「授業中誰かがモノを落としても拾ってはいけない。誰かが拾ってくれると思ってまた落とすようになる」と言ってた小1のときの担任を思い出した。
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くたびれ はてこのことを語る
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個々を重んじる気持ちがあれば全体主義もけして悪く無いと思うんですよ。人の家の子もうちの子もみんなの子的な。私は個人主義は隣人愛とセットにならないと社会が成り立たないだろうと思っているのですが、表面的な個人主義だけ真似ると情けは人の為ならず文化が廃れてしまいますね。
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「『草臥さんのお弁当、いつも美味しそうですね』って言われたよ」
「『今日も美味しそうですね』って言われたよ」
↑この人がいまわたしのモチベーションを上げている。
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援助交際という名で少女売春が騒がれるのは、どこかにある少女売春組織の市場取引価格が暴落するからかもな。
ソープランドもデリヘルも取り締まられず、ポン引きやちょんの間が取り締まられるのと同じように。
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ヨーロッパのお伽話では美人の描写によく「丈高く」というのが出てくるのに対して、日本を含むアジアのお話では美人は「小さな手」「小さな足」をしている。あちらのお話ばかり読んで大きくなってよかったなと思う次第です。
「低い声」というのも美人の特徴の一つになっている点も見過ごせません。
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率先してやっていいこと、自慢することでもないけど、社会的には褒められるべきこと、という認識だと感じます。見知らぬ人のベビーカーを階段で運んであげるような。日本だと「怪我させたらどうするの」って感じ。
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ボランティア活動はお金持ちのたしなみのようですが、養子を引き取るというのもその一環なのでしょうか。子ども欲しかったら養子を貰えばいいと単純に考えていたのですが、調べたら法的なハードルも、親族家族の複雑な心情もあって、日本は養子がもらいにくい環境なのだと痛感しました。それにしても、映画の感想を読んで「養子をもらうなんて」と批難されるほどかと驚きました。子育て自体社会に求められるハードルが高いのかもしれないですね。
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いじわるな継母から見た白雪姫の話かな、と思った。
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「ちゃんと育てられるの?」「もういるじゃない、もっと必要なの?」「最後まで面倒を見られるの?」
ペット感覚なのかなあ。
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「障害者は本来天塩にかけて優遇されるべき存在」という認識の人は、障害を持っていると自称する自分とあまりかわらないように見える人をそねむだろう。また、自分に何らかの障害がありそうだと思ったらそれを周囲に強調するだろう。優遇されないことに不満も持つだろう。そして、生活に不自由を感じることのある自分が優遇されないのに、障害を持つ人間”ばかり”優遇されるとは不公平だ、待遇を公平にすべきだと言うだろう。
障害があろうとなかろうと、社会生活を送りやすくするよう各自工夫し、共同するというのがほんとのところだと思う。
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障害を持つ子どもがいるのに養子をもらうなんてどういう神経だ」というコメントが、ちょっとびっくりするぐらいあった。経済的・体力的な余裕のある家庭が、施設から養子をもらうことのどこに問題が?
中には「障害をもつ子どもはふつうの子の何倍も目も手もかけてあげるべき存在」とまで書いてあるブログもあった。こういう考え方をする人のほうが、現実には障害者にあまり手を貸さないのではないかと思う。
障害という言葉を、何か決定的な勘違いをしていると思う。
恐ろしい天才的な美少女に人気が出るかと思いきや、障害がある幼く無力な子ども子どもした妹役の人気がものすごくて驚いた。その雰囲気に正直ちょっと引いた。
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「子どもがいるのに親がさほど見つからないように気を付けている風もなく大胆にセックスしてるが、あれはなんだ」というコメントが多かったのも、フランスやアメリカでは違う反応だろうなと思った。”円満に行っている夫婦は語り合い、愛しあい、セックスする”という前提があれば、家の中でセックスする夫婦は衝撃的な存在ではない。
「子どもにセックスを見せつけるべきではない」。それは大人でも同じだ。人のセックスなんか無理に見せられたらショックを受ける。でも子どもが勝手にのぞいてるというのは事情がだいぶ違う。子どもはふつうそんなことを好まない。そこが怖いところなのだと思う。あの場面でも受け取り方が分かれるだろうと思った。
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かわいいおばけ”キャスパー”がアニメ顔だったのもきっとそのせいだ。
大人にならない子どもは、どんなに大人しく好意的でも、西洋では恐ろしい存在なのだと思う。
”シャイニング”の子どもの幽霊とか。
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平和な家庭で幼い少女が娼婦のように男を誘ってくるという場面をどう感じるか。
平常運転ではないという普遍的な怖さがそこにはある。
しかしその先に感じる恐ろしさは、文化的背景に強く訴えるものだと思った。
あの映画を見終わったあと、違う文化を持った人同士がどんな会話をするかを考えると興味深い。
一部の日本人男性は、「騙された」と言うだろう。
欧米の文化を持つ人々ももちろん「まさかあんなこととは思わなかった」と言うだろう。
でも、「騙された」という言葉が何を意味しているか、欧米の人々の大半はわからないとおもう。
そして日本人女性の大半は、彼らが何をさして「騙された」と言っているのかよく理解できる。
特にインターネットをよく利用する人なら。
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小児性愛者、小児性愛行為に至る人がどのくらいいるかによらず、小児性愛を公に強く嫌悪する土壌が欧米にはある。
日本は近代に入ってその考えを輸入したものの、背景はまったく違うので、未成年者を性愛の対象にすることは「誰しも思う自然な感情ではあるが、現代的でない」という程度の認識が強いように思う。「自然な感情を抑制しえなかったことが間違い」という感じ。
歴史的に国をあげて公の売春文化を築いていたという背景があるからこそ、日本の風俗産業はあれだけ高度に発展している。売春婦は蔑まれこそすれ、公に売春の文化を持つことを恥じていると口にすることは推奨されないし、売春についての話題は明るい。AVがアイドル産業と密接に結びついて華やかなのも、そういう背景があるからだと思う。
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こう考えると、アジアの子どものお化けはおどろおどろしくならざるを得ない。
”かわいい子どもは誰だって好き”という文化で子どもの幽霊は悲しみを誘いこそすれ、恐怖を煽りはしないからだ。
西欧社会が子どもをいつまでもそのままに止めようとしないのは、「子どもは小さな大人」という貴族の文化が背景にあるのかもしれない。生まれた時から大人になるまで「サイズこそ違えど同じ大人」、という考え。ほかのアジア地域がどうなのかよく知らないけれど、日本は出世魚みたいに、段階的に大人として認めていく文化だ。
そういう背景を考えると”ロリータ”も、欧米では稚児の文化があるアジアとは違う狂気と暴力性と異常さを表現した小説だったと思う。
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”エコール”では脱走を計って溺れた少女が火葬されるシーンがある。
火葬が聖書的な裁きや魔女狩りを連想させる文化では不気味で懲罰的な意味のあるシーンだ。
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ブレアウィッチが上映されていたころ、兄が「あれは欧米の森に対する恐怖がわからないと意味がわからないと思う」と言っていた。「夜、森に入るということ、それ自体が気違い沙汰だという共通の概念が西洋にはある」。
”ナニー”というホラー小説で、恐怖の乳母が、親のいない間にあずかっている乳児と一緒にお風呂に入ってしまう場面があった。
赤ちゃんとお風呂なんて日本ではほのぼのした場面だけれど、”一緒にお風呂”に性的な意味しかない欧米では乳児に対するセクシャル・ハラスメントを匂わせる恐ろしいシーンだったのだと思う。
この本では雇い主の夫が寝込みを…[全文を見る]
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日本は座敷わらしを幸運と結びつけて考える文化を持つ国。
永遠の子どもというのは怖い概念ではなくある種妖精のような、理想の存在。
そういえばヨーロッパの妖精って子どもじゃないね。
ホラー映画によくある子どもの幽霊、ハリウッドでは顔立ちもよく上品な服を着ていたりする。
いつまでも大人にならないということ自体、すでに怖さを感じさせるのかもしれない。
日本だったらいつまでもあどけない上品でかわいらしい幽霊は愛玩対象だろう。
だから呪怨のとしおくんはパンツ一丁で白塗りお面顔にならなきゃいけなかった。
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大人になれない・大人なのに子どものような振る舞いをするというのは欧米では不気味なことなんだね。ドローレス・アンブリッジ先生の少女趣味も不気味な象徴として描かれていたし。”コルテオ”で老婆のようなしわくちゃの小人が、とても甲高い子どものような声で笑っていたけど、あのギャップの奇妙さはわざと強調されたものだったんだな。
/くたびれ はてこ