久しぶりにスティーブン・キングの白石朗による翻訳文を読んで、ああそうだこの「言っておけば」(俺なら「言っておくが」「実際のところ」などととしそうなところ)が出てくる(言っておけば、わりと頻繁に出てくる)とちょっとむず痒くて嬉しくなるのだが、キング作品のピラミッドたるITの翻訳は浅羽莢子で、ビルの吃音矯正用の文言はたしか「彼はぐいぐいと柱を押し幽霊が見えるとしつこく言い張る」だったと思うのだが、これが昨年公開の映画の字幕だと、しつこく言い張るに相当する箇所が「断言する」になっていて、ずいぶん簡単な印象を受けた。
それからわたくしが散髪屋のサインポールを好んで「くるくる棒」と呼ぶのはキング作品の翻訳由来だと思うのですがITかなニードフルシングスかなあっニードフルシングスは芝山幹郎訳だったのか
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25年間迷子だった男という宣伝文句を聞いて、30年以上前、小学校1年生のときに家族で姫路城に行った折、城の前の公園で知らぬ間に赤の他人に手を引かれていた(ような気がする)記憶が蘇った。どうやって気づいて家族のもとに戻ったのか、そもそも今の家族は正しい家族なのか。
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何度か訪れたことがあるラーメン屋が別のラーメン屋になっていた。その名は「ラーメン龍」。
30年前、故郷に「ラーメンりゅう」というラーメン屋があった。個人経営で、おそらく10席あるかどうかという規模。当時小学生だった私は、隣にファミコンソフトレンタル店ができた(すぐ閉店した)こともあったりして、気にはなったが訪れたことはなかった。
同級生に、ファーストネームが「りゅう」という男がいた。私は親しくなかったし、話した記憶さえないが、彼が「ラーリー」とあだ名されていたことは克明に覚えている。
なぜ「ラーリー」なのか、親しい連中に聞いたところ、「…[全文を見る]
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今朝の夢では梅沢富美男にしてやられたのだが、梅沢富美男にしてやられたのは10年ぶり二度目だ。前回は、仕事の打ち上げでカラオケに行った際、おれさまの中島みゆきを聞いてくださいというアレのつもりだったのだが、同僚の正統派二枚目(前前職はひも。交際相手をふるいにかけるため秘宝館に連れて行く(まてあわてるな運転免許持っていなかったから連れて行ってもらっていたのか)という変態)が梅沢富美男の夢芝居を歌ったもんだからまあかっこいいこと。くそっくそっ。
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小学校のとき、作文の課題に対して「書くことがない」とだけ書いて提出する勢力があった。自分はそのような勢力に屈することなく、おおむね模範解答を想定して執筆していたと思う。今はどちらの姿勢も信じがたい。同じ課題を出されたら、全力で曲解するだろう。
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故郷のファミコンでアストロロボSASAで遊んだ記憶があるんだが、少なくとも新品で購入した記憶はなく、あれは借り物だったのか、あるいは中古で買って手放してしまったか
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あまいぞ!男吾で「ポケットに手を突っ込んで歩くと(喧嘩に即時対応てきないので)良くない」と学んだ私は、ダウリング神父でシスターステファニーかポケットに手を突っ込んで歩くのを見て「良くないなあ」と思ったものですが、すぐに「いや、やっぱりすてきだなあ」と思い直したものです。
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我が故郷では、しばしばケロリンと書かれているあれに相当するものは「たらい」であって、「桶」ではなかったので、桶の紋章などとやるときは心が痛むのだった
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オレンジの「ーナ」だからオランジーナなんだろう、メロンには「ジ」がないじゃないかと思ったんだが、ポテロング、コメロング、トウモロングと並べると、元祖であろうポテロングがいちばん無理矢理だ。
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建設現場などに掲げられた「ビケ足場」という横断幕を見て、どういうわけか「ピケ足場」と思い込んでいて、しかし他人に対して発音する前に自分で気づいて冷や汗をかいた。
「ビジョンメガネ」をどういうわけか「ピジョンメガネ」と思い込んでいて、嫁の前で発音して笑われ、打ちのめされた。
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小学校のとき、学期に1回程度、「お楽しみ会」と称される学級ごとの催しがあった。班などのティームごとに、何らかのだしものを披露するという代物で、我が世の春を謳歌していたわたくしなどにとってはまさにお楽しみであったが、アレがアレした中学校以降にあんなのがあったら面倒でしかなかっただろう(今ならまた事情が違って、単独で旅行先散髪の楽しみを延々と説き続けるのはやぶさかてはないが)。
だしものの内容は班に委ねられた。1クラス6-8班はあったはずで、事前の終わりの会などでだしものを宣言して調整する場が設けられていたとはいえ、ネタが重複しなかったの…[全文を見る]
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「ファーストネイムで呼び捨て」というのがたいへん馴れ馴れしく感じられ、物心ついてからこのかた「慇懃無礼」が目標のわたくしにはなかなか実行できない。故郷で暮らしているころは、周囲でも、苗字で呼び捨てというのはわりと多かったが、名前で呼び捨てというのは滅多になかった。あれはアメリカ人がやることだと、フルハウスやダウリング神父を見て思った。
関東地方で暮らすようになると、名前呼び捨て層と行動を共にする機会が増したが、その瞬間のアウェイ感といったら!自分自身は名前が長いのでそのまま読み上げられることを免れたが。
そんなわたくしがこれまで名前だけで呼び捨てしたことがあるのはおそらく高校のときのハルトくらいなんではないかと思ったが、よく考えたら小学校のときからいっぺいを呼び捨てにしていた!
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中学生か高校生のころ、その時点からさらに20年以上前の、児童向けに編集された文学全集のような本をもりやまさんの家で見つけたわたくしどもは、巻末の「読者の感想文」に注目した。
何という作品の感想文だったかおぼえていないが、感想文の著者は小学生か中学生ということだったと思う。その文中に「愛人」という単語が使われていたのを見て、『これは小中学生が使うべき語彙ではない』と色めきたったわたくしどもでした。
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私とレーザー
年が近い人たちの何割かはそうだと思うのですが、レーザーとの出会いはグラディウスシリーズでした(余談ですが、オプションもグラディウスシリーズです。ミッソーとスピーダッはなにか別のもので出会っていたはず)。
直線状に連なって発射されるつおいやつ、というのが第一印象でした。その印象―中でも「つおいやつ」という部分が強調されたきっかけは、ファミコンソフト「ヴォルガードⅡ」です。「ヴォルガード」あるいは「ヴォルガードⅠ」が存在したのかどうかは知りません。調べる気もありません。
ヴォルガードⅡの存在は、当時購読していたファミコン通信…[全文を見る]
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たぶん北斗の拳のおかげで自分が小学生のころから他人の業を評価する語彙として「児戯に等しい」というのを備えていたんだんだが実用したことはない
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私の「ちょっと良い話」の源泉である電車さんは、牧瀬里穂に似ている。山田孝之を思わせるところもある。綾小路きみまろに似ていると評判だ。
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しばらくゆで海老食っていないが、故郷では親戚の漁師(この町では「車海老つかみどり世界大会」が催される)からおすそ分けとして大量の海老をもらってきたのを一気にゆでて食べる習慣があった。
海老の量が多いので、殻をむくのが面倒になったわたくしは、殻ごとばりばりむしゃむしゃもしゃもしゃ食べて、口の中を傷つけたあとの茶がしみるのがまた良かった。
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10年ほど前、山形市内(もしかしたら近郊かも)には北部と南部にジャスコの店舗があった。
市内在住の嫁の従姉妹によれば、市民はこれを「南(なん)ジャス」「北(きた)ジャス」と呼び分けたという。
私はそれを聞いて「ほくジャス」じゃねえのか、と思った。
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おそらくは、自分が初めて「これは周りで話されていることばと違う、おもしろい」と思って真似したいわゆる方言は、キレンジャーの「まかせんしゃい」だ
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お年玉で購入するファミコンソフトを選定するにあたり、定評のあるスーパーマリオブラザーズと天秤にかけて、スペランカーを選んだ私は、「発光ダイオード」ということばをそこで覚えた。
また、カセット裏側のラベルに名前記入欄があったので、ボールペンで姓名を記入した。
ファミマガ掲載の「無敵技」を試すのに数時間を費やし(横綱技がウソ技だなんて!)、そのせいで、岩を破壊せずに飛び越える「友情ジャンプ技」(1コン、2コンを同時に使うことから命名されていた)も疑ったが、姉の協力を得て実現し、驚いた。鍛練し、一人でできるようにさえなった。
ただし、岩を破壊するための爆弾は潤沢にあるし、飛び越えられるのは左から右方向のみなので、そのまま先に進めるときはまあ有効と言えなくもないが、引き返さなくてはならないときは、結局爆弾を使うことになるのだった。