お話しするにはログインしてください。

|

Tips:アンカー記法:[http://sega.jp セガ]の様に書くとセガと文字列にリンクを設定できる。
id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る
id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

この後、フラフラの状態で広島バスセンターに行って、安芸高田までグッスリ寝てました。
郡山城跡の写真もフォトライフにはごく一部しか上げてなかったので、また後日…。

今でもあるのかな、元就の里

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

斎藤基速については、『戦国三好一族』や天野先生の長慶本でも触れてましたね。
畠山式部少輔は先代が将軍義稙の取次役を務めた側近だったようで、永正10年3月の甲賀への出奔に同行、永正17年2月には細川澄元から義稙に恭順の意を伝える書状を受け取り、澄元の死後、翌年3月の淡路への出奔にも同行しています。
当初は義維が義稙の養子になった経緯もよく分からずピンと来なかったんですが、義稙が高国の排除のため澄元との提携を望んだ結果と捉えることで分かってきた気がします。

義稙と澄元の提携を前提とすると、赤松義村と浦上村宗の対立とその後の義晴上洛も、単に村…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

20代まで散髪屋通ってたけど、床屋談義に及んだ記憶はないです。
子供の頃は振られた会話に対して「はい」「いいえ」くらいしか返せない馬鹿でも何とか相手してくれますが、大人になるにつれ、コミュ障と看破してそっとしておいてくれるようになるんでしょう。
今は風呂場でかみさんに切ってもらってます。会話はありません。時々「右向いて」「下向いて」などと指示が来るぐらいです。
特にオチはないです。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

畠山尚順(当時は尚長)はこの数年後には子の稙長に家督を譲りますが、大永元年3月に義稙が淡路へ出奔した際、総州家の畠山義英とともに義稙を支持したため、高国との関係を重視する家臣たちに離反され追放されたようです。(Wikipedia情報)
元々、総州家は細川政元の支持を受けていた経緯があって、義澄-澄元方に与して尚順と対立していたんですが、なぜここで協力したのかと考えると、義稙が阿波勢に迎え入れられたことが大きいんじゃないかと思います。

畠山尚順の経歴は興味深いので、落ち着いたらこの人を起点に畠山氏を追ってみたいですね。
川岡勉先生の「河内国守護畠山氏における守護代と奉行人」という論文は見つけたんですが…。
http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/bitstream/iyokan/2328/1/AN00024786_1997_30_1-29.pdf

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る
id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る
id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

一人旅に出たいけど許されないので過去を振り返るライフハック(笑)

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

三鬼大権現


Wikipedia情報によると、天狗信仰の三鬼神(追帳鬼神・魔羅鬼神・時眉鬼神)を祀る堂とのこと。明治までは今の御山神社(厳島神社の奥宮とされている)にあったそうです。三鬼大権現は麓にある大聖院にも祀られてるみたい。

このお堂の中が猿に荒らされてえらいことになってました。畳の上にunkoが散らばってたし…(お昼時にすみません)
[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

山頂付近


なんかお堂(忘れた)朝から雨だったためかまだ他に人の姿もなく、静かに休憩してましたが

どこからか騒がしい鳴き声と物音が…
[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

包ヶ浦から弥山へ

登山道はこんな感じでよく整備されてましたので、サンダルでも何とか登れました。

見晴らしの良い場所は結構あります。

途中こういう所もありましたが…
[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

せんさんのブログ記事読んで、以前弥山へ登った時のことを思い出し、当時のフォトライフを見たら写真が妙に少ないし…無料分の容量も使い切れないくらい増えたので、改めて上げました。

2009年8月15日、ちょうど宮島水中花火大会の日でした。(狙って行きました)
でも夕方から来ても良い場所は残ってないので、宮尾城跡のある要害山の隅の方で斜面に寝そべって、あなごめし食べつつ見てました。

花火大会も終わり、フェリーの最終便もなくなりました。すっかり静かになった厳島神社。贅沢感を味わいましたね。僕は宮島で宿泊です。

厳島合戦で毛利軍が上陸したという包ヶ…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

「大樹帰洛行列」は人数三万余にも及び、大勢の見物人が集まったようです。

『後法成寺尚通公記』五月三日
> 大樹御歸洛也、供奉衆細川右馬頭、畠山次郎、同式部少輔、大館刑部大輔、一色兵部大輔、伊勢守以下十ニ三騎、奉公衆、御輿前二行、七八十人云々、板輿也、甲賀奉公衆種村刑部少輔父子以下御先ニ馬上也、畠山修理大夫ヌリ輿、騎馬四五騎也、次大樹、御後、細川安房入道塗輿、騎馬四五騎也、其後和泉守護彌九郎、次畠山尾州馬上、後騎十二騎也、次大内左京兆ヌリ輿、後騎十一ニ騎也、次細川右京兆ヌリ輿、後騎十二三騎也、人數三萬餘人計歟、見物衆如竹葦云々

[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

今日は細川高国と将軍足利義稙の対立について改めて『平島公方史料集』を読んでみました。

永正10年(1513)3月17日、将軍義稙(当時は義尹)が細川高国の専横を怒って甲賀へと出奔しました。
関白近衛尚通の日記『後法成寺尚通公記』には「言語道斷次第也、京都仰天、無是非者也」と記しています。

三月十八日
> 昨夜大樹御遁世云々、言語道斷次第也、京都仰天、無是非者也、對此間兩京兆御述懐云々

三月十九日
> 心中念誦如例、大樹之進退無心元由、以俊永、式部少輔江申遣處、使者ニ令對談、祝著之由令返事

「對此間兩京兆御述懐」は大内義興と細川高国から恨み…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

なお「松田光致」で検索したところ、米津彬介『舳のない笹舟』という小説がヒットしました。

428602041X
Ads by Amazon.co.jp

>信長に迎合せず、大和の信貴山城で壮絶な最期を遂げた戦国の武将松永久秀の生涯を描く!奸雄、梟雄、狡猾など、悪名高き男というこれまでの定説をくつがえし、新たな光をあてた歴史物語。

とても気になったんですが、ここの感想を読んだ限りではどうも止めといた方が良さそうに思えてきました。
http://d.hatena.ne.jp/sekisei344/20071206/p1
>>
何せ小説内で作者が長慶を説明している文章が「何の取り得も見所もない単なる神経質な下ぶくれっツラ」だぜ!?挙句に戦の技量は木沢長政以下に描かれてて、何も考えずに兵を興してその結果本願寺(←僧扱いなのでヒエラルキーが高い)と謎のオリキャラ女にボロクソに詰られて涙目のボンクラ長慶たんとか普通にありますからね。何だそれ!
<<
(´・ω:;.:...(そっ閉じ)

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

『戦国三好一族』に記載の堺幕府奉行人一覧に挙げられている名前をいくつか検索してたら、文明年間から天文年間の幕府奉行人をまとめられているページを見つけました。

室町幕府奉行人一覧
http://www2u.biglobe.ne.jp/~med-j/kenkyunotomo/bugyonin_frame.htm

義稙-義維方をまとめるとこんな感じ。
斎藤時基…永正5年(1508)~大永7年(1527)
飯尾為隆…大永2年(1522)~享禄2年(1529)
斎藤基速…大永6年(1526)~天文元年(1532) 後に三好長慶の元で松永久秀とともに取次を務める
斎藤誠基…大永6年(1526)~享禄4年(1531)
治部直前…享禄元年(1528)~天文11年(1542) 天文2年より…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

僕は本も漫画も「一度しか読まない物は買わない」を徹底してますが、それでも本棚からだいぶ突き出てきて、時々かみさんに責められてます…。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

戸次川合戦といえばちょうど今月、桐野作人氏の連載「さつま人国誌」で3回に渡って採り上げられてます。
http://373news.com/_bunka/jikokushi/

>>
秀久は豊臣軍の緒戦になるだけに、手柄を立てようとやる気満々だった。戸次〔へつぎ〕川(大野川の地元名)を前にして、「この川は九州一の大河で、すこぶる難所ではあるが、多勢に切所〔せっしょ〕(困難な要害)はない。恐るるに足りない」と豪語した(「土佐物語」)。
 これに対して、元親が「この川を渡るのは以〔もっ〕ての外の大事です。敵が川端から引いて備えています。堤の陰に伏兵がいるのは疑いありませ…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

仙石秀久“悪役”返上へ 9月4日から兵庫・豊岡で企画展
http://www.sankei.com/region/news/150828/rgn1508280066-n1.html
>秀久は農民が逃亡するほどの圧政を強行したとされるが、今回の展示では新発見の資料で温情ある新しい人物像と生涯を紹介」

どれどれ、と思って読み進めたら…
>新出の慶長15(1610)年、同16年の秀久黒印状(2通)によると、自らの圧政に伴う農民の逃亡を防ぐ農村復興策として、年貢の減額・猶予による農民の帰還や、農村の有力者に恩給を与えて家臣化するなど、秀久が断行した善政を裏付ける記述が見られる。

むしろ「農民が逃亡…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

そういや天翔記がシステムそのままUIを今風に、最新作の絵で全武将固有になって新発売とのこと。
http://www.gamecity.ne.jp/tenshouki/hd/

日常的に遊ぶ暇はないだろうけど、記念に買っとこうかな…一番ハマったのはたぶん天翔記なので。
コンピュータがすこぶる好戦的で軍団を委任するのが楽しかったと記憶してます。あと恐ろしい勢いで攻めてくる南部晴政と長尾為景。