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Tips:スクワットは、回数を急に増やすと膝を痛める。調子を見ながら少しずつやってみよう。
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ホリィ(新人)のことを語る

魔女討伐騎士団は壊滅しましたが、唯一、彼らの乗っ取り計画を知ってエルサに知らせたアナはすでに氷漬け状態。そして、留守中にハンス王子が得ていた人望は本物でしたので、民衆はエルサの魔法に怯えるばかり。
ハンスは民衆を焚き付けてエルサを捕らえさせようとしますが、エルサには罪のない人々を傷付けることはできません。
万事休すかと思いきや、ここであのちびのナントカ公爵が活躍します。実はなんとか公爵もハンス王子と同様、初めは国王死去の混乱に乗じて併合を企んでいて、ことごとくハンス王子に先手を打たれて内心憤懣やるかたなかったのです。そして、エル…[全文を見る]

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魔女討伐騎士団を率いるは恐るべき戦技を操る十何人の王子、対するお姉ちゃんもただ現実逃避のために山篭りしてたわけじゃない!こんなこともあろうかと密かに準備していたフロストゴーレム軍団を召喚して、大切なひとたちを守るために、女王としての責務を全うするために、自ら山を降りてくるわけですよ。
そして、フロストゴーレム軍団を退けた恐るべき戦技を操る十何人の王子も、最後はまとめてお姉ちゃんの魔法で殲滅されちゃうんですけどね。そういう話だったら男子も大興奮ですよ!!
(アナ雪で妄想ストーリーなんて今更とか言わないで…)

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あの筋書きだと、国王の娘として生まれたからにはその責任を全うしなければならない、孤独な人生を選ぶ自由など許されない、みたいな話だと捉えてしまうんですが、そこはどうなんだろうって思いました。
あと、エルサの女王としての資質とか国民からの信頼とか、そういう物が明確に提示されていない気がしたので、アナの妹として愛情と義務感?を除けば、外界が雪に覆われて迷惑だから何とかしてよ!みたいな要求しか見えなくて。
姉妹の愛の他に、もうちょっと、エルサが魔法を使うことと女王であり続けることの必然性が描かれていれば良かったのになぁと。
要は、王子が国の乗っ取りを企むにしても、本国から大軍を呼んで軍事的に制圧しようとするとか、そういう盛り上がりをですね…(え、要らない?)

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いや、面白いのは面白かったですよ。氷の魔法を色々な形で繰り出すところはすごく綺麗でかっこいいし、オラフの動きも面白いし。
王女と王子が2人で協力して引き篭もったお姉ちゃんを連れ戻す話なんだと素直に観ていて、なんか後から登場した兄ちゃんと妙にラブラブしい雰囲気かもしだして、あれあれ?これって王子フラれちゃうんじゃないのって思った途端の展開で、見事にだまされましたし。
でも言ってみれば結局、姉妹の関係が改善したら全ての問題が解決したっていう話で、悪役はただの小悪党だし、そのあたりが男子としてはあんまり興奮しないっていうか。
まあ、男子もオッサンもターゲットではないんでしょうけど。

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アナ雪TV放映っていうんで、ストーリーなど全く知らないままで初めて観たんですが、個人的に一番ウケたのはあの有名な「レリゴー」のところで、歌詞からしてすっごいカタルシスの来るシーンだって思い込んでたのに、実際には下界で生きることに絶望したお姉ちゃんが孤独に山篭りを決め込むシーンだったということです。しかも「自由よー!」とか唄いつつ実は下界の皆さんの大不評を買っていたというあたりが、何とも言えない感じで。
え、え、ー!?そういうシーンやったんこれ?なんでそこで合唱なんかしちゃって盛り上がるわけ?とつっこまざるを得ませんでした…。

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どうも、はじめましてホリィでございます。
たまたま何かを検索していて「きょう、」を見かけて、僕も割と三好贔屓を自負していますが、それを差し引いても本当に面白い小説だと思ったので、まだ読み終わらないうちからこちらとTwitterで紹介してしまいました。
今回の曜変天目茶碗に関する記事も、真贋ばかりが話題になっている中で我が意を得た思いから、こちらで紹介しました。
今後とも注目させていただきますね。

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三好長慶からの伝来という例の曜変天目茶碗の件、18世紀以降に開発された化学顔料が検出されなかったことから、少なくとも「現代に作られた模造品」ではないことが科学的に証明されたと話題になってますね。

徳島市男性の「曜変茶碗」化学顔料ほぼ検出されず【徳島ニュース】- 徳島新聞社
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/02/2017_14882573150769.html

依頼を受けて分析を行ったという奈良大学からもコメントが出てましたが、現場からのメディアに加工されない意見が読めるのは本当にいいですね。
http://www.nara-u.ac.jp/faculty/let/cultural/news/2017/166

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( ´-`)。o 0(…もうヒナマ釣りの季節か…そろそろウダイ人も姿を現す頃合い…)

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詳しい解説、ありがとうございます!
知らずに眺めていても「おや?」っと思う風景でした
ちょうど雨が上がっていて、しっとり濡れた赤がきれいで、瓦のために建てたかのような日本家屋の佇まいもいいなぁと思いました
観光地ではないところがいいですねぇ
次々、集落が展開する中で、印象深く感じました

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http://h.hatena.ne.jp/a-cup-of-snow/81797681610892308
石州赤瓦は色々資料探したことがあったのでちょっと紹介します。
石州赤瓦は幕末から明治にかけて技術が確立されて、明治後半くらいから中国地方から九州まで広まっていったそうで。
有名なところでは広島の西条で幕末に石州江津の職人が移住して製法を伝えて、今でも現地の材料で生産されているものです。おそらく新幹線の東広島あたりの車窓から見えるのはこの西条瓦だと思います。
備中高梁の吹屋も赤瓦の景観で有名ですが、ここは近世から石州瓦の職人が現地に直接出向いて作っていたもので、塩田瓦と呼ばれまし…[全文を見る]

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( ´-`)。o 0(…東海道山陽新幹線の車窓では、広島あたりの山間部で赤瓦が増えてくるところが好き…)

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ハイクから匿名ダイアリーにもトラックバックが飛ぶことに気付きました。
ハイクに人を呼ぶには、匿名ダイアリーで炎上している話題に言及するといいかも!!??

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[はてな]
村上春樹が好きだと言いづらい
http://anond.hatelabo.jp/20170228225844
これに対する「いいからAKBに置き換えて読み直してみろ」っていうブックマークコメントが最高に面白かった。
僕は村上春樹に限らず世間で「作家」と呼ばれている人の小説をほとんど読んだことがないので、好きとも嫌いとも思わないのですが、読書=小説みたいな世間の変な常識は大嫌いなので、そういう前提に立って物を言う「読書好き」のことは快く思っていません。
もちろん、僕自身は読書は好きですけど。(めんどくさい?心の中で思ってるだけですよ…)

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一向に進まないブログ記事の続きを進めるために、手元にある本と図書館で読める史料から、永正16年から17年の澄元方上洛戦の背景を考えてみました。
「細川両家記」が諸勢力の動向を割と正確に伝えていることも改めて実感できましたが、あくまで数十年を経た後に編纂された軍記ですので、諸勢力の思惑についてはどうしても著者の立場による結果からの推測が入ってしまうと思うわけで。
そういう意味で、高国の近江落ちの際に「今度公方様澄元一味にて京に御座候也」としている部分を疑ってみることから始めた次第です。
両佐々木氏に支援を求める御内書や、畠山尾州家を激励…[全文を見る]

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×「兵庫城」
○「兵庫津」

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最近のアクセス解析


微妙に土日にアクセス増えてるのと、兵庫津遺跡と兵庫城の記事が増えてるのでなんだろうって思ったけど、たぶんブラタモリ効果ですね。

Google検索では「常山城」も相変わらず安定した感じですが、ブラタモリ効果か「兵庫城」も上に来ました。
「流れ公方」がこの位置に来たのは珍しいので検索してみたところ、どうも戦国物のゲームに足利義稙が登場したみたいで、スキルが「流れ公方」だとか。現代的にはキャッチーな言葉ですが、どちらかというと不名誉な呼び名なので、得意技みたいに扱うのやめてあげてください…。

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永正17年3月3日付、赤松兵部少輔に宛てた御内書案
> 就今度京都無事之儀。太刀一腰。西長。馬一疋鹿毛。到来。悦喜候也。
赤松義村から「京都無事」を祝って太刀や馬が贈られてきたようです。前年から澄元を仲介していた義村に対する返礼は、すなわち将軍が澄元を受け入れたことの表明にも思えますが、この時点ではまだ畠山稙長が高屋城で澄元方への抗戦を継続しており、数日前に稙長を激励する御内書を送ったばかりです。
義稙自身がどのような決着を望んでいたのかは分かりませんが、やむなく澄元を受け入れるにしても、必ずしも旗幟を鮮明にしなくとも良いという将軍…[全文を見る]

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「細川両家記」では「然に同二月廿七日に難波より三好筑前守之長。京へ上り給ひ。都にて威勢申計なし。」と、2月27日には京都に入っていたかのように書かれていますが、今谷先生の「戦国 三好一族」には三好之長は2月20日に大山崎に入って1ヶ月滞在したとあります。山田先生の義稙本でも3月27日に之長率いる2万の大軍が入京したとあり、「二水記」3月27日条にそれを見た感想が記されているようなので、三好之長の入洛は3月27日で間違いないと思います。
なお、入洛が遅れた理由として今谷先生は「澄元の体調が思わしくなかった」「慎重に情勢の推移を見極める時間」「京都近…[全文を見る]