http://h.hatena.ne.jp/k-holy/228182824398825856
家の食べ物の話になると必ず「きなこのご飯」をネタにしてしまうのですが、学校で同級生に「なにそれ?」みたいな反応されたのが相当ショックだったようです。
Yahoo知恵袋を見たところ地方に関わらず例があるようですが、なんか一時期ブームでもあったんでしょうか。
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ホリィ(新人)のことを語る
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面白そうなのやってるなー
埼玉県立嵐山史跡の博物館 企画展「道灌の時代~戦国時代は関東から始まった~」
http://www.ranzan-shiseki.spec.ed.jp/?page_id=220
明日は黒田基樹氏の講演もあるようです。
しかし、室町時代の幕府守護体制の変遷を知るほどに「戦国時代」の定義が分からない、意味のあるものとは思えなくなってきましたが、今教科書的にその始まりと終わりをどう教えてるんでしょうね。
黒田基樹氏は東国における「戦国大名」論の代表的な方と見えますし、この方の本を読んでみないとなぁ。(と思いつつ西国への興味が勝るので手付かずですが…)
読みやすそうなのは洋泉社のこれかな。
戦国関東の覇権戦争
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そして加太線で淡嶋神社へ。
加太といえば今は砲台跡の残る友ヶ島が人気で、コスプレ趣味の方が撮影に来られたりもしてるそうですが(こないだTVでやってた)、時間がないのでスルーです。
加太港の町並みもなかなかいい感じでした。
キシモト商店
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南海和歌山市駅周辺は雑賀孫市で町おこし活動されているようです。
丸太からチェーンソーで作ったという、雑賀孫市像
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出水康生『怨みまするぞ信長殿』
普段から売ってるのかこの日限定なのか分かりませんが、大阪歴博の売店でパラパラと読んでみて面白そうだったので購入、著者は「三好長慶会」代表、徳島の方。
タイトルからして信長コンプレックスむき出しな感じですが、副題を「戦国おもしろ百話」として多少の独断を交えての三好氏関連エピソード集といった内容です。
阿波細川氏や三好氏については結構しっかりしてて、三好の時代から今に繋がるという視点で語られる阿波、祖谷山の話も面白いです。
ただ、信長や一向宗については2014年に出された物としては、ちょっと首をかしげる(…[全文を見る]
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そういえば故郷の奈良線には山城青谷駅と山城多賀駅がありましたわ。(まあ、あの路線はついこないだまでディーゼルカーが走ってたから…)
ちなみに青谷はたぶん山陰線の青谷(あおや)駅かな、多賀は常陸多賀駅と伊豆多賀駅があるみたいです。
本家の近江にはないのかと思ったら、近江鉄道の多賀大社前駅が少し前まで多賀駅だったようですね。
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http://h.hatena.ne.jp/yamagatama/81815793105258742
京阪神地域の人が「関西」って言う時、実は畿内だけを指しているケースが結構あるんじゃないかなと思いました。
Wikipediaの「関西」見ても結構あいまいな感じですね。
>関西地域振興財団では、福井県、三重県、鳥取県、徳島県を加えた2府8県を関西と定義し
そういえば「関西文化の日」に鳥取や福井が入ってて、なんで?って思ってたんですが、この辺が由来なのかも。
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あと初めて聞いた内容では、撫養隠岐守後家の阿古女という女性が都で阿波出身の武士を相手に金融業を営んでいて、長慶に敵対すると融資を止めたという話が面白かったです。
当時は幕府が徳政令を出すに当たって「分一銭」といって、先に債務の一割を幕府に納めた方の権利が認められる(貸主が先なら債務継続、借主が先なら債務破棄)というけったいな制度があったんですが、阿古女さんは良い情報網を持っていたそうで巧くやったとか。撫養は藍の積出港として栄えていたので、それで稼いでいたんじゃないかとも。
そして、三好氏で女性を採り上げるならまともな史料に出てこず実在が疑わしい「小少将」などよりも、この人と松永久秀の奥さんの広橋保子(武家伝奏・広橋国光の妹)を推してくださいとのこと。
何のことかと思って今検索してみたら小少将が「戦国無双」に出てるんですね。天野先生は結構お若いし実はそっち方面も詳しいんでしょうか。(笑)
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『当代記』や『北条五代記』を例に、江戸時代初期には三好長慶が畿内の統治者として評価されていたことは長慶本でも書かれてましたが、今回は信長の評価の変遷との対比が強調されてました。三好氏のことを知らない方にはこれがすこぶる有効なんでしょうね。
僕も谷口克広『信長と将軍義昭』を読んで一番疑問に感じた、義昭が京都を追放されただけで「室町幕府滅亡」とされている不思議についても触れられてました。
船岡山の建勲神社に代表されるような、明治政府が勤皇・軍事的カリスマの象徴として家康に代わって信長を積極的に評価したことが、そのまま現代の歴史教育に…[全文を見る]
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なんでこの時期にウダイ人について考えていたのかというと、とある商店街でBGMとしてあれがかかってたんですよ。ちょっと気が早いやろって思いましたけど。
別に暇さえあればウダイ人のことを考えてるわけじゃないので、念のため。
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ウダイ人の好物は塩鮭らしいですよ!!
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こないだ自転車こぎながら「赤いお顔のウダイ人」の謎について考察していたのですが、あれは「赤いお顔の羽大神」つまり関羽将軍のことなのではないかと思い至りました。
それはそうと、赤いお顔の方はウダイ人ではなくサダイ人らしいですね。作詞家の方も後で気付いて後悔したとかなんとか。
知らんがな!!
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さらに知らんがな
そもそも駅名に旧国名付けるのって、たぶん重複回避のためだろうから、早くから鉄道網が発達していた関西にそういう駅名が少ないのはしょうがないね。悔しくない悔しくない…。
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身長で負けても座高では負けない!とか
立位体前屈や伏臥上体反らしが得意!って思ってたけど
それって要するに…と気付いてしまったのは大人になってからのことでした。
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講座聞いてきました。講演の前に「我等の長慶公」という歌や、昨年南宗寺に銅像が造られた際に住職によって書かれた賛辞の詩吟などもあって、三好推しで頑張ってはる感じが良かったです。
天野先生の長慶本まとめ&補足説明が中心で、あまり地域限定の突っ込んだ話は聞けませんでしたが、約2時間の濃い内容でした。
最近のことでは「歴史秘話ヒストリア」の和食の回で、長慶本に書かれていた将軍義輝の御成における饗応の詳しい内容がNHK大阪(会場のすぐ隣)の制作スタッフの目に留まったようで、取材を受けたという話もありました。
先生の本を読んだことなかった人には…[全文を見る]
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慶安年間に妹背山が景勝地として整備された際、その向かいに芦辺屋・朝日屋という茶屋が建てられました。
明治の頃は料理旅館「芦辺屋」が多くの文人墨客に愛されていたそうですが、大正時代には新和歌浦の開発によって観光の中心地が移り、廃れてしまったようです。
明治末頃
現在はこのような石だけが残されています。
妹背山の歴史と今も残る「旧あしべ屋別荘」の経緯については、建物の所有者の方が詳しく書かれています。
http://www.nishimoto-jp.com/imose/imose_index.html
なお、昭和中期の観光ブームで最盛期を迎えた新和歌浦の方も、その後は廃業する旅館が増え、近年は廃墟で有名になってしまったようです…。
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妹背山には現在、多宝塔と観海閣、「旧あしべ屋別荘」の建物などが残っていますが、訪れる人は少なくなっているようでした。
明治40年頃
現在
内海を挟んで紀三井寺の桜を眺められる位置に建てられた観海閣。
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特に地元では史跡として扱っていない感じでしたが、避難場所に指定されている麓の公園の看板には「津屋公園」「城跡山地区」とありました。
何か塔のような物も残ってましたし、一時期は展望公園になっていたのかもしれません。
山頂周辺は今でも手入れされている感じ。
山頂から見た和歌浦。中央の島が三断橋のある妹背山です。
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フォトライフに乗り放題きっぷで南海電鉄、午後の部を追加。和歌浦です。
雑賀城があったという妙見山。セブンイレブンの写真に見えるのは気のせいです。
雑賀城といえば「信長の野望・武将風雲録」の鈴木佐太夫で、圧倒的な物量で何度も攻めてくる信長軍を鉄砲で撃退したのが楽しい思い出ですが、多分あの城はフィクションです。
すでに徳川の時代には紀伊藩ゆかりの養珠寺の境内地になっていたようで、麓にはその形跡がいくつか残っていました。
この階段もその名残りでしょうか。
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