おそらくは、自分が初めて「これは周りで話されていることばと違う、おもしろい」と思って真似したいわゆる方言は、キレンジャーの「まかせんしゃい」だ
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お年玉で購入するファミコンソフトを選定するにあたり、定評のあるスーパーマリオブラザーズと天秤にかけて、スペランカーを選んだ私は、「発光ダイオード」ということばをそこで覚えた。
また、カセット裏側のラベルに名前記入欄があったので、ボールペンで姓名を記入した。
ファミマガ掲載の「無敵技」を試すのに数時間を費やし(横綱技がウソ技だなんて!)、そのせいで、岩を破壊せずに飛び越える「友情ジャンプ技」(1コン、2コンを同時に使うことから命名されていた)も疑ったが、姉の協力を得て実現し、驚いた。鍛練し、一人でできるようにさえなった。
ただし、岩を破壊するための爆弾は潤沢にあるし、飛び越えられるのは左から右方向のみなので、そのまま先に進めるときはまあ有効と言えなくもないが、引き返さなくてはならないときは、結局爆弾を使うことになるのだった。
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スイカを買うために尾花沢を目指していたとき、ますむらひろしの故郷が尾花沢だったら、ヒデヨシたちがいる世界はバナザアドになっていたのかなあ、[野球選手をねじ込むむ)あたりのお題に使えそうだなあなどと考えていたが、スイカが大きくてどうやって運ぶか考えているうちに忘れていた。
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ファミリーサーキットか何かの説明書でも読んだときに「FUELが減る」と書いてあって、これは間違って印刷されたのだろうかと思ったが、別のところに「FUELが増える」と書いてあるのをみて、ああこれは増減するものなんだな、どっちにしてもおもしろい(=駄洒落として成立する)なと思った。
ファミリーサーキットは、ジョイボールが実用に耐える数少ないゲームのひとつだった。
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小学校では、各教室を出た廊下に洗面台というか手洗い場というか、蛇口がぜんぶで10くらい据え付けられたそれがあって、暑い時期は、休憩のたびに、後頭部から水をかぶっていた。どうやって乾かしたのかおぼえていない。たぶん水したたらせていたんじゃあないか。
昨日から自宅で再現しているが、かぶったあと拭いてしまうのが悪いのか、あまり涼しくならない。
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それから「シミュレーション・ゴー!」と音読していたので、趣味レーションと読むことはなかった、というのは嘘で、シミュレーションだなあと認識したのは、スーパー大戦略リファレンスブック(たしか日本ソフトバンク発行の紙の書籍で、シリーズ共通のアイコンで、フロッピーディスクの封筒によく書いてあった禁止事項をもじって「濡らしてはいけない」「磁気に近づけてもよい」「ヤギに食べさせてはいけない」などと書かれていた)の表紙にstrategic simulationと書いてあって、どういう意味かと思って調べたことがあるから。
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「しがいせん」といえば「市街戦」、「デザート」といえば「砂漠」だというのをプラモ狂四郎で学んだ
ような気がする
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私は英語の人に、「そちらで押韻とかライムとか言ってるものは、つまりダジャレですよね?」と聞きたくてしょうがないのですが、なんか嫌がられそうな気がして言い出せません。やはり一度ずばり聞いてみるべきでしょうか。
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「人間が効率よく移動できるようにつくられた乗り物によって歩行者が迷惑したり死傷したりするというのは本末転倒」というのをどこかで読んでそのとおりですなあと思ったことがあります。
たんすの角に小指ぶつけてあの痛みなんだから、もっとでかいとか速いとか硬いものにぶつかると大変だということは想像できんかね。
移動するときは歩行者から運転手までみんな命がけで望まれたい。
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中学校の英語の教科書で「私は誰でしょう」式の問答をしている会話があった。
出題者から「私は明るい」「速い」などの手がかりが出てきて、どうやら答えは「光」だと知れる。
解答者が「You are light」といい放つ。
出題者は「You are right」と答える。
ああ、駄洒落で返したなと思った私は、帰国子女のヤスムラくんに「これ駄洒落よね」と聞いてみた。ヤスムラくんは「エルとアールで発音違うからそんなことはない」と言った。そんなことはない。
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今朝、電車で隣の席に座った+席が空いていなくてその対面に立っていた女子高校生二名は、なんつうか俺様のくらしの範囲外に存在する気配濃厚な二人連れで、何かの間違いで会話しなくてはならなくなったとしたら、おそらく時候の挨拶くらいしか材料がないだろうという第一印象だったのだが、その後の約15分間に聞こえてきた会話の内容が終始「心霊写真うんぬん」だったので、これなら30分くらいは会話できそうだと思った。
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私が、コンサルタンツ「ナントカ総研」と聞いて笑ってしまった背景には、怒号層圏のほかに、高校生のときに、どちらかといえば陰口として考案した「サルコン」というあだ名を入れ替えたのと同じ「コンサル」という呼び方が飛び交っていたことにもあったはずだ。
ちなみにサルコンは「隣の教室から、窓を伝ってこちらの教室に入ってくる様子が昆虫と猿を合わせたようなありさまだった→昆虫猿→コンサル→サルコン」という成り立ち。一歩手前で止めておけば、後にちょっとかっこいい気がする呼び名になっていたかもしれない。
そういえば、20年以上前には、別の級友を「カリスマ…[全文を見る]
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30年ほど前、私が所属していた(のだろう、ゲスト扱いではなかった)子供会では、いま思えば毎月定例会があって、それはきっと第一日曜日とかなんとかで開催日が決まっていたんだろうが、当時の私が定期的にやってくるものを認識する能力といったら、水曜夜のわくわく動物ランドが楽しみというのが限界で、月に一度、たいして楽しみでもないものが巡ってくる周期など認識できるはずもなく、おそらくは開催当日に母親に言い渡され、三つ年上の姉と連れだって出かけていたのだろう。
子供会は、通常は近所の市民センターの一室を借りて催された。定例会などと称する会議のまねご…[全文を見る]
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10年ほど前、勤務先が呼び入れたコンサルタンツの名前「ナントカ総研」を聞いた瞬間、怒号層圏(怒の続編)を思い出して笑った。
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最初に身近に感じたドイツはブロッケンJr.(シニアのころは読んでいなかった)
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虫歯の穴の中で破裂してひとつまみで死にかけたことがあります。
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ドンパッチをひとくちでたくさん食ってその刺激に耐えるやつが偉いというむきがあった。
指につまむ→それ二回分→手のひらに盛って→、と、増量していき、最後に一袋ぜんぶ流し込んだら、弾けたやつの行き先がなくなったせいか、かえって刺激が弱くなり、ただ粉っぽいというか破片っぽいというかなそれがしばらく口の中に残った。
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おれの「ハンパすなやーッ」体験はアカテン教師梨本小鉄なんじゃあないか
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牛丼屋でひるめしを食っていたら、レジだか自動ドアだかの動向に反射して、厨房から「ありがとうございました、またお越しください」と声が上がったが、誰も出ていかない。
そこでひとつ思い出した。
四半世紀前、最寄りのビックリマンチョコ取扱店であったリカー&フードショップすむら(より近くに位置したスーパーダイセー(経営者は大西さん)は、人気の面で大きく水をあけられたライバル商品、ドキドキ学園しか置いていなかった)は、その出入口の自動ドアに連動して、録音された音声が流れるようになっていた。
音声は「いらっしゃいませ」と、「ありがとうございまし…[全文を見る]
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おれの脱線好きは小学校5,6年のときの担任の脱線好きがきっかけだな