「ヴェルナー、きみの問題はさ」フレデリックは言う。「きみがまだ自分の人生を信じていることなんだ」
アンソニー・ドーア『すべての見えない光』227頁
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「ヴェルナー、きみの問題はさ」フレデリックは言う。「きみがまだ自分の人生を信じていることなんだ」
アンソニー・ドーア『すべての見えない光』227頁
わたしは自分にいった――ローマでわたしを待っているたいせつな用事が二つある、ひとつはわたしの後継者をえらぶこと、これは全帝国の関心事である。もうひとつがわたしの死、これは自分にしかかかわりのないことだ、と。(マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』266ページ)
カラクスに着くやいなや、疲れきった皇帝はペルシア湾の重い水の広がりに向かって、砂浜に腰をおろした。それはまだ彼が勝利を信じて疑わなかったころであったけれども、しかしはじめて世界の茫大さが彼を圧倒し、また、老齢の感懐、われわれ皆を取り囲む限界の感情が彼をおしひしいだのであった。よもや泣くことがあろうとはだれも思いもよらぬこの人の皺寄った頬に大粒の涙が流れた。これまで踏破したことのないかずかずの岸辺にローマの鷲を持ち込んだこの将軍は、あれほど夢みたこの海に船出することはけっしてないであろうと、いま悟ったのだ。インディア、バクトリア、彼がはるかに憧れていた蒙い東洋全体が、彼にとってはどこまでもただの名前と夢とにすぎぬものとなるであろう。
マルグリット・ユルスナール、多田智満子訳『ハドリアヌス帝の回想』白水社、2008、p98。
ツングース型のエヴェンの場合、鞍は馬のものとかなり違う。木の骨組みを毛皮の袋で覆い、トナカイの毛を一杯に詰めたもので、自転車やバイクのサドルのようにも見える。これをトナカイの肩の上あたりに装着し、やはり右手に杖を持って、サヤン型とは逆にトナカイの右側から乗る。鞍が幅広いので、またがるというより、トナカイの肩の前に脚を出して座る感じだ。鐙がないため、両脚がぶらぶらしていて何だか不安である。座る位置が前寄りなので、落トナカイする場合は横にずり落ちるのではなく、前につんのめる感じになる。
中田篤「トナカイ牧畜の歴史的展開と家畜化の起源」高倉浩樹編著『極寒のシベリアに生きる トナカイと氷と先住民』新泉社、2012年、p59。
歴史の初期の段階では、人間は事故を周囲の環境と区別していない。動物界・河川・山脈・森、もろもろの自然現象は、まるで人間と「対等」であるかのように存在している。(中略)人間以外のすべての動くもの、ざわめく音をたてるものもまた、人間の空想の中で、自分の意志によって行動することができ、感ずることができるのである。生き物の絵とか、かげとか、その一部分――たとえば、抜け落ちた毛でも――とかはその生き物そのもののかわりになることができ、そうしたもので示されているもとの生きものへの必要な効果を及ぼす手段となり得るのだ。ヘラジカがほしい、それなら、岩にその絵を描け、そして「殺せ」、それ以上のことは、いうなれば単なる技術の問題なのだ。
В.А.トゥゴルコフ/著, 加藤 九祚/解説, 斎藤 晨二/訳 『トナカイに乗った狩人たち 北方ツングース民族誌』刀水書房、1981年、p161
いや、母とは断絶したというのではない。ずっと交信していたとも言えるのだ。ベラの生活にあったことは、どれも反応としての行動だった。こういう人間になって、こういう生き方をしている。あなたのせいでこうなった、と言ってやりたい。
ジュンパ・ラヒリ「低地」p361
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」
ヨハ3.8
恋は心の中にうがたれ、決して表に表れぬ傷であって、しかも自然の女神の思し召し次第の、長く手のかかる病なのである。
マリー・ド・フランス「ギジュマール」
効くまでは頑張って食わねばならない。この時間帯は髭面のいかつい男たちが牛か馬のように一心不乱に葉っぱをかじる。相当に異様な光景なので、初めての宮澤は「これがほんとの草食系男子だね」と驚き呆れた。
高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」
やばい葉っぱ「カート」について。
ここでビザを取ったらラピュタではなく北斗の拳に行ってしまう。
高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」
やっべー、この本ちょうおもしれえ。図書館の予約30人分くらい待った甲斐あったわー。(←買え)
思い上がりは、ひとたびそれが花をつけると禍の実を結び、そしてその愁いに満ちた作物を涙ながらに刈り取ることになる
アイスキュロス「ペルシア人」818~822
彼は初めてにこっとし、そして不意に見えたのだ。彼は可愛い女の子の笑顔を持っていた。
ジョン・アーヴィング「ひとりの体で」
自分じゃないものになれと子供に強いることはできない
ジョン・アーヴィング「ひとりの体で」
薄れゆく日の光の中で跪いたまま、(中略)人々の足に踏まれて摩滅した文字のかすかな盛り上がりを読みとろうと、横から必死に眺めてみた。はかない砂粒のように、光が彫り込まれた部分に流れ込んでいく。
マイケル・オンダーチェ『家族を駆け抜けて』p70
奴の乱れた神経がおびえいらだつのも当然というわけだ、己れのうちにあるものすべてが、みずからの姿を忌み嫌っているようではな。
福田 恒存訳『マクベス』
マクベス、自己嫌悪もしくは罪悪感のあまり夢遊病になる。
いや、天に慈悲があるのならば、あらゆる邪魔ものを取り除き、すぐさま、このおれを、あのスコットランドの悪鬼の鼻づらに突きつけてくれ、この剣のとどくところに、あいつを立たせてくれ、それで逃げられたら、たとえ天があいつを許しても、文句は言わぬぞ!
福田 恒存訳『マクベス』
声に出して読みたい。役者の口で演じられるのを聞きたい。
そもそもの始まりは、私の見たあざやかな夢の断片。とても最後まで見るに忍びない夢だった。
マイケル・オンダーチェ「家族を駆け抜けて」
たった一つの私の愛が、たった一つの私の憎しみから生まれようとは! 知らないままに、お顔を見るのは早すぎて、知った時にはもうおそい。それにしても、憎い仇敵を愛さなければならないとは
中野好夫訳「ロミオとジュリエット」
すると、あれはキャピュレットの娘か? とんだ高い取引だった! まるで敵に与えた債権だ、俺の生命は。
中野好夫訳「ロミオとジュリエット」
恋はやさしいものだとねえ? 恋はつらい、あまりに残酷だ、暴君だ、茨のように人を刺す。
中野好夫訳「ロミオとジュリエット」