ただ、5月12日条によると「実説」として、降伏した之長が百萬返の講堂(知恩寺)で自刃した際にこれを介錯した甥の振る舞いが記されており、「ヲイカイシヤクニ寄テ頸ヲ打落テ、其後彼ヲイタチナガラ高聲ニ我コソ三好ガ内者ヨ、自害コレミヨトテ、立ナガラ腹ヲ切ルト云々、大強ノ者ナリト云々」と、之長の首を落とした後大音声で呼ばわり立ったまま切腹するという勇ましい最期を見せ、語り草となったようです。
Wikipediaによると、この之長の甥は三好越後守(長尚)の子で新五郎という名だそうで、後の三好神五郎政長の兄に当たることになりますが、政長の活動時期から考え…[全文を見る]
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ホリィ(新人)のことを語る
道しるべのことを語る
是ヨリ 徳本上人石碑 十八丁
すぐ 兵庫
すぐ 大坂道
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魂のことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
なお、5月6日条には、三好之長が高国方の大軍に包囲された際、「三好陣公方様御近所ニ野陣張有之處、無戦破之山階寺ヘ落行云々」とあり、三好は将軍の身柄を盾に取ろうとしたか三条御所近くに陣を張ったものの、戦わずして山科へ落ちた後、「細川高国七万騎余有之云々、吉田ニ高国ハ被取陣、諸勢ハ京中ヘ入、爰三好ガシウト界敷ハ打死ニト云々、其外高国ヘ裏帰面々十人余有之云々」とのことで、多勢に無勢の状況で名のある武士で之長を見限って高国に付いた者が十人以上いたことが報じられるとともに、「六郎殿ハ未被見之、去二月十六日ニ海沈給事一定々々」と澄元が尼崎で…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
先日も「続南行雑録」の永正17年5月以降の続きを書き写してました。
三好之長の5月5日の敗北に続いて6日には畠山総州が河内から没落し9日には越智氏の調法により吉野まで逃れ、10日には入れ替わるように畠山尾州御曹司(稙長)と遊佐氏が河内へ戻る。この間、大和では筒井勢が古市の「山ノ城」に攻め寄せたところ古市内衆が裏切ったため落城。
京都では高国が元の屋形へ帰着するとともに摂津からは澄元与党は悉く退散して高国方が復帰し、畿内の治安が回復して寺社本所領も相違ないことが報じられ、これを受けて大和・河内においても遊佐氏の仲介により?筒井と越智が和睦を…[全文を見る]
朝おはようのことを語る
朝おはようのことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
卒業式には何を歌いましたか
卒業式ではなく修業式なら「海をゆく」を唄いましたが、確かあれもいつからか歌詞が変わったんですよね。
僕の時代は「男と生まれ 海をゆく…」でしたが、婦人自衛官の増加とともに変更されたみたいです。
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/about/basic/song/
平和堂の場合と違って、新しい歌詞は部分的な変更ではなく新しく募集したもののようです。
ホリィ(新人)のことを語る
( ´-`)。o 0(…なるほど…ドラム式洗濯機はツインファミコン…値段はどうだったか知らないけど…)
それはコクソンではないのことを語る
バレンタイン・キッス
朝おはようのことを語る
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今の歌は公式にもありました。親切なことにMP3ファイルも(笑)
平和堂イメージソング「かけっこ とびっこ」
http://www.heiwado.jp/song/song_top.html
ホリィ(新人)のことを語る
神社の裏山から梅林を経由して、更に奥に進んで竹やぶを抜けて、子供の頃のかすかな記憶を頼りに秘密基地の跡を探したけど、何も残ってはいませんでした。当たり前か…。
見つかったのは、きのこだけだったという。
ホリィ(新人)のことを語る
確かに、そこは真っ先に変えられちゃいそうですね。
「腕白坊やも仲良しも みんな後からついてゆく」みたいな感じに…。
それはコクソンではないのことを語る
ホリィ(新人)のことを語る
だいぶ旬が過ぎたっていうか、そんなに旬という程でもなかったかもしれないけど気になった話題で連想した、平和堂のテーマソング(?)の歌詞について。(関西人しか分からないかもしれない)
僕の記憶の中ではこういう歌でした。
(これってJASRACとか来るの?引用ってことで堪忍してもらえないかな…)
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鍵っ子 ドジっ子 いじめっ子 みんな集まれ平和堂
腕白坊主も泣き虫も ママのお供でついてゆく
弾む心のお買い物 平和堂
最近聞いたやつがこれ。
腕白坊やも仲良しも ママの後からついてゆく
弾む心のお買い物 …[全文を見る]
職場から徒歩帰宅できますかのことを語る
人工島で働いてますが、橋があるので大丈夫です!!
朝おはようのことを語る
木写真のことを語る
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