (講談社選書メチエ)
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twitterから。「怪異」の象徴として細川政元の虚像が作られていった様子が解説されてるみたい。司箭院興仙の話なんかも書いてるかなぁ。
足掛け半年の記事をようやく公開できました。自分の中で細川高国の評価がかなり変わったのと京兆家内衆に興味が向いてきたので、当初予定していた内容から変わってしまいました。
しかし、これで思う存分、山田先生の義稙本を読み耽ることができそうです。
はてなブログに投稿しました
「流れ公方」の執念が生んだ「阿波公方」(中編)将軍義尹の甲賀出奔事件の背景 - k-holyの史跡巡りメモ
http://amago.hatenablog.com/entry/2016/07/12/184103
今回の目玉は鶴崎裕雄先生の講演「戦国大名と連歌」南宗寺方丈にて。
現存する連歌懐紙の目録などから数えると、三好長慶31に対して信長0、秀吉13、家康2とのこと。圧倒的ですがな。
そんな感じで長慶を天下人の系譜で捉えて、彼らの連歌への取り組みなどを紹介する講演でした。
毛利元就も連歌好きで有名なんですが、元亀3年に元就の連歌集「春霞集」に紹巴が寄せた言葉には、もし三好修理大夫が生きていて撰集の催しがあれば(元就の歌も入れて素晴らしい作品になっただろうに)と綴っています。
天下人縛りってことで?元就の話は出なかったんですが、これを紹介して欲し…[全文を見る]
何とか開始に間に合いました、第2回さかい三好まつり in 南宗寺の様子。

なんか草葉の陰から見守ってるみたいな画像ですが、人が集まってたので写り込みを避けるとこんな構図になったってだけです。

「我らの長慶公」と長慶公坐像の讃?みたいな漢詩の詩吟がありました。

奉納阿波おどりの登場。この前には「堺すずめ踊り」の奉納もありました。(検索してみたら、堺の石工が伊達政宗の前で見せた即興の舞がルーツらしい)
…[全文を見る]
南海堺駅から南宗寺までが案外遠くて、他の史跡もかなり広い範囲に点在していて、カンカン照りの中歩き回るのは結構しんどかった…そういえば自転車じゃなく歩いて回ったのは初めてだったかも。

内川と土居川の合流地点。土居川って聞いて中世の環濠跡かなと思ったけど、大坂夏の陣で焼け野原になった後の徳川時代の町割りで掘り直したものだそうで。

これも港町の名残りかな。

先を急いでたので確認できませんでしたが、大通りの両側に大きな石灯籠がありました。近世までは堺の中心地に「大寺さん」と呼ばれた念仏寺があり崇敬を集めていたそうなので、そこのものかな。…[全文を見る]

堺に南蛮船は入港しなかったと聞き、ショックを隠せない南蛮人※イメージ
どういう経緯でこうなってるのか分かりませんが、遺跡の敷地内っぽいのに中に畑があったりします。

その側を、おっさんが原付乗ったまま通過していったのがまた。

蒲。見た目フランクフルトっぽいけど秋になったら破裂して、もこもこが飛び出してくるやつ。皮を剥がれた因幡のしろうさぎが包まって元に戻ったとかいう、あれです。

誰か寝てる…(笑)
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平城宮跡は広大だった。何度も側を通ったことはありますが、史跡見学のために訪れたのは初めてでした。



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ひらがなで日本語以外の歌をくちずさむ の、ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてーぼーじーそわか感