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Tips:横着して自分に楽な書き方をすると、第三者には「何について」言っているのか分かりにくい文章になるよ。
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七・七・七・五しりとりのことを語る

タコが言うのよ

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虚無のことを語る

虚無CA DU MODE

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自分(id:gustav5)のことを語る

意見が真逆のとき、差異がはっきりして、歩み寄れる可能性がないわけではないことはある。ほんとに歩み寄れない時もあるけど。
で、意見が対立しててしちめんどくさいのは
1感情がからんでくること、
2理屈ではなくて最初に結論というか決めつけがあること、
3プライドがある場合で、
それらが単独なときもあるし複合するときもある。2はデータを示せばひっくり返ることがあるんだけど、3はおのれに自信がある人ほど自説を曲げにくく(でも曲げてくれることがある)、1は報復の意思が混じってることがあるのでとりつくしまもないことがある。
で、いちばん厄介なのはこういう泥臭いことをみんなやりたがらない。めんどくさいことを放置する社会になった気がしててとそのうち緩やかに崩壊してゆくのではないかなあ、とおもうことがある。

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意見が真逆の人にはどう対処すればいいですかのことを語る

まーギャグにする、
というのは冗談で、対立点というか差異がはっきりしてれば問題の所在がはっきりしてるので、それが解決できればなんとかなる可能性が高いです。なんともならないこともありますが。
いちばん厄介なのは理屈ではなく感情的なこじれがあって意見が真逆になってると、しばらく対処のしようはないと思います。

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適当写真の墓場のことを語る


中禅寺湖南岸から雲隠れする男体山(たぶん)

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自分(id:gustav5)のことを語る

皇室の建築を見学する機会は宮内庁に入るか御用の工務店に入社するか以外はよほどのことが無いので、建築にいくばくかの興味がある方はぜひおすすめします。

部屋数は百以上。御用邸でなくなったあとも修学旅行生用宿舎などに転用されてた時期があり、その後栃木県が総力を挙げて修繕し、いまに至ります

いまの天皇も疎開先として田母沢にいた時期があり、防空壕もありました。近隣に古河電工日光工場があるのでいつ空襲が来てもおかしくなく、田母沢から戦場ヶ原の奥の湯元へさらに疎開することになります。一昨年、去年、今年と田母沢を再訪したい旨栃木県に内々に打診があって準備もしてたそうなのですが、いまのところ叶わぬようで。ふつうのおじいちゃんだったら東武の特急で気軽に行けるんでしょうが、ふつうのおじいちゃんじゃないがゆえに、難しいのかなあ。

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自分(id:gustav5)のことを語る

和紙の貼り付け壁って書いたのですが、薄板を水平に打ち付けた木ずり下地の上に紙を場合によっては11枚くらい張り付けてあるのです。通気性が確保でき、皇室の建物のいくつかに採用されてるのだそうで、でももともとは田母沢がきっかけなのだとか。

栃木県が修復した段階では栃木ではできず越前や西宮名塩の和紙職人にお願いした、とのことでおそらく明治期か大正期も越前や名塩からとりよせたのではないか、とのことでした。

大正天皇が病を得、なんて書いたのですが釼璽の間というのがあって剣と勾玉を奉納する場所が作ってあります。三種の神器のうち剣と勾玉をもって日光に来てたのかもしれず、歴史上あんまり登場しないものの大正天皇はけっこう長期に渡り、静養してたのかなあ、と。

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[日光田母沢御用邸記念公園]
マニアックなのでidページに。
銀行家の別荘を明治時代に皇室が大正天皇の静養のために買収し、戦後まで御用邸として機能していた跡をそのまま保存修復してあるのですが、とても興味深いところでした。

むりやり年代別に分けようとすると
1銀行家の別荘だった明治時代の建物
2江戸期の紀州徳川家の中屋敷の建物を移築したもの(紀州徳川家の中屋敷はいまの四谷の迎賓館のところで明治のご一新のあと仮御所や東宮御所になってて、迎賓館を建てるとき資材を日光に持ってきた)
3紀州家の中屋敷が皇室のものになってから明治期に東宮御所や仮御所…[全文を見る]

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七・七・七・五しりとりのことを語る

トマト買う

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自分(id:gustav5)のことを語る

勝沼も諏訪もそうだったのだけど、小旅行に出かけて帰ってきてハイクに写真をアップしようとすると当該スレにはたいていプール雨姉さまがいらっしゃることがある。いま日光をみたらやはりいらっしゃった。ちょっとびっくり。

でもって日光に行っていました。イワナです。旧日光養魚場というところにも行ってて、一部が一般開放されててイワナやチョウザメ、ニジマスのエサやりができます。今回はじめて知ったのですが明治期に奥日光にマスやイワナをはじめて放流してからこちらマスなどの養殖が続いてて、現在日光養魚場のなれの果ての奥日光の中央水産研究所はサケ科を中心に淡水の魚類の養殖や改良の中心的研究機関なんだとか。
日光に金谷ホテルってのがあってニジマスのソテーが名物料理ってのは知識として知っていたのですが、今回知識が点から線に広がりました。広がっても実生活には役に立ちませんが。

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うう、こっち見てる^^;のことを語る

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建物の写真のことを語る


当然ベランダも杉皮と竹で構成されています。

中禅寺湖の眺めも良いです。桟橋がありまして、おそらくヨットやボート遊びをしていたのではないかと

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建物の写真のことを語る


同じく中禅寺湖南岸の旧イタリア大使館別荘(いまでもベルギー大使館とフランス大使館別荘が中禅寺湖南岸にはあります)。1928年築、97年まで現役で、設計はチェコのアントニオ・レーモンドですが日光の大工が建ててます。外壁は杉です。

内装も杉主体で、天井一面、杉皮と竹で細工してあります。その空間にイタリアから持ってきた家具が置いてあって、でも全然違和感がありません。

壁面も杉皮と竹で細工してあります。

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建物の写真のことを語る


中禅寺湖南岸の旧英国大使館別荘。08年まで現役だった建物で、いまは日光市が管理しています。明治29年に御料地にアーネスト・サトウが建てたものを大使館が別荘にしたという経緯があって途中で増築したことがわかっています。当初の図面が残っていません。黒色が緑に映えていいのですが、戦前は違う色だったようで。

ジョサイア・コンドルが助言して作ったともいわれている野面石積み(たぶん別荘を作るためにむりやり造成したのか)

二階からの眺めはとてもいいです

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中禅寺湖

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七・七・七・五しりとりのことを語る

いそべ餅5個

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俳句のことを語る

ひまわりの垂れし頭を叩く雨

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七・七・七・五しりとりのことを語る

でーりゃーうみゃあ

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うちの電気羊が…のことを語る

羊たちが黙って動かなくなってしまったらしい。まさにヒツジたちの沈黙。そいつは大変だなあ、と同情してたらおたくの電気羊を貸してくれないか、っていう電話が。え、ちょっとまて、電気羊を動物園で展示して良いの?違う?ああユザワヤ?編み物させるってえーそんなのムリだよー
そこで目が覚めた。電気羊かってなかった。

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自分(id:gustav5)のことを語る

はやめにでたんだけどカバンの中にラジオとイヤホン忍ばせて朝、JRの中では810のAFNを聴いてた。ずーっと音楽が流れていた。NHK第一の緊迫したのとはえらい違いで、アメリカは案外ミサイルをなんとも思ってないのかなあ、と。たぶんグアムに飛んでったわけではないからかもなんだけど。