私は右保守には批判的だけれども、行き過ぎた
右保守を過渡に不安を煽る風潮は苦手だと思う。
右保守への萬能な力を持っているかのような不安は
逆に右保守の真の力を見誤るのでは、
餘談だが
最近「親日國」、「反日国」という言葉を使う人々の間でも、
台湾がそこまで評価する必要がないと考える人が増えてきたのは
ホッとしている。
お話しするにはログインしてください。
ヒトコトのことを語る
ヒトコトのことを語る
私がムトゥとか韓流ドラマ、元ちとせを批判する
母親に怒るようになり、母親の考えの、背後關係を
やたら難しく考えるようになったのは、
oasisやbulrの日本への紹介があったからだと思う。
これまで、母親が憧れていて、
深さに感銘を受ける音楽がジャズの同心円状に展開していて、
当時はエッジの効いた表現と持て囃し、今となっては
伝説と語り継ぐ音樂がロックジャズにたくさんあった。
それが、カート・コヴァーンの急逝後、oasisやbulrの日本への紹介が
存在し、苦い現実を噛みしめることになったけれども、
その苦い現実を噛みしめて、他に面白さを見出そうとしている
自分に、あたかもカート・コヴァーンが生きている時代が
続いているかのような感情で自分たちの時代の
苦さを理解しない母親のことを許さなくなったのかもしれない。
ヒトコトのことを語る
私は来年の東京オリンピックやらなくてもいいんじゃないかと
思っている。
それを感じたのは、2018年の平昌五輪と2018年の
サッカーワールドカップロシア大会だった。
ここで、
「羽生結弦、宇野昌磨1,2finish」
とか
「大迫半端ないって」
とマスコミや世の人が騷ぎたてるのを聞いていて、
「フィギュアやサッカー以外の競技でも海外でオリンピックやっても
安定したFIGHTの人は安定してやれる。」
という考えだった。
もし、海外開催のオリンピックが何處かで開かれたとき、
水泳とかで上位入賞が相次いだらその時の人は東京オリンピックを
どう考えるのかな。別競技の羽生結弦、宇野昌磨、大迫は
どういう動きをするのか。なんだか楽しみだ。
ヒトコトのことを語る
昨日の続きになるけれども、1960/70年代とか、最近でも城東地方で
考えられている
「朝敵にされてしまった東北」
「貧しい東北」
「上野駅のある城東地方がより貧しい東北を守らねば」
みたいな考えよりも
東北出身の作家である
高橋克彦氏が主張する
「東北の繩文の匂い」
という考えに馴染みやすい。
だから人は関西だけでも、東北だけでも生きているわけではないと
考えてしまう。
それと、1960/70年代、民謡ベース東北出身の歌手に
演歌や昭和歌謡を歌わせてしまうのは、致し方ない部分があったのでは。
今だったら、東北の元ちとせみたいなアーティストが作れそうに思う。
元ちとせのあり樣を認めなかった母親にここ十数年いきり立っとったが、
登場の音楽のあり樣を考えれば洋樂に影響を受ける人と、
民謡土台の人には斷絶があったようにも思える。
ヒトコトのことを語る
「私はフライドチキンやハンバーガーに憧れなかったけれども、コーヒーを介して
西洋に憧れを持った。」
という母親の言葉に、極めて1960/70年代の夢みたいな感じを受け取ってしまった。
そして、母親がしばしば口にする「ジャズの深さ」というのも
同心圓上に存在するその他洋樂がちらついて見える。
母親が青春を過ごした1960/70年代に我々が知っている元ちとせのような振舞である、
民謡の歌い方でポップス風の編曲のアーティストやプロデューサーは
出てきただろうか。奄美とは言わないものの、東北出身の女性にそういう振舞をさせただろうか。
「東北の縄文の匂い」
みたいな振舞をさせればかっこいいと思うのだが、当時はしなかった。
泥臭い演歌や昭和歌謡に対して、いわゆるロックジャズみたいな對抗軸でものを考える時代
だったように、リイシュー盤や中古盤のlp/cdから類推してしまってる。
ヒトコトのことを語る
https://bit.ly/2BCkU4X
上記urlで紹介されている大陸製企画
巴啦啦小魔仙(ばららしゃおもーしぇん)だけれども、
元ネタの日本製のプリキュアやファントミラージュという企画が存在して、
その影響下で作られている企画なのは否定しない。
例えるならば、スティーブ・マックィーン氏が出演した「ブリット」をベースに
「太陽にほえろ!」が作られたように、大人気欧米映画を土台にして、日本人の
ペーソスで作られた、テレビドラマやアニメみたいな感じがする。
先日発言した韓流ドラマ同様あんたがやらなくてもいいんだよと言いたくなるけれども、
結局みんな作る。
ヒトコトのことを語る
ここだけの話、
韓国ドラマ「オールイン」だけれども、今考えると韓国人のペーソスで作られた
「テセウスの船」というか「グランメゾン東京」という空気空間だった。
なんともはや韓国とは政治方面でうまくいかないし、私も嫌いになる部分が
ままある。
だから台湾に臺灣人のペーソスで作られた「テセウスの船」というか「グランメゾン東京」という空気空間
を作ってほしかった。
しかし日本で紹介される臺灣ドラマは、臺灣人のペーソスで作られた「花の子ルンルン」というか
「クリィミーマミ」という企画ばかりだった。
(アニメの話題を出して恐縮だが空気感が例えるなら…[全文を見る]
ヒトコトのことを語る
「腹たつなぁ。」
と思う一言。
「シンカリオンが終わったら、また大人番組になってしまった許せない。」
みたいなヲタクの言葉が苦手だ。
一般人にもヤンキーにもいるけれども、日本人特有の
「異論を認めない」
みたいな感じが怖い。
「ヲタクはヲタクらしく」
「ヤンキーはヤンキーらしく」
「一般人は一般人らしく」
みたいな考えって多くの人が考えるのかもしれないけれども、
「ヲタクぶるのはださい。一般人っぽく振る舞いたい。シンカリオンは家族の目を盗む
感じで見るのがいい。」
みたいなやつの心って、
「異論を認めない」
という考えの人々はわからないんだよね。
私はある面ではシンカリオンがすっぱり終わってくれて良かったとも考えているんだ。
ヒトコトのことを語る
光秀=天海説を信じたくなる一つの説として、
なぜ加藤家が改易されたときに、細川が入ってきたのだろうか。
他にも適役がいたはずである。
それでも加藤家がいなくなったあと、細川家が肥後藩の藩主家になったのか。
やはり、光秀のかつての親族だった、細川家に圧力をかけやすかったのかなと
推測してしまう。
ヒトコトのことを語る
今日、emailのチェックをしていたら、
旦那のイライラという一つの項目に嫁姑問題が
存在していた。
家では嫁姑ドラマは、嫌惡を通り越して
一つのタブーになってしまっている。
母親が存在しないものに仕向けている部分もあるからだ。
逆に母親が考えるポジティブできれいな世界が、
身勝手で宗教的で1種こっちのほうが怖い。
こういうことを自分の雑記帳のようなものに
書いたら、すごく怒られたし、
「好みの問題だ」
「ポジティブに考えちゃいけないわけ。」
と言われた。
あったのかもしれないけれども、無理して見せなかった
部分もありだ。
ヒトコトのことを語る
今朝からの張本勲氏の話題になるけれども、
「あなたが張本勲氏が老害っぷりが許せなくて降板させろと考えているけれども
主な視聴者世代の代辯者だから降板できない。嫌なら見るな。」
これに似たことは私が
「戰國時代と幕末偏重の大河ドラマは、日本における戰國時代と幕末に相当する
李氏朝鮮を舞台にした企画をやりつつも朝鮮半島の三國時代や高麗に取材した
映画やドラマを多数企画する韓国サブカル・時代劇の制作現場に負けるから
近現代や古代、八代将軍吉宗で描かれた時代などに取材先を求めたらどうだ」
と自分のネットの個人スペースなどに書いたことがあった。
…[全文を見る]
ヒトコトのことを語る
「サンデーモーニング」の張本勲氏への批判が止まらない。snsや外部私設サイトで
彼への批判が止まらないが、半年ほど前、彼を降板できない背景を
某ポータルサイトで読んだことがあるが、
「この番組が、インターネットをやらない中高年向きで彼らの代辯者として
張本勲氏を降板できない。そんなに嫌なら見るな。」
みたいな情報がリークされていた。
そんな単純な感じで逃げるだけで大丈夫か。
「俺はアニメや特撮が嫌いだから平成ライダーやプリキュアを見ない。」
みたいな軽い感じだけで、人は感じるのだろうか。
「中高年を盾にとってコソコソ逃げるな。」
と受け止める視聴者や野球ファンも存在するのでは。
鳴り止まない張本勲氏をsns/批判サイトで攻撃が止まらないのは、そこにあるのでは。
そこら邊気をつけて。
ヒトコトのことを語る
「ポストエヴァ」という単語がヲタクやアニメファンの間に、語られているけれども、
「ポストエヴァ」に躍らされているのは、以外にも放映していたテレ東もなんだろうなと
思っている。
「本放送で、人の心に突き刺さる企画を展開する。それなりのスタッフも招聘して。」
という思想をテレ東に植え付けて、実写ドラマ枠の
ドラマビズにつながっていると思う。
エヴァの庵野秀明氏に対してラーメン西遊記の鈴木京香氏という人選をみていると、
なるほどなと思う。
ある一定の時代より前のテレ東の再放送だらけから訣別したい空気を
見ていて再放送が多いtvk/mxが昔のテレ東のコンセプトを引き継いでいる。
ヒトコトのことを語る
母親は自分が死ぬことを望んでいる。
「お前は挨拶ができない返事ができないコミュニケーション能力0だ。」
と言った。
こういった自分のことを、直さない自分が死んでも、母親はほくそ笑むだろうなと
思うことがしばしば。
お前なんて生きる価値がない。母親は自分が生まれてこの方そればかり口を開く。
お前は私が口を酸っぱく言っても、何も聞かない。
お前は何十年も暮らしていて、治そうとしないのは、生きる価値がない。
お前は生きることなんて考えてはいないだろう。
お前は勤め先で言ったら一発で首だと。
私が人より劣っていると思うのは、母の怒りがいうからだ。
母は怒りにこそ本音が存在するから。
母親に怒られなくなったら自分は成長するのかなと思うときがある。
いつも母親に人をイヤーな気持ちにさせると言われた。
ヒトコトのことを語る
先日ブルーインパルスが現れたわだいのことだけれども、
これを全面的に肯定する話題と、
「これに感動するのは全體主義だ。」
という不安を煽るような批判のニコイチの意見がある。
「それに異論を認めない。」
という感じがして、なにか怖かった。
右保守にも荷担できないけれども、右保守反對派の極端な悲觀や不安も怖いときがある。
私は右保守反對派の極端な悲觀や不安が引っ張られる部分が強い。
今の「ニコイチ」の意見が飛び交うネットやその他日常が怖い。
ヒトコトのことを語る
「怪物くん」に出演している、嵐の大野くんやTokioの松岡、
「金田一少年の事件簿」に出演している、堂本剛、
「トクサツガガガ」や「nhk地域ドラマ」に出演している、ボイメンの構成員、
実写版
「映像研には手を出すな!」に出演している、乃木坂の構成員とか見ていると、
少女漫画ドラマの王子様役ばかりやらされている台湾アイドルが悲しい。
悲しいかな、日本のアイドルにさせているような類似の行動を
映画やドラマでやっているのは、韓国のサブカル関係者だ。
キョンキョン、薬師丸ひろ子、岡田准一、長瀬智也などをいいふうに汚しまくっている
クドカンみたいなスタ…[全文を見る]
ヒトコトのことを語る
日台合作ドラマ「路」のnhkと合作したpts,意外と日本や韓国のドラマのような作品が多い
日本人がやたら持ってくる台湾の少女漫画ドラマよりは、日韓のゴールデンタイムの
連ドラ風なので、アンチ韓国の人のためにこれをもっと持って来るべきなのでは。
少女漫画は男性誌あっての少女漫画だと思う。1クリィミーマミファンの私だからそう思う。
ヒトコトのことを語る
漫画と比べて、活字は「活字を読んでいる行動そのものが、かっこいい。」と信じている人が
かなりいるように感じる。執筆者もそういった行動そのものが、かっこいい。と思っている人に
うけるような立ち位置を演じなければいけないようにも思える。
又吉直樹氏は少なくともそういう態度を演じている。
ヒトコトのことを語る
一部の日本人が理想郷のように崇[あが]めている台湾の話題。
もう萌え擬人化がいやだとか日本の萌えアニメがいやだという。
逆に感じたのは、
「日本を含めた海外の文化に接近しすぎて不安や恐怖になっている。
不安や恐怖になるぐらい日本・海外文化に接近しすぎるのでは」と思った。
ある意味自分らのローカル流行文化をたくさん作れば、海外の動向も
気にならなくなるのではと考える。
ある意味韓国のドラマや映画は日本のドラマ・ゲーム・アニメみたいな立ち位置や要素を
韓国社会では帯びているのではと私見であるが、考えてしまう。
日本人としてアメコミが気にならな…[全文を見る]
ヒトコトのことを語る
機甲界ガリアンの音楽だが、アニソンであることを
考えないで聞いていて、ワタシ的には、ごちうさの世界觀よりも
「かわいい、きれい系列」
の絵柄のクリエイターの企画だったら、
私が知っている中では、吉住渉氏とか和田尚子氏の世界觀の
劇中の
TV、インターネット、ラジオなどで流れている音楽というところだろうか。
アニソンなどで
「この音楽、他のクリエイターやプロデューサーの企画世界の方に合うのでは」
と考えたことがしばしばある。