GoogleMapsで見るとこの辺り。谷に沿って建物が点在しているところが「お滝」のある場所です。
https://www.google.com/maps/@34.9651662,135.7874399,17z
ここから下りながら末廣瀧、御劔瀧、白菊瀧、七面瀧、鳴瀧と回れます。
これは末廣瀧ですが、他の瀧も大体同様に管理人が住む家が建っているようです。
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「ダンジョン飯」2巻買いました。飯シーンがあんまりおどろおどろしい演出なくなってきた気がしますが(慣れたのか?)、伏線っぽい話も出てきて面白いですね。オークが知能的に描かれているのも正統派っぽくて好きです。
あとオークで思ったのが、人の形をしたモンスター?が飯にされる話はあるんだろうかと…マーマンの刺身とか美味いのか気になります。
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資料館にて
「大野川合戦まつり」のポスターと写真がありました。戸次川合戦の舞台となったのが現在の大野川だそうです。
讃岐勢を率いる十河存保はかつての仇敵である長宗我部元親とともに、軍監・仙石秀久に従って大友方の援軍として参戦しましたが、秀吉の命に背いて功を焦った仙石の無謀な渡河作戦の失敗によって壊滅的な被害を受け、討死しました。(逃亡した秀久は改易されるも小田原攻めの戦功により大名に復帰)
この戦いでは長宗我部元親の嫡男信親も討死していて、十河氏と同様に長宗我部氏が滅んだ遠因とも言われてます。
侵攻を受けた阿波や讃岐では総じて長…[全文を見る]
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ご教示ありがとうございます。
橋本政宣氏は信長関係の本の参考文献でちょくちょく目にしていましたが、公家の研究で有名な方なんですね。
公家と将軍家の関係、公家と在地勢力の関係については部分的にしか知らないので、これから考察を深める上で課題に感じていたところです。
近衛前久が本願寺に逃れたことは重要とは思ってましたが、池田家の内訌も三好三人衆の調略というよりは、この流れで起きていたことなんですね。
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投稿先に困って「膝を抱え」で検索したらなぜかぴったり?のキーワードが出てきて笑った
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/243615785024807069
投稿数0だったけど気にしない
あれって投稿を削除されてキーワードだけ残ってるのかな
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ここが分かれ道
ここで右に吸い込まれていく人を見たことはありません。僕はたまに吸い込まれます。今回も。
振り返るとこんな感じで、初めてだと不安になりますが…。
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この情報をメモし忘れてて、今回は結局四ツ辻から一ノ峰に出て、参道から外れて瀧巡りとしました。
これは前回見落としてた二ノ峯63のかな
これを見つけた時は少し心が踊りました
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廃城後は盛んに田畑として開発されたとのことで、当時の地形がどれほど残っているのかは分かりませんが、お寺の裏側は急に落ち込んでいて、そこが墓地になってます。その先は池。
こちらから見ると、何となく城があったように感じてきますね…。
称念寺から少し北に外れたところには十河一存、十河存保、千松丸の墓地と「十河の郷」という小さい資料館と喫茶室のような施設があります。
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十河城跡、やすらぎ墓地、称念寺
真ん中のあたり少し高くなっているところが称念寺、本丸跡だそうです。
一応、高松市指定の史跡なんですけどね。時期が時期だけにやすらぎ墓地への出入りが激しくて感傷にひたるのが難しくて(笑)
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お盆も毎日甘い物食べてる
昨日は森上屋のわらびもち、今日はいちご屋スカイファームのかき氷
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念願の十河城跡行って、資料館見て、うどん食べて来ました。写真は後日
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知らないうちにハイク落ちてて知らないうちに復旧してたん
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そんで、松永久秀が阿波公方擁立に反対して三好政権から排除されたという妄想の続きになるわけですが、三好三人衆-近衛前久-荻野悪右衛門(赤井)直正が繋がってたんじゃないかという。
メモしてませんが、これの前にも細川昭元からの書状が掲載されてたんですよね。(多分池田勝正研究所の記事にある永禄12年3月20日の書状だと思います)
でも結局、細川昭元ともども三好方を離脱したようで、荘厳寺本播磨黒田氏系図には官兵衛の兄とされる治隆の代に、石原掃部助と赤井五郎(直正の甥)の攻撃を受けて黒田城が滅んだとあり、それが元亀3年と見られてます。
ちょっとゴチャゴチャして、本圀寺の変の後あたりからじっくり追ってみないとよく分かりませんね…。
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そういやこっちも買ってたのでした。大きい本なので別の棚に入れたままだった…
出水康生『戦国おもしろ百話』
多分『怨みまするぞ信長殿』の元ネタにされた連載記事の特集本、三好氏の末裔という方だけでも何人も紹介されてるし、地元ならではの興味深い話が盛りだくさんで面白いです。
富良野にある三好牧場も、三好一族の末裔の方が明治39年に15歳で渡道されて作ったんだとか。屋敷跡には三好大明神の祠があるそうな。
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[今日のおやつ]
安売りで買ったオキハムのレトルトぜんざい(麦入り)がもう賞味期限切れてるっていうことでしたが
氷も餅類もないので豆腐と一緒に食べたら案外いけました
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兵庫県史を手にしたのは内藤宗勝の戦死前後の動向を知りたかったためですが、その赤井文書に内藤貞虎からの興味深い書状がありました。
>>
其以後久不申通候、仍於京表、始三人衆被失利故、御屋形至播州御下向之条、我等も御供ニ罷下候、尤切々以書状可申承候処ニ、遠路ニ付、万事無音迄候、就其、為御使、同阿被差遣候、万御入魂肝要候、被対当御屋形様、数代御忠節、無并御家にて候条、此砌引立可被申事専一候、拙者も不断御近所ニ有之事候間、いか様之儀にても久可被仰越候、御文箱使可仕候、次時家、未申通候へ供、幸便候間、以書状申入候、不苦候者、被成御届候…[全文を見る]
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亀井鹿介?って書きましたが、今日たまたま読んだ兵庫県史に収録されていた赤井文書の中に、まさにそう呼ばれている書状がありました。
夜久長左衛門尉に宛てた荻野直正の書状で「従亀鹿、使僧被越候之処ニ、路次以下御懇被仰付由、祝着此事候、只今此仁差越候間、往来共御馳走頼入候、必以面、相積儀可申述候間、事々不具候、恐々謹言 八月六日 荻悪直正(花押)」と。
亀鹿…ジョークのつもりだったのに、本当にそう呼ばれた時期があったんですね。
あと、荻野悪右衛門宛の書状では、他にも足利義昭から「西国下向」に際して出したものや、武田勝頼から対織田戦における連携のために戦況を報じたらしいもの等も収録されていました。
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天野先生の長慶本を初めて読んだ時に湧いた、見方を変えれば松永久秀と篠原長房の評価が逆転するのでは?という疑問を原動力に、調べたことを記事にまとめました。
実はもう半年以上かけて少しずつ書き足しては削り、繰り返していったものです。
『細川両家記』はGoogleブック検索で読めたんですが、『足利季世記』は見つからなかったため、やむなくWebサイトに載せられていた抜粋を参考にしました。
今回の妄想部分は勢いだけで書いたので自信はありませんが、阿波公方の過小評価については真面目に訴えたいです。
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はてなブログに投稿しました
将軍・足利義輝の弑逆「永禄の変」から探る三好政権分裂の実情 - k-holyの史跡巡りメモ
http://amago.hatenablog.com/entry/2015/08/09/235616