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id:usaurara
うさのことを語る
id:usaurara
id:lieutarのことを語る

>観念をこねくりまわしておきたいオイラと、具体的な運動として考えられている usaurara さんとの意識の差なのかな
 と思いました。
 
いや、私は一介の主婦なんで「運動」とまでは云いがたいんですけどね^^;
でも齟齬がそこにあるのは確かだろうと思います。あと、二次的には自分の中に湧き起こるフェミ的な感情でしょうか。
 
>尊重ですらケースバイケースとおっしゃられるのは、表現規制が客観的にアウトだと確信を持たれた上での事、
 ずっと続けられている議論への誘導はその確信を伝える為の事と理解しても良いですか?
 
はい、そういう感じです。
 
>(議論…[全文を見る]

id:usaurara
「LO」9月号の表紙が、怖い。 - たまごまごごはんのことを語る

>「表現はあらゆる読み解きが可能だと言う前提」に立つのは、表現者の態度であって、表現の受容側が俺様解釈の上で
  勝手な糾弾をして良いと言うことではないと思うのですけどね。
 
この意味がよくわかりません。
今問題にしている「読み解き」とは受容側の解釈のことです。
ですから私の主張は、「俺様解釈とそれによる心理的苦痛を表明することはしてよいこと、むしろするべきこと」です。
かといって法的措置を要求する態度については賛同したくはない、といったところでしょうか。
 
↑この部分でlieutarさんは違う意見をお持ちなんですか?
 
あと、それ…[全文を見る]

id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

>関係性の築き方が、昔と今では違う
 
うん、端的に物理的距離や生物的条件に拘束されない関係が築かれていくよね。今こうしてしゃべってんのがそうで。
「問題になる」というのはそれ自体ではないよね。それに付随して起こってしまう現象がこれまでの社会構造では
はみ出してしまうような場合があると「問題化」と捉えられるってことでしょう。
 
↓こういうの、みっけ♪  もう人間いらなくね?w  
http://h.hatena.ne.jp/fishmanz/9234278210959359536

id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

>工場萌え・廃墟萌え
http://jp.youtube.com/watch?v=U47AW_R2vSE
id:ss-rainさんとこでもらってきた^^ 
(ここ、どこだろうね。ガスマスクしてるから毒ガス島?と思ったけどあそこはここまで寂れてないしなぁ。)

id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

斉藤環さんの「否定的自己愛」は、、、。(本返しちゃったんでテキトーですいませんなんですけど^^;)
 
日常生活では承認欲求が満たされないでネットで自己否定の書き込みを延々繰り返す若者が
ロスジェネ以降の世代に大変多い。人生の完全な負けとそこからの脱出の不可能を確信して、
ネットで自傷的書き込みをすることで気持ちを紛らわせているケースがとても増えてる、、、というような文脈だったかと。

 
で、私が「自立が難しい時代」と言ったのは経済的・精神的両面で独立するという普通の意味です。
新卒者がそんなにあぶれないで就職できて、そこそこ人間的…[全文を見る]

id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

>>たとえば「死んだ母さんが悲しむ」とか「ご先祖様に申し訳ない」とか「お天道様が見てる」とか^^ そういう言い方をするもの。
 
>そうねえ…。例えば、ここらあたりは「電車男」(←ネタが古くてごめん)だったら「エルメスが悲しむ」「エルメスが見ている」とかでもいいんじゃないかな。
 これをさっきの僕のレスとつなげるとどうなるか。「ほんとうのこと」を志すことができなくても、結局はそれに囚われている、というのは、「大きな物語」を信じることができなくても、結局「(自己の一部たる)他者の視線」には囚われている、と言い換えてもいいかもしれない。…[全文を見る]

id:usaurara
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>リセットを願望することと、それを“きっちり”実践することは違う。プチリセットみたいなこともありえますよね。ちょっとしたリセット的なことを日常的に繰り返す、みたいな。
 
というか、殆どの人はそうして生きてるよね?
 
>「ほんとうのこと」に囚われているという“消極的な”状態でも結構生きられると僕は思うんだけどな。
 
「ほんとうのことがあるはずだ、という幻想に囚われているだけ」ということを自覚するということなら
私が言ってるのはそのベース部分は同じ意味だと思うよ。
でも「人はどのみちそのようにしか生きられない」と諦めるなら、「私はこうありたい」を狂信(という言い方は悪いけど)
したほうが楽ではあると思うんですよ。ただしそれは自分についてだけね。他者には一切求めない。
・・・・・ということがなかなか困難で、それはそれで難しいよね。(という反省文w)

id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」ですねw
これ、小説の中の文句らしいけど、こんな人間として普遍的条件を「男は」とかって
「何そのダンディズム・・・(大変ですのねー)」と思ってしまうわw
まあそんなんにまでいちいちイチャモンつけるの大人気ないから言わないけども^^
 
>生きていけない→生きていく資格がない  へ転化しやすい
 
一番は経済的な問題なんだろうけど。日本の経済が好調だったらフリーライダーにそんなにガミガミならんよね。
あと周囲との関係性が希薄になると存在確認、承認が得にくいからそういう非難にあったときにどんどん内面化して
マイナス方向にスパイラルしてしまうんだろうなあ。

id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

ようつべ散歩中にこんなん見つけたので萌え関連でここに貼らせてねー^^
>ロシア~東欧萌え、工場萌え、アンドロギュヌス萌え
http://jp.youtube.com/watch?v=gYgZbSbEvO8

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id:cloud_leafさんが今日のエントリーで創世記の話してますよ。で、次回が山場のようですね。
 
>もし現代がそういう時代でないのだとしても、人が、「自己」が存在しないにもかかわらずあらゆる他者に「自己」を見出さずにはいられないように、「ほんとうのこと」はさまざまな他者に(他者との関係性に)宿ってしまう
 
このあたりとシンクロするんじゃないかな、と期待してます^^(フヒヒ)

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id:usaurara
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>人は幻想から逃れられない」というのは、例えば「人は物語から逃れられない」という風に言い換えも可能
 
そうですね。「自分の美学にしたがって生きるという物語」がないと、生き辛いんじゃないかっていうことです。
 
>何かを志そうが志すまいが、人は自分の力の及ばないところで、勝手にエネルギーを充電されてしまう。
もちろんこれはうまくいけばの話です。だけれども、基本的に自分が生きるための薬を自分自身で「完全に」処方することは不可能。自分以外に誰が処方するのかと言えば、それは他人であったり偶然であったり、自分の気まぐれだったりする。
 
清水…[全文を見る]

id:usaurara
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>「リセットを繰り返して生きていく」ということの意味がよく分からないのだけど、これは東浩紀や宮台真司あたりの言っていることなのかな…。

いえ、特にどなたかの論をなぞってるんじゃないです。単に人間関係を一旦ホゴにして、設定しなおせたらいいのにという願望。

>また、「ほんとうのこと」があると志して生きるというのは、なんらかの幸福論を打ち立てつつ生きるみたいなことでしょうか。ちょっとニュアンスが違うかもしれないけど、物語を否定せずに生きるみたいな?

何でもいいんですけど。既成宗教でも、独自の神と似たものでも。たとえば「死んだ母さんが悲しむ」とか「ご先祖様に申し訳ない」とか「お天道様が見てる」とか^^ そういう言い方をするもの。そういうことを言うのは何らかの「べき」を自ら信じているってことですよね。美学、とも言い換え可能です。
 

id:usaurara
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>自己や自己に属するもの(恋人、友人、家族、世界)に対する幻想からは、人は逃れようがない。おれは幻想なんか抱いていないよ、と思ってもふとした瞬間に、そうではなかったことを思い知らされたりする。
 >こういうような心性は、世代を超えて普遍的なものではないか?で、僕はこういうようなところから、逃亡や自由の求めが出てきてもおかしくない気がしている。
 
それは普遍的でしょうし、そこから逃亡、自由への欲求が生まれることは充分にあるでしょうね。それは誰でも実感としてあるんじゃないでしょうか。(それとも実感ないですか?か、もしくは違うこと言っ…[全文を見る]

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>自己や自己に属するもの(恋人、友人、家族、世界)に対する幻想からは、人は逃れようがない。おれは幻想なんか抱いていないよ、と思ってもふとした瞬間に、そうではなかったことを思い知らされたりする。
 
同意です。そういうことを私は人間すべてに、というか事象すべての認識について基底に置いているつもりなんです。それはもう二十歳くらいで既にそうでした。だからすべては自分の受容の問題なんだな、と。
 
さっきダイアリーの下書きしてたんだけど、宮沢賢治の有名な序文がありますよね。あれってそういう感覚を書いたものなのかと私は思っているんですが。あれは「ファンタジー」についての言及ですけど、もっと広範に広げて考えられると思うんです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43735_17908.html

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>理論的に世代論を否定しているわけではなくて、単純に実感としてよく分からないんです。これは僕が同世代の人と、継続した関係性を築いてこなかったことが原因かもしれない。
 
いや、ごめんなさい。安易なことを。あ、でも前からちょっとどう感じてるのかは聞いてみたかったのですよ。へんなカンチガイしたりしないのわかってるから簡単に聞いてしまったんだけども、こういうとこでは同様の属性の人が読むことも考慮に入れないとね^^;「わからない」ってのは率直な回答ですよね。
 
>「社会の中でまっとうな位置を占められないのだとしたら、いっそ脱社会化したい」というような理路でつながっているとも想定できる。「自分の状況が惨めだから世間の目が冷たく感じる(から脱社会化したい)」というのも想定できるし。
 

今ちょうど大澤真幸さん編集の「アキハバラ発」を借りて読んだとこだったので、↑こういう想定でした。

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>「・・・紙吹雪などというもの、ほんきで使うものではない。芝居だとこころえたうえで、わざと使うのでなければ、美学どころかただのゴミである」
 
辻さん、ステキですね。

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>ブクマコメントについて言うと、僕にはこの絵と現実の自爆攻撃を結びつけて考える感性がよく分からない。

そうなんです。私も何だろう、このコメント群は・・・って。『言葉を失って立ち尽くす』なんて言ってる人みて立ち尽くすわーーw

>この絵の物語にひたるのとファイナルファンタジーの世界にひたることに、どのような差異があるのか、と思う

FF(ファイナルファンタジーの略)的フィクションと現在進行形の戦争報道とを、これってもはや肯定的にオーバーラップさせよう
という意図がありますよね、作者には。そこに全く違和感が無いのが今のパソコンユーザーのマジョリティなのか、、、って
ちょっと「見せ付けられた」感じがしたんです。

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>「マイケルK」

読んでないけど、、、、その説明だけ読んで「管理されない場所」「見捨てられた場所」が好きって聞いたら
それってあなたの年代の(ロストゼネレーション)背負っている心的傾向――資本や階層の固定化で希望が無いことで抱いている閉塞とそこからくるモラトリアム――そのものに読めるんですけど。。。 そういう「寄る辺なさ」?