いわゆる「迷惑ハイカー」のIDページで空気や共有性と関係ないことをごちゃごちゃやるのは、あれは自治ではない。
ただのからかいであり、もう少しエスカレートすればいじめと呼ばれるものだ。
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自分(id:ken_wood14)のことを語る
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我々、自治厨は、「自治とかでギャーギャー言われるのも、言われてるのを見るのもうんざりだよな」と感じている人達の空気も読まなければならない。
なぜなら彼らも間違いなくコミュニティの一員であるのだから。
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重なりあうコミュニティの空気とパブリックな空間のルール - アンカテ
>、「世の中はパブリックなもので、その中に例外としてプライベートな領域がある」と考えている人と、「世の中は大小のコミュニティの重なりで覆われている」と考えている人の対立というか、世界観のズレの問題
この辺などハイク自治論のヒントになるかも、とメモる。
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破綻した論理をネタとして使う時には、あらかじめこうして宣言することが求められるだろう。
少なくともツッコミを受ける前に。
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喩え話に対して「それとこれとはぜんぜん違うだろ」と言うのは簡単だ。
私は喩え話には「同じだ」と言う方も「違う」と言う方も説明責任があるだろと思っている。
だから喩え話をよくする人とは議論に手間がかかる。
そして、私は喩え話をするのも聞くのも大好きだ。
喩え話をかませて、それの共通点と相違点が分かれば、自分と、相手の、事象の捉え方の共通点と相違点が分かる。
喩え話を理解する醍醐味と有効性はそこを乗り越えたところにある。
2010南アフリカワールドカップのことを語る
2.に対して、
主審は都の4部リーグレベルでもやったことがある人なら分かるが、結構移動距離も多いし大変だと思います。誤審は仕方ないとは言いませんが、『1つの誤審だけを切り取り主審を批判するのは、「あなたの価値観によれば」「アンフェアである」ことになる』と言うのは仰る通りだと考えます。
3.に対して
「PKを止められる」と言うのは両チーム大体5本ずつは蹴るわけで(今日のように4人しかまたは3人しか蹴らないケースはありますが)、PKのミスとは「5本中1本が止められる」ことですね。
それに対してゴールが1チーム5回も決まることは少ないどころか1本も…[全文を見る]
2010南アフリカワールドカップのことを語る
1.まず「そんなに」と言うのが良く分かりませんな。私が駒野戦犯説のアンフェアを主張したのは1回だけです。まぁ長くはなってますが実質最後の2行に要約できるのでご容赦いただきたく。
続くPostでのアンフェアは駒野説に限らず全てについて論じてます。
2.「全部を網羅的に把握して、満遍なくウェイトを考慮して批判しなくてもアンフェアじゃない」とおっしゃってるように聞こえましたが違いますかね。
あなたの論によるなら私が「審判の誤診せいでイングランドorメキシコは負けた」と言う言質に対して何も言及してなくてもアンフェアではありますまい。まぁ私はドイツの敗戦に関しては別角度から言及しておりますが。
…[全文を見る]
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僕はアートや美には「物理的」と言ってもいい数値が存在していて、人間は個々の「価値観を物差しとして」それらを「受信」しているだけだと思っている。
だから「価値観が歪んでいる」とか「目盛りが逆に付いている価値観」とか「単位のおかしな価値観」と言うのも勿論あると思っている。
どうなのだろう?多くの人もそう考えているのだろうか?
それとも「美や価値には絶対値は存在せず、受け取る人がそれぞれ付けるもの」と考えてるだろうか?
ちなみにここで言う「価値」とは「対価」と言う意味とは異なる。
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「webは自由である」とは、一見「ルールがない」ように見えますけど、裏返せば「他人を規制するな」と言う立派なルールなんですよ。
社会的ルールとは基本的に「自分ルールの集合体」であって「webは自由である」と言うのもまた然別。
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【詭弁のガイドラインと対策法】
※「程度の問題」を「オールorナッシング」に転化する。
「過大評価と過小評価」の1パターン。
対策法:条件が本題に対する影響を見誤わないようにし、過度な部分を訂正する。
例:
>したがって、朝鮮学校のみを無償化の対象外とすることは、実質的に、在日コリアンの子どもたちが在日コリアンとして健全に生育する機会を否定するのと同じだということです。
(朝鮮学校除外は明白な「児童の権利に関する条約」違反 - Whoso is not expressly includedより)
別に「朝鮮学校をなくそうとしてる」訳でもない。機会は否定されていない。
差別する自由のことを語る
蓋然性は高くありません。
元の文に戻ると「差別する自由ってものがある」と唱える人に向かって、「その自由に価値はない」と言う事によって新たな理不尽が生まれる蓋然性です。低いです。
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それが起こらない「安全性」が100%でなくても構わない事例を出しているのに、
それが起こる「危険性」を見たら99%を割り込むのは当たり前じゃないですか。
「危険性」を減らして「安全性」を増やす、と言う視点に立てば最後の一文は同じ事でしょう。
まあそれはともかく、例えばこの議論において、「rcfさんが完全に間違っていて、普通に理解すればいいものを私がレスしなければならなくなった」と言う「根拠無き不利益」を与える危険性は0%ではありませんが、rcfさんはこうしてレスをしてきた。
そうです。「安全性は」100%でなくても構わない、とご自分の行動でrcfさん自ら仰っている。
差別する自由のことを語る
考えるに「区別」と「差別」の間に線引きはない。
やってる方は「区別」のつもり。
「区別」の中で、その差異に基づくことが理不尽な差異に基づいていたり、代替ルートの用意されていない「区別」を「差別」と呼ぶのではないか。
例えば、「横断歩道を歩いて渡るのに10分かかる人達がいる」とする(実際いる)、「その人達のために信号機は切り替わるのに10分掛けるべき」か。
考えるまでもなくそれは難しい。
この「区別」は車椅子を押す介護者とか、電動カーとか、むしろ車道を行けるようにするタクシーとかの「代替ルート」の存在によって「差別」となることを免れている…[全文を見る]
差別する自由のことを語る
その意味で
>残り1%の不正確さによって、
根拠無き差別、利害を間違えた差別(あるいは、差別の解消)が
発生することになりますから。
と言う表現は不正確でしょう。「発生しない可能性」がありますから。
差別する自由のことを語る
いえ、十分です。完璧ではありませんが十分です。
例えば、あなたが道を歩いていて右から悲鳴が聞こえて視線を向けるとしましょう。
あなたはその時、常に歩みを止めますか?止めなければ視界から外れた左から来る人とぶつかる確率が上がるし、足下の蟻を踏みつぶす確率も上がる。
止めますか?では後ろから歩いてきた人があなたにぶつかる可能性がある。
100%を求めるとはそういうことで、それは「不可能です」、それは「何もできない」と言うに等しい。みんな「数十%」で行動してるのです、私も、あなたも。
そして今回の議題に関して言えば、一点重要な条件を見逃してい…[全文を見る]
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>その「判断」を「正確」と判断することは
いや、そりゃできます。勿論100%には不可能ですが、80%程なら良く見て聞いて感じて考えれば。
私たちは100%の確証が無ければ何もしないでしょうか。
「判断できるのか」それを他人に問うのは意味のないことです。私達は「正確とは判断できない判断」を元に行動し論述することを日常既にやっているからです。そして一生続けるしかないのです。
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と言う与太話だけど、日本も世界も1000年くらい未来はそっちの方角に流れるんじゃないかな、と思ってる。
「太陽の沈まない帝国」だったスペインが、また覇権とか狙ってるかい?
国も歳をとって老熟する。「多くを望まない、高くを望まない、自分らしく居られればいい」。
ヨーロッパが老熟し、日本も老熟への道を進み、米国も衰えれば、次は中国の番、でインドとアフリカの時代が終われば、老熟の世界制覇完了。
そこまで俺の見立てだと500年から5000年。そこから先の10万年は「社会主義2.0」の時代だよ。大戦を回避できればね。
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「自由経済」は1万人に一人くらいの才能とやる気を兼ね備えた逸材だけに特区作ってやってもらって、他の99.99%は計画経済でゆっくりと回しながらゆっくりと働きゆっくりと暮らす。
それが「社会主義2.0」。
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だから「社会主義」は失敗した、んじゃないかな。
社会主義・計画経済って金を稼ぐ・発展するためのツールじゃなくて、みんながそこそこな状態で「安定」させるためのツールだと思うんだけど、同数ないしより多数の「自由経済」が周りにあると、負けて失敗に終わる。
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なんで社会がそうなってないかと考えると、金が社会の潤滑油として大きく機能しているため、「金を増やすぞ」って考えて動いてる人を止め難い。
誰かが「金を増やす方向に引っ張り始める」と、他のみんなもそっちに引っ張られてしまい、そう動かざるを得なくなってく。
