『20世紀言語学入門』と『言語学講義』
加賀野井秀一『20世紀言語学入門』
1995年に発行されたこの本は、二十世紀の末葉に在って、その百年分くらいの言語学の展開を振り返る内容。ソシュールからチョムスキー、それ以降に至る学史を追いながら、幅広さと奥行きを感じられる。切り口としては、副題に「現代思想の原点」とあるように、哲学的な面を見せている。個人的にはスワデシュの言語年代学に端を発する計量的な研究に馴染みがあるんだけど、その方面の話は出てこない。
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1995年に発行されたこの本は、二十世紀の末葉に在って、その百年分くらいの言語学の展開を振り返る内容。ソシュールからチョムスキー、それ以降に至る学史を追いながら、幅広さと奥行きを感じられる。切り口としては、副題に「現代思想の原点」とあるように、哲学的な面を見せている。個人的にはスワデシュの言語年代学に端を発する計量的な研究に馴染みがあるんだけど、その方面の話は出てこない。
『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』を読んだ後で、吉村昭のクマ小説を読んでいたら、何だか深刻な問題意識に襲われてしまった。
なので、カクヨムに2018年に載せた『「小説になっていない」とはどういうことなのか』の第二回として足す形で、「吉村昭の熊小説と熊の実際」を書いた。
「どんなものなら小説になっていると言えるのか」っていうのは、かつて夏目漱石の『坑夫』を読んでから、「小説になっているのは良いことなのか」ということと同居して、いつも頭の片隅にある、私にとっては馴染み深い問題です。お暇なら読んでネ。
1972年に発行された『カード古典文法』という本がうちにあって、著者の青木一男は高校教諭だけあって学校教育向けの内容で、「こうだ、こうだ」の羅列で、これじゃ憶えられても理解できはしないよね、というそんな感じの反省から、藤井貞和『日本文法体系』という本は生まれたのだろう。2016年の発行。
この本では、助辞/助動辞を中心に、個別の説明ではなく体系的な記述を試みている。例えば語尾に付く「き/り/し/む」は、それぞれが関連を持っていると考える。そして「り」はアリのアが落ちた形であって、…[全文を見る]
平常、ロフトベッドの下の机に山と積まれていて、
大停電地震の時にはどしゃっと崩れたりした。
その本を整理するために、ようやく窓の下に収まる低い棚を二台。
押入れ収納ボックス(楽天市場/BONBON)
だいぶスッキリしました。
…[全文を見る]
日本人はあまり手の込んだ料理をしない。自然が豊かで、新鮮ですぐ食べられる食材があることが前提になっている。味付けはだいたい醤油か味噌で、どんな料理でも旨味で全体を締めることに変わりがない。新たに海外から調理法や調味料を取り入れても、アミノ酸で食べるような日本的なものに造り替えてしまう。こうした味の単一性が、価値観や行動の幅の狭さと結び付いていると著者は謂う。
食文化の本かと思ったら、これはむしろ文明批評か。出版から半世紀近く、日本人と食はどのくらい変わったか。
今読むべき本がわが本棚にあった!
ロシアとあるけれど、主題はロシアとともにある世界の全てと言って良いだろう。1991〜92年頃に行われた対談の記録。
ロシア的世界は、文明社会の始原的なるモノを多く抱え込んでいると思う。一人の人の中にも自然的なものと文明的なものが共存しなければならないように、この地球にはロシアがある。ロシアの中にもヨーロッパがあり、アジアがある。キリスト教も仏教もイスラム教もある。これは歴史的に言えば、農耕的世界と遊牧的世界が隣り合い対立し共存し絡み合ってきたことの、遺存であり現在だ。