ちょっと待って日テレの実写バカボンのドラマ…ふつうにおもしろい…
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うん ちょっと休んで元気出た 早く寝よう
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つらい
ドアのブのことを語る
今日も、なんだけれど
仕事で、自分よりふた回り以上年上の、成功体験と肩書きを持つ、ゴリ押しが得意で声の大きいお客様に
譲れない意見を言えなかったことを悔しくて悔しくてつらい
「その対価では私たちは食べていけないのです」
「形のないものにも費用を払ってください。
私はあなたに比べたら若輩者かもしれないけど、それを作るための
技術を身につけるためにかかった時間と費用に、見あう代金を払って下さい。
急ぎならなおさら。例え知り合い(うちの上の人)の紹介でも。」
ここでしか言えないのが情けない
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まあ仕事初めからして失敗だらけでした…お疲れ様でした…
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今日のポケモンさんにノロイがいた…
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[とうらぶ]
村正キタワァ…子安みある…DIO的な唯我独尊変態さん…
ごく個人的になんですが、諏訪部さんか鈴木たっつんも良いな〜
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さあ、切りかえよう
ドアのブのことを語る
お金の心配はないほうがいいし ご飯は腹いっぱい食べられたらいいし
家族がみな健康で、ケンカしてもまた許しあったり仲直りできる間柄であるのは、とてもいい
そのような場所に生まれたことを なぜ卑屈に「だから私はヒヨワなんだ」と思わなければいけないのか?
「そうでない人」の言葉に なんでいちいち責められるように感じてしまうのかな >私
ドアのブのことを語る
「昔の人は強かった」わけじゃなくて 弱い人・運が悪かった人を死なせて
淘汰させてきた結果 ちょっと丈夫な人が残ってる というだけなんじゃないか、と
その人が今日まで生きてきたのも 別にあなたの手柄じゃないでしょうに、と思っちゃう
(戦争があろうがなかろうが 言えることだけれど)
ドアのブのことを語る
「休みなんか取らなかったし、めったに家にも帰らなかったぞ」という
猛烈仕事人間の武勇伝を聞くと
「奥さんに家も子どもも任せっきりにしたからこそ出来た無茶ですね~」とチクチク言いたくなる…
ドアのブのことを語る
などとモヤモヤするのは私が常に
「苦労知らずな自分」に強烈にコンプレックスをもっていて
「あなたは恵まれているからわからないでしょ」という論に触れると カ~ッと頭に血が上ってしまうたちなのだ
というのも心に留めないとな...と思う
どちらがえらい訳じゃない。ただ「環境が人それぞれ」であるだけなんだ
ドアのブのことを語る
こういう過去を美化して 世代間の断絶を促すような
「俺たちはおまえらより大変な時代に何倍も頑張ったんだぞ」という
「ハイハイまたその話ですか~」と、右から左へ流されるばかりの話より
あの作品の中で 特に誇るでもなく生きてた人たちの姿をこそ 私は敬いたい
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自分の立場を正当化するための物語としての「苦労話」ってあると思う
終戦時に10歳なんて すずさんたちよりもっとわけもわからず 状況の中で流されてだけじゃないのか
ドアのブのことを語る
「この世界の片隅に」とは直接関係ないが
新年の挨拶で職場のエライ人(終戦時に10歳)がとくとくと
「焼け跡から努力をして這い上がった」
「あの頃(ものがなく貧しい頃)の日本人は良かった」話を
ことごとく後から記憶を美化してつくりあげた 「つくりごと」 のように感じてしまって、困った
ドアのブのことを語る
そういえば年末の、自動車整備工場が主体になって開催した地域イベントで
立派なミニ四駆レーン(多分工場社員の私物)を敷設してレース大会をやってる会場で
チューンナップスペースにキムワイプが置いてあって
なるほどこういうシーンで使う物なのか、などと思いました
ドアのブのことを語る
そもそも「婚姻に伴い主に女性が姓を変える」ことが慣例、多数派にになっているために
理性では「そんなの人生においては大したことではない、心騒がしてはいけない」とおもいながらも
再び姓が変わった人に接するとき、事情も知らないくせに勝手に色々想像をたくましくして
触れてはいけない、と意識してしまう
…そんな自分が嫌だなあと… もう面倒くさいから夫婦別姓が当たり前になればいいな!
花花写真のことを語る
おとつき(タルト)のことを語る
かわいい年賀状ありがとうございますー! ?
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「みんな砂になってしまえば、みんな同じになってしまえば、争いなんてなくなるのに」と
誰かが願ったためのディストピアなんかなぁ…