「傷ついた孤独なインナーチャイルドがブリーフワークで癒される」
みたいな、既存の脳内ストーリーにあわせて、こちらの一挙手一投足を解釈されるというのは、ちょっとやおい妄想みたいだよ。
「こいつら本心では愛し合ってる」っていう前提で言動を解釈して盛り上がるの。
どこまで深読みできるかが勝負なの。ほんとうのところどうなのか、じゃなく。
楽しいんだろうな、と思うよ。はまるのわかる気がする。解釈しまくりで。
でもインナーチャイルド関係にはまった人で、前よりましな状態で生きて帰ってきたひとを見たことがない。
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くたびれ はてこのことを語る
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それにさ、7歳の子どもが親に言いたいけど言えないことがあるとしたら、ひとつにはそれをどう表現したらいいかわからないからだよ。
だからいまの自分の戻ってだいたいこういう感じかな、っていうところで話すじゃん。
あのさ、はてこと一回でも会ったことがある人なら知っていると思うんだけど、はてこは日ごろきびきびしてるけど、
「あのね、はてこ、それきらい。やなの」
とかとつぜん言い出すことがあるんだよね。言う相手は親しい人に限られているけど、
「はてこはもうくたびれちゃったよ」
とか、独り言いうんだよね。あれでわたし昔すごく悩んだんだよね。頭お…[全文を見る]
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さいしょ、親を出せって言われたんだよね。父と母をこの部屋に呼び出して座らせろって。
それで思い浮かべてみてたわけ。若いなあ、もう自分はこの二人より歳が上だよ、って。
そしたら、7歳のころ親に言いたかったけど言えなかったことがあったら言えって言うのね。
あんたさ、初対面だよね。あってまだ一時間も経ってないよね。
それをそこで聞く権利があると思ってんの? って思った。超プライベートな話じゃん。
なんかさ、
「あなたのいちばん好きな体位を思い浮かべてください、どんな感じがするか言って下さい」
みたいな。え、なに言ってんの? って思った。
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例の施術師さんがさ、「インナーチャイルドはほんとうにいるんです」とか真顔で言うわけ。
「いいですか、」っていう調子でいうわけ。「勉強しないと今度のテストは0点ですよ」みたいに。
でもさ、いるもなにも、それは概念だよね。ひとの心理や精神構造にたいするひとつの考え方だよね。
いわゆるハイアーセルフとかとも違うわけだよね。
もっというと、いるもなにもそれは自分自身なわけだよね。いて当たり前だろう。何を秘儀ぶってるんだ。
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あの手の本て、
「じぶんは一度も親に誉められたことが、抱きしめられたことが、愛されたことがない」
とか
「じぶんには子ども時代がまったくなかった」
とか、いちいち不幸のどんぶり勘定が大盛りで、正確さにこだわるはてこはそのたび「マジで?」って思うんだよね。
そりゃ片親だったら一度も~っていうことはあるだろう。
でもさ。
親も人間じゃん。かなりの確立でうっかり子どもを誉めたり、ちらっと抱きしめちゃったりすることあるんじゃないの。
うちの親とかあの手の本だいすきだから、「はてこはママのたいせつな娘です」「宝物です」とかはがき書いてきたこ…[全文を見る]
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自分のいろんな面を認めるという意味で和解はたいせつだと思うよ。
でもさ、「自分の中の傷ついた子ども」を癒すために今の痛みと生活苦を背負う大人の自分はどうなるんだ。
「インナーチャイルドのためのブリーフワーク」に時間と資力を割いて、インナーチャイルド最優先か。
大人には大人として優先したいことがあるじゃんか。それはそれで大人だからしっかりやれってか。
大人だからがんばれってか。結局無理させることになるんじゃないか。
運よく老人になったときに「自分の中の傷ついた大人」を癒す老人として無理した付けを払うのか。
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自分の中に子どもがいるならそれは純粋で穢れない子なんかじゃないだろう。
子どもは身勝手で自己中心的で悪巧みもすれば計算もする。
子どもが純粋で大人は不純、子どもは弱くて大人は強い、そんな平面的な理解があるか。
経験を経た大人の純粋さがあり、子どもの強さがある。
それが統合できたらそれはすばらしいと思う。だけど、
「現在の不幸は親の至らなさからくる非力な自分のせいだから、自力でその子の面倒を見ろ」
なんて、けっきょく親がやるべきことを肩代わりしてた子ども時代と変わりないんじゃないのか。
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「その子はひとりぼっちで深い傷を抱えてふるえながら泣いています」
っていうステロタイプな話も、身の毛がよだって大嫌い。
子どもがどんなに力強いものか、逆境のもとでどれだけ創造的な力を発揮して笑うか考えてみろ。
自分の中に子どもがいるとすればその子は幼稚でか弱いだけじゃなく力強く自由でもある。
どれほどの過酷な経験のもとに育ったとしても、同時に失われていない輝きがあるはずだ。
その子がもしもほんものの子どもなら。
自分の中の子どもを見るというのはそういうことじゃないかと思う。
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インナーチャイルドを抱きしめてあげよう、っていう言葉がすでに上から目線でいやなんだと気づいた。
英語ではどうかしらないけど、日本語では上から目線のいやらしい大人と無力で不自然な子どものセット幻想だ。
無力で愚かで幼稚な子どもをイメージして、それと比較していまの自分を強く賢いと思い込む幻想。
わたし、そんなのやだな。
ちいさくても、はてこはひとりのにんげんだ。尊厳と尊敬に値する、生きる力を持った子だ。
その子に必要なのは具体的で本物の援助であって、病人である未来の自分からの薄気味悪い哀れみじゃない。
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だから、鍼灸でもカイロでも手かざしでも占いでも、とてもしっくりきて人生の転機になるひともいるかもねと思う。
医者ぜんぶを否定して病院へ行かない親族が何人かいて、手を焼いているので団子で毛嫌いしたくない。
でもさ、難しいよね。お金のかかる長い旅になることもあるよね。
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ある日とつぜん思いついて入ってみたyahooチャットで、見ず知らずの人と話した。
仕事を聞かれて自宅療養していると答えた。婦人科に行ったかといわれた。
「実は医療関係のライターをやっている。先日名物女医さんのいる婦人科に取材に言った。その女医さんがいうには、女性は風邪をひいても婦人科へ行け、だそうだ」
ずいぶんいろんな検査を受けたけれど、婦人科は行っていなかった。話しに引かれて予約してみた。一ヶ月待ちだった。
さいわい婦人科系統は異常がなく、そこで知り合いの精神科医を紹介するといわれて紹介されたのがいま通っているお医者さん。
「わたしも定年過ぎてまだ患者さん診てるけど、彼女もそうなの。医長を辞めてから開業したの」
いまは新患は受け付けていないけれど、紹介で入れた。
それまで会ったことのないタイプのお医者さんだった。結果的に時間をかけてゆっくりかかっている。
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いま通院している病院の医師に出会うまで、精神科はもう金輪際行かないと思っていた。
それまでやむなくあちこちの病院を転々として10人くらいの医師にかかった。
精神病ではない、分裂気質である、分裂症である、生い立ちの影響であるetc。
発達障害にたどりつくまで20年近くかかった。
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本って、すごく、安いよね。
携帯できる情報をあれだけふんだんに収めて、数千円だもの。
古本もあるし図書館は無料だし。眼をだいじにしなくちゃね。
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けっきょく自己管理、自己管理、自己管理なのかな。
眠る、食べる、動く、感じる。
それがうまくいかなくなっていろんな治療法を試すわけだけれど。
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いちばん悲しかったことは、「何回も時間をかけてインナーチャイルドをゆっくり癒して治していくことです」と施術師さんが諭すように繰り返したこと。
なんどもここへ来て、このひとのいうところの「ワーク」に沿って古傷掘り起こすことはどう考えても楽しくない。
でも、それ以前に無職のわたしが夫の収入の中から何度もこの種の施術を受ける費用を捻出することは正直無理。
わたしは施術師さんに自分の体の状態についてある種の診断を受けたくて来たのだ。
費用の心配がまったくなくても体力的にここへ来ることがどういうことなのか、この人にはまったくわかっていない。
経済的な負担も、体力的な負担も、そこから来る精神的な負担も、この人にはイメージできないんだと思った。
そんなひとにさー、こどものころの辛かったこととか根掘り葉掘り聞かれてもさー。
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「はぁ、まずまずか。まずまず効いたならえかったぃのう。怪しげでも効いたらええそ。怪しげでもなあ」
ともちおは帰り際に機嫌よく言っていた。この機嫌よさの半分は、軽快な皮肉を飛ばせることの爽快感にある。
もちおは人を馬鹿にして笑う才能は天下一で、その笑顔はほがらかで純朴な青年のようである。
「でもあのひとはどうしてあんなことをはじめたんじゃろうなあ。まぁ、まずまずなら怪しいでもええわいね」
うれしそう。心から馬鹿にしている。こんな大枚はたいて文句も言わない。懐が広いのか狭いのかわからない。
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尾てい骨にも問題はあるが、いまは左の股関節に問題があるのでそこを施術したとのこと。事前に送った問診にそれを書いたかどうかどうしても思い出せないけど、そこは前からこじれているところで、帰り際はわりとよくなっていた。
左の股関節と腎臓に問題があるのは母親からのエネルギーを十分にもらえなかったから、とのこと。
自宅でできることは何かありますか、と帰り際に聞いたら、ちょっとびっくりした顔をしてから、少し考えて「よく歩いてください」と施術師さんは言った。
ほとんど寝たきりで外へいけなくて困ってるって言って来たんだべ。
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「いえ、お話が途切れたので、なにかわたしが言う必要があったのかなと思って」
「いま何を考えていますか」
「さっきお話しましたが、わたしは尾てい骨を折っているのでこの姿勢で長時間座っているのは痛いなと」
「・・・」
「でも体重をこっちにかけると、お尻の筋肉もないので、骨が刺さって痛いんです」
「施術に入りましょうか」
やっとかよ!! ということでようやくベッドに横になって体の方をあれこれしてもらったのであった。
こっちはまずまずだった。これだけでよかった。
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「すぐに心が開けないという人『も』います」
また「も」か。
「まあ、誰でもいいから聞いて欲しくてたまらないという人もいるでしょうね」
そういう人に捕まってえんえん子ども時代の不幸と青春時代の不幸と現在の不幸について壮大で単調な話を聞かされることってあるからな、と思いながら窓の外のカラスに見とれて少し黙った。
「うん」
施術師さんが余韻のようにひとりごとを言っている。カラスはテレビのアンテナに止まってから飛んでいってしまった。沈黙。
「うん」
また施術師さんが空白のなかでうなづいている。何にうなづいているんだ。話の続きは?
「どうかしましたか?」
聞いてみた。
「どうかしましたか?」
鸚鵡返しか。
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また、過去の傷に触れることが必要だとしても、初対面の相手に開示してくれといわれて開示できるようなものではないと思う。そこで開示できる程度のものならそれはそれほど深刻なものではないか、表面的な当たり障りのないものだと思う、と話した。
「そういう人もいます」
も、を強調する施術師さん。
「でもこういうブリーフワークは体を外から癒すこと以上に力強い効果をもたらすんです」
「いまの大人のあなたが愛を与えることで、インナーチャイルドを癒すことができるんです」
「インナーチャイルドがどうこうということに向かう人の多くは問題を抱えているわけで…[全文を見る]
/くたびれ はてこ