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ホリィ(新人)のことを語る

この質問、たくさん聞きたいことを欲張りに凝縮させてたんです。

・長慶死後の三好政権が将軍義輝を殺害した理由
・長慶が健在であれば、義維や義栄の出番はあったのか
・他の大名(たとえば毛利氏や武田氏)が長慶を「天下人」として認めてこれに従う可能性はあったのか
・逆に信長のように足利家再興の大義を掲げて上洛する大名が出てきただろうか

天野先生の言う通り、すでに足利家の権威が地に落ちていたとすると、言わば成り上がり大名の三好氏による将軍殺害という大事件があったからこそ、幕府再興の大義名分が時宜を得ることになったと思うのです。
三好長慶が生…[全文を見る]

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三好の話になってきたのでこちらに繋げます。
この天野先生の講演中に、質疑応答の時間があったらぜひ先生の意見を聞きたいと思って、こんな質問を考えてました。

「もし三好長慶があと5年長く生きていたら、三好家は足利将軍家をどんな形で克服して、他の大名とはどういう関係を築いていたと思いますか?」

事前に考えていたのは、地元にある三好長逸が城主を務めたという飯岡城のことや、篠原長房の評価や松永久秀との関係だったんですが、主催が徳島県人会ということで、多くのお客さんはそこまで三好氏の細かいところに興味があるわけじゃなさそうだったので、この辺…[全文を見る]

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三好といえば天野先生はこないだの講演で、信長が全国統一を目指したのは最後の2年または7年と主張されていました。えらい開きがありますが何を契機としているのか。7年だと天正4年の義昭下向と安土入城、2年だと天正9年の京都馬揃えでしょうか。
三好長慶のことは足利将軍家を軍事的・政治的・精神的に克服して倒幕への道を開いた「信長の先生」と表現されてますし、当然ながら全国統一事業を開始してからの信長については、神田氏が提示された将軍に代わる調停者というイメージではないでしょう。

天野先生は自分がやっている三好氏の研究はまだ基礎の段階だと率直に述べ…[全文を見る]

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ちなみに谷口克広氏『信長と将軍義昭』では藤田達生氏が説く幕府の二重体制や「鞆幕府」と「安土幕府」の分立が懐疑的な論調で取り上げられていましたが、藤田氏は鞆幕府を評価する一方で信長政権のことも初めて全国統一を志向した政権と評価されているようで、興味深いです。

藤田達生『天下統一 - 信長と秀吉が成し遂げた「革命」』

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神田氏は「天下布武」を掲げる信長の登場以前、16世紀後半の幕府が衰微した時代に既に「天下人」の観念が存在していたのではないか、とも述べていて、おそらく幕府の併存という考え方は取らず、将軍義昭の…[全文を見る]

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関係ないですが、この画像探してフォトライフ遡ってたらこれを見つけて

なんか童貞こじらせたおっさんの末路みたいだなぁって思ってしまいました

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あなたの好きな悪態(出来れば日本語)
表に投稿する勇気はなかった(っていうかこれは悪態なのか)

この後、耳を塞いで「わーッ ふ 不浄なーッ」っていうのが好きです。
平田弘史「薩摩義士伝」より

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天正8年5月には信長の方から毛利へ和睦を打診していて、これを受けた恵瓊は厳島神社の棚守氏に宛てた書状で「第一日本に当家一味に候へば、太平になり行く事に候条、天下持たれ候上にての分別には尤もに候」と賛意を示すとともに、将軍義昭のことは信長側の使者の言葉を引き「西国の公方にさせられ候て然るべき由に候」と記しているそうで、交渉は不首尾に終わったものの、この時点で毛利方、少なくとも恵瓊自身には将軍の所在に関係なく信長を天下人として尊重する意志があったことが窺えます。

また、天正8年3月に北条氏の服属を認め、天正10年3月に朝廷工作により「東夷…[全文を見る]

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一章立てて書かれている「信長と宗教」は特に一向宗や延暦寺への姿勢など『宗教で読む戦国時代』とほぼ同様の主旨でした。
この本全体がそうですが、信長の天下人として調和を重んじる姿勢を強調されていて、安土宗論にも繋がる法華宗への嫌悪も、他宗への攻撃的な態度を問題としたものと説明されています。
よく言われるキリスト教への好意的な姿勢も、日本側の史料にはほとんど見られず、イエズス会が宣教師からの報告書を都合の良いように改竄した形跡も見られるとのことで、殊更キリスト教を特別に扱ったと考えるのは誤りのようです。

通説的な「信長の自己神格化」に…[全文を見る]

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後半の件ですが、だからといって母はいわゆる「教育ママ」では全くなくて、どちらかと言うと放任的(というと聞こえ悪いけど)でした。
子供の際限のない欲求を全て受け入れても本人のためにならないし、自分の力で楽しいことを見つけて欲しかったんだろうと思います。
進んで流行に背を向けたり、「協調性がない」との評価をいただいたり、そういう子供の頃の体験が積み重なってこんな風になっちゃったわけですが、僕は自分のことが結構好きですし、母にはとても感謝しています。
(誤解されそうだなと思ったので一応フォロー…になってるのかどうか?)

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上から目線
遡ってみたら最初が2007年12月13日と、意外に古くからあるキーワードでした。
でもまあ、投稿数は大したことないですね。

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子供の頃に見なかった番組
小学校の高学年の頃かな、クラスでよく話題になってた「夕やけニャンニャン」を見てなくて話が通じず、それでからかわれたのが、内心とても腹立たしかったのを覚えています。
元々アイドルとか芸能界全般にあまり興味なかったんですが、その一件以来ますます避けるようになったのでした。

うちはテレビはなるべく見させない方針で、両親や祖父母が見ている時以外は一週間で決められた時間(確か2時間か3時間くらい)を配分して事前に計画した番組しか見られなかったので、厳選したアニメだけで精一杯だったわけですが。
(だから雑誌で読んである程度知ってるけど見るのは諦めた作品が結構ありました)

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「浦上久松丸」で検索して見つけた永禄12年「青山合戦」から浦上没落までの流れ

店唯一の犬: 正しい犬のしつけ
http://inusitu842.seesaa.net/article/389580973.html

ブログタイトルはアレですが、1年程前の「岡山地方史研究会」における森脇崇文氏の報告のメモのようです。宇喜多氏の研究でよく名前を見る方ですね。
「毛利にとって包囲網破りに宇喜多を使っているうちに信長と対立し、宇喜多が育ち過ぎた番犬に」との結論ですが、元亀3年の和睦を「宇喜多の要望により」としていることや、天正元年時点で信長が恵瓊に対して「尼子、三好、山名祐豊を認めず」という辺り…[全文を見る]

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無料分あふれて出しそびれた1月の伏見稲荷写真



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ちょうど先日「安芸の夜長の暇語り」で宇喜多の浦上離反から備中兵乱までの記事が上がってました。

織田と毛利の入魂~信長「元春兄貴、頼みます!」~からの備中兵乱」
http://tororoduki.blog92.fc2.com/blog-entry-633.html

年次不明ですが、四月五日付で信長から吉川元春に宛て、毛利と浦上・宇喜多の和睦あるいは浦上と宇喜多の和睦への協力を要請する内容とのこと。
篠原長房率いる讃岐衆が参戦した児島合戦の翌年、信長が将軍の意を受けて毛利、浦上、宇喜多の和睦を周旋したという、元亀3年のものでしょうか。

大門先生の『備前 浦上氏』を確認したところ、宇喜…[全文を見る]

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今日の知らんがなは黎明期の宝石業界を支えた名工・富太郎の一代記『トムとジュエリー』のあらすじを妄想

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いつかこれも貰って食べてみたいです

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[想像で語るタオバオ]って言いたくなるくらい、検索結果ページ見ただけでは何だかよく分からなかった
通販?オークション?サイトの名前?別に興味ないけど…