宇田川先生があれているとしたら、それはきっとこの物語に蔓延する「男と別れたから荒れている」といわれてしまう空気に荒れているんですよ…きっと(笑)「これからは仕事に生きます」って醍醐さん、あなた、この中で誰よりもいろんな意味で仕事を当たり前にしてきたじゃないですか。
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花子とアンのことを語る
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掘ってほしいエピソードは全く掘ってくれないのに、掘らなくていいエピソードは掘りまくって穴だらけにして、おまけに石炭王も穴に落とす始末。でも大丈夫!だってこれまで醍醐さんはその穴に落とされまくってるけど何度も穴から這い上がってきてるから。石炭王、がんば☆
もうほんと、ヒロイン醍醐さんでいいよ。ていうか、醍醐さんがいいよ。女学院の友人達に声をかけてお金を集めたエピソードをやってくれた方がずっといいよ。結婚を夢見た華族のお嬢様が編集者になって、あの村上花子を世に出した女性として、醍醐さんの一代記やってよー。
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「サプラァイズ」と発音する事で、”だってサプライズの和訳として「驚く」っていうのがあるんだから”でいけると思ったんでしょうか…!
いや、行動としてサプライズ求婚する人もいたかもしれないけれど!
まあまあまあまあ、「サプラァイズ」「やっちまいましたね〜」の言葉のチョイスのむかつく事と言ったら…!
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あら…人から借りた(んだよね?)(たぶん)貴重な本に、あんな折り目を…(小姑っぽい?)さすが花さんですよ。
最後の方でやっと恋愛以外のエピソード来たかな、と思ったけれども、もう、前半でおなかいっぱいです…。
醍醐さんを無自覚に当て馬に、適当にあつかったりしたらゆるさなくってよ…
中園さんとスタッフの相性も悪いのかもしれないよなー。ひたすら恋愛モードな割に、恋愛脳の痛い所とか、恋愛の負の部分は描こうとしないからなー。それがなんとかかんとか描かれてるのが蓮子パートだけっていう。
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「覚えてねえ」っておとうが言ってた時点で想定していたオチではあったわけだけれど、実際画面で見るとあまりにも能天気、恋愛脳、お花畑すぎて、はいはい撤収撤収という言葉しか浮かばなんだ…。もう何度も目にしてきたけど、村岡花子の自伝はいつになったら始まるんだろう。これ、ご家族はどういう感じで見てるのかなー。恋愛ドラマとしても果たして面白いのかな、これ…。
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白連パートが面白いのは脚本家が恋愛ベースの物語が得意って言うのと、蓮子の好感度を気にしなくて良い(ある意味吹っ切ってる)って言うのと、吉田鋼太郎の芝居がいいっていうのが大きいなあ…蓮子のほほをつかんだときの伝助の顔…!なんて切ない顔だありゃ。
花子側の恋愛脳には辟易としてる。
これ、村岡家の人たちは、どういう気持ちで見てるのかなあ。花が、「男って…!」と怒りを爆発させるシーンは、花がこの時代の女性としては、恋愛に対してリベラルであるとか、勉強ばかりで恋愛に興味がないとか、そういう風に書かれていれば生きるシーンだと思うけど、相変わらず台詞と設定と、演技と演出と、脚本と実際の村岡花子像がちぐはぐすぎて。
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おとうのエピソード、全く笑えないし、愛する事も出来ないよー。きつい。
なんだ。なんなんだよ。
「女学校出したのは英語を使って広い世界で活躍してもらいたいと思ったからだ」
って、そのしわ寄せ食って、おとうのいう「狭い世界」で貧乏に喘いで暮らしていかなきゃいけないおにいやももやかよは、それをどう聞けばいいの…?なんだこれ。なんなんだよ、もう。
「怒り」や「涙」があるってことは、「愛情がある」という描き方なんだろうけど、全然そこに共感が出来ないから、辛い。
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唯一「あ、見たい」と思える部分が蓮子パートなのは中園さんの恋愛脳が遺憾なく発揮されるからであろう…。
村岡印刷VSはなパートもずいぶん生き生きしているじゃないか…。
最後のお友達との写真、遠目から見たら、テッサがうつっていたようじゃないか…
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あの甲府の人たちは、霞でも食べて暮らしてるんじゃないかしら…
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物語の登場人物を受け手と倫理と道徳でジャッジするのって、本当に意味がないことだと思うんだけど(好きだの嫌いだのは別)…この浅慮で無神経なお嬢さんたちを、「思い通りの運命に賢いおつむと想像力で立ち向かう、けなげないい子」「この時代にありながら賢いおつむと想像力で現代的な価値観を持つ子」のように書くのはやめないか…。
他の兄弟姉妹と明らかに格差のある生活をしておいて、ただ一人教育にお金をかけてもらってるという状態で、アルバイトをしても特に仕送りをするわけでもない、って。(そしてそれを嬉々として父親に報告して喜ぶ父…いや、あの父は、ばか…[全文を見る]
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あーびっくりした。たくさんの人が書き込んでいる、とわかっているお題クリックしたときに誰もいない驚きよ。
「花とアン」ってお題に書き込んでた。「花とアン」…「花より団子」みたいなタイトル。花か餡か。餡だなー。
醍醐役の高梨臨ちゃんは、名作と名高い(松阪桃李主演の)シンケンジャーでしっかりもののシンケンピンクを演じていた子なんだけれども、特撮俳優が特撮後、民放深夜で露出を始めて朝ドラで一気に爆発、って言うのは完全にパターンに入ってるので、(そして、女子にはあまり見られないパターンなので。だってまず女子の絶対数が少ないからね)このまま乗っていってほしいです。醍醐さん、酷い扱われようだけど、好きな人はたくさんいると思う。
あの酷い描かれ方が、醍醐さんの美徳をクローズアップさせています…はっ。そのため?いやいやいやw
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「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香る」っていうのは、
家という「名前」を象徴するものを、捨てるの捨てないのって話だよね?ロミオとジュリエットは家が敵同士、だから、この家(名前)を捨てるの捨てないのってやり取りは重要ではないのか。「愛の為に名前を捨てて!」
「あなたがどのような名前を持とうと愛しています」って言う意味なんだよね?
アンと花子の感受性が合致した事(アンが、シェイクスピアを読んで、そう書いてあったけど、そうかしら?と疑問を呈すわけだから)を書きたいばかりに、肝心要の「ロミオとジュリエット」の物語自体が破綻してる…[全文を見る]
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でたよ。安易なブスいじり。あれをやるには、かをる子様がきちんと「素敵」じゃないといけないんだけどそうは描いてない、モブにしたままキャラクターだけたたせてブスいじりされてもねー。
あそこで、蓮子さまが、級友に一瞬でも頭を下げるなら、まだ、ああなるほど、と思う所もあったと思うけれど、プライド高くてこじらせてるという描写であるにしろ、あそこであれが通っちゃうって言う所が、都合がよすぎるでしょう、って事だと思うんですよ。