(・・・)じつはどんな人も長年なにがしかの奇形性を持ちながらえているのに違いないのだ。標準からはずれたものを持っていない人間などごくごく少数である。それならば、おおかたの人が自分の「存在のあわれ」を感じているのだろうか? もしそうならば、人は自身の中にある奇形性を、どのように見据えるのだろう? 目をそらすのか? 凝視するのか? こころよく思うのか? かなしく思うのか? それら全部をふくめて「あわれ」なのか? じつになんとも、わからないのである。
―「わからないことなど」より
ゆっくりさよならをとなえる. 川上弘美. 新潮文庫. p.201-202.
今まででいちばんうれしかったことはなんだったかを決める(ずいぶん迷う)。
今まででいちばんかなしかったことはなんだったかを決める(すぐに決まる)。
今までで言ったさよならの中でいちばんしみじみしたさよならはどのさよならだったかを決める(決まったら心の中でゆっくりさよならをとなえる)
―「ゆっくりさよならをとなえる」より
ゆっくりさよならをとなえる. 川上弘美. 新潮文庫. p.218
「アンパンマンのマーチ」の中に、
愛と勇気だけが友達さ
という歌詞があります。それで抗議がきたことがあるんだけど。これは、戦う時は友達をまきこんじゃいけない、戦う時は自分一人だと思わなくちゃいけないんだということなんです。
(やなせたかし「わたしが正義について語るなら」)
積み木で作る建物は永遠ではない。ぼくらが積み木遊びする時は、接着剤で絶対につぶれないように遊ぶのではない。積み木は積んだら壊して、壊したらまた積む。積み木の城は、そういう永遠ではないという宿命を持っているんですね。永遠のものだったら接着剤でくっつけてキッチリしなくちゃいけないんだけど、そうすると積み木の面白さは何もなくなっちゃう。
(やなせたかし「わたしが正義について語るなら」)
面白いというのは難しい部分があって、単に面白がらせようと思うとダメなんですね。ちょっと悲しい部分を入れないとうまくいきません。料理と同じで、全部砂糖じゃできないんです。ちょっと塩も入れたり、辛い部分やすっぱい部分もあっておいしくなるわけ。
(やなせたかし「わたしが正義について語るなら」)
民さんこれ野菊が、とぼくはわれしらず足をとめたけれど、民子は聞こえないのか、さっさと先へゆく。ぼくはちょっとわきへものをおいて、野菊の花をひとにぎり取った。
民子は一町ほど先へ行ってから、気がついてふりかえるやいなや、あれっと叫んでかけもどって来た。
「民さんはそんなにもどって来ないだって、ぼくが行くものを……」
「まあ、政夫さんはなにをしていたの。私びっくりして……まあきれいな野菊、政夫さん、私に半分おくれったら、私ほんとうに野菊が好き。」
「ぼくはもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生まれ返…[全文を見る]
11月25日
家の郵便受けを開くと、中から大量の砂があふれ出す。これだけのスペースにどうやったらこんなにと思うほど、後から後から湧きだしてきて、くるぶしまで砂に埋もれる。
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11月27日
年に一度開かれる<国境なき飲酒団>の総会に出席する。
<国境なき飲酒団>は男女十数名からなる組織で、そもそもはただの飲み仲間であったのだが、自分たちのこの飲酒という行為はまったくもって何の役にも立たない無償の行為である、ということはつまりこれは非営利団体なわけで、ならばNPOとして認可してもらって国の補助金が出てしかるべきではないのか…[全文を見る]
(2006年)11月8日 水曜日
朝、きのう書泉グランデで買った『「ひとつ、村上さんでやってみるか」〜』(朝日新聞社)を読む。
質問29 「原稿流出のこと」について村上春樹は(ヤスケンが原稿を古本屋に放出した直後、そのことを)、
「一人だけ書いた人がいましたが、そのまま立ち消えになってしまったようです」と答えている。
「立ち消え」ねぇ、『エンタクシー』の創刊号であの<追悼文>を書いた時、私は、東京新聞の「大波小波」やネットで、あるいは直接、色々な人から批判されたんだけどね。
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(2007年)7月22日 日曜日
・・・『東京人』時代の19…[全文を見る]
愛を学ぶために孤独があるなら
意味の無いことなど起こりはしない
(Jupiter)
「ラトロは理(ラティオ)と情(アフェクトゥス)はたがいに切り離すことができないと言い――正確を期すると《in ratione habere aliquem locum affectus》〔理にはその一部に情念が含まれている〕――また、理が先走ってしまったため、情はそれにぶらさがっているとも言い、最終的には「理にかなった思考はおそらく、より情の深いものから作られたものだ」とも言った。」
パスカル・キニャール『アプロネニア・アウィティアの柘植の板』「理性」より抜粋。
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わたしは、身も蓋もないことを言いまくるひとが好きだ。大好きだ。
パスカル・…[全文を見る]
プラクティカル・ジョークという言葉を知ったのは、中原弓彦サンが編集していた『ヒッチコック・マガジン』という雑誌のコラムでだと思う。その後、アレン・スミスの『いたずらの天才』という本で、アメリカの、その手のジョークの実例に出会うことができた。
それ以前から、中学生のくせに自分でも結構やっていた。
通学カバンの中に、目覚し時計とどこかでかっぱらってきた電話の受話器を入れておき、バスの中で、目覚しのベルを鳴らし手受話器を取出し「はい景山です」などとやって周囲の乗客をびっくりさせて喜んだりしていた。(引用者注:1960年ごろの話です)
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「無の歳月(un-years)」とネリーは呼んだ。しかしその歳月は、モンクが「ファイヴ・スポット」のハウス・ピアニストとして迎えられたときに終わりを告げた。人々が聴きに来てくれる限り、また自分でそうしたいと望む限り、好きなだけそこで演奏してかまわない、と彼は言われた。ネリーはほとんど毎晩、店にやって来た。彼女がいないと、彼は落ち着きをなくし、緊張し、曲と曲のあいだにとんでもなく長い間を置いた。ときどき演奏を中断して家に電話をかけ、ネリーに「変わりはないか」と尋ねた。電話口に向かってもぞもぞと、愛の優しいメロディーであると彼女の耳には…[全文を見る]
モンクとネリーは、飛行機のファーストクラスで世界を飛び回るような生活を送ったが、もし彼がどこかの会社の清掃員や、あるいは工場の仕入れ担当係で、朝に起きて、夕方に帰宅して食事をとるような生活を送っていたとしても、ネリーはやはり同じように彼の面倒を見ていたはずだ。彼女なしではモンクは無力だった。彼女は夫が着る服を選び、混乱して服もうまく着られないようなときには、手伝って服を着せてやった。そんなときモンクは、シャツの袖の中で拘束衣を着せられたみたいに硬直し、ネクタイを締める複雑さの中に自分を見失っていた。彼が音楽を創り出せるように…[全文を見る]
戦争に関する音楽をやりたい。と思った。今僕の中にはセックスによってもスポーツによってもドラッグによっても愛によっても過食によっても知識によっても他の音楽によっても解消されない何かが存在し、僕の精神を少しでもヘルシーにするものはもう戦争でしかない。
ここでいう戦争とは、厳密に言えば「地上戦の最前線」というのが最も近いし、イメージ上のイコンとしてはヴェトナム戦争という歴史的事実からいくつか採用しているけど、これはナム戦が歴史上最も音楽に接近した戦争であったことに敬意を表しているだけで、あの戦争自体を再現したいとか思っているわけ…[全文を見る]
10月2日
頼まれているエッセイの締め切りを2、3日延ばしてもらいたくてP社T井さんに電話をすると、またしても別の人が出て「T井は病気で長期に休みをいただいております」と言う。そんな話は聞いていない。なおも問い詰めると、じつは無断欠勤が続いていて自分たちも心配しているのだと白状する。そういえば前に電話した時も、冷蔵庫にあった腐った牛乳を捨てにいっているので不在だと言われて、折り返し連絡するよう頼んだのに電話はかかってこなかったのだった。もしかしたらあのときから帰っていないのかと問うと、帰っては来たがあれから様子がおかしくなった、仕事もぜ…[全文を見る]
第8章
フォッサルタで砲弾が塹壕を粉々に破壊している最中に彼はべったり伏せて汗をかきながらああイエスキリスト様どうか俺をここから出してくださいと祈った。イエス様お願いですここから出してください。キリスト様お願いですどうかお願いですキリスト様。死なずに済むようにしてくださったら何でもおっしゃるとおりにします。俺はあなたの御力を信じています。世界中みんなに大切なのはあなただけだと言います。お願いですお願いですイエス様。砲撃は戦線のさらに前方へ動いていった。僕らは塹壕の修復に取りかかり朝になると陽がのぼってきて昼間は暑く蒸して朗らかで静かだった。次の夜メストレに戻ると彼はヴィラロッサで一緒に二階へ上った娘にイエスのことは言わなかった。そのあとも誰にも言わなかった。
monkey business. vol.6 in our time. E.Hemingway. p.185. 2009.7.
2月4日
「分数アパート」なるものの噂を聞く。二階建てで上下に五個ずつ部屋が並んでおり、例えば上の階に警官が住んでいて下の階にも警官が入ると、相殺されて両者が消える。上の階と下の階で赤ん坊が生まれると、赤ん坊だけ消える。山田と山田、もちろん消える。一見何の共通項もない35歳アルバイト店員の男と16歳女子高生が消えて、二人が共に靴下の匂いフェチであることが判明。いつなんどきどういう共通項で消されるかわかったものではないので住民は戦々恐々として気が休まる暇がない。そんなアパートが都内のどこかにあるという話。
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2月14日
夜シャワーを浴び…[全文を見る]
香奈子を訪ねようとしない自分のことを、ひどい人間だとか、そういう風には思わなかった。香奈子の生活費や学費はすべてわたしが出していたが、そんなことは関係ない。四年近く付き合ってきて、世の中にはどうあがいてもどうにもならないことがあると身に染みてわかった。そういう無力感を味わうのは生まれて初めてで、香奈子が入院するたびに、病院を訪ね花を渡すたびに、そしていつまでも見送る香奈子を残して病院を立ち去るときに、人はいつか死を受け入れなければいけないときが来るとわたしは思い知らされた。そういう風に思わないと、香奈子の傍を離れることができなかったし、そもそも付き合うことはできなかった。
(村上龍 『心はあなたのもとに』 文藝春秋 p.6)
「しかし、この一九五五年、そしてたぶん、これから先もだろうが、無責任な好奇心の創り出すお楽しみだけは君たちのものさ。何か面白いことはないかなあとキョロキョロしていれば、それにふさわしい突飛で残酷な事件が、いくらでも現実にうまれてくる、いまはそんな時代だが、その中で自分さえ安全地帯にいて、見物に側に廻ることが出来たら、どんな痛ましい光景でも喜んで眺めようという、それがお化けの正体なんだ。おれには、何という凄まじい虚無だろうとしか思えない」
『虚無への供物』中井英夫
美は袋小路である。それは山の頂きで、いったん辿りつくと、もう行き場がない。だからこそ、究極においては、ティッィアーノよりエル・グレコの方に、よりわれわれを酔わすものを見出せるし、ラシーヌの完全無欠な出来ばえよりシェイクスピアの不完全な出来ばえの方に、より魅力を見出すのだ。美についてはあれこれとこれまで言いすぎるほど言われてきた。だからこそ、私はそれにちょっと言いたしたまでだ。美とは審美本能を満足させるものである。しかし誰が満足したがっているだろうか? 満腹がごちそうであるという考えは、愚者にしか通用しない。思いきって事実に直面しようーー「美」はいささかたいくつなものである。
(pp.148-149、サマセット・モーム『お菓子と麦酒』)