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Tips:書きやすい書き方が、読みやすい文章になるというものではない。時には読む側の目になって自分の書き物を見直してみよう。
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あんとわのことを語る

1ヶ月ジンクスの話

さて、1ヶ月経った。
が、とりあえずは様子見。
あせっては いけない。

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今年から、空気も読まないことにしたし本来しなくてよかったはずの我慢ももうしないことにしたので、とても個人的な話だけれども、洗いざらい書いた。

はてなブログに投稿しました
受け入れられないものは受け入れられない - ねんのため書いておく http://antoine.hatenablog.jp/entry/2016/03/18/232650

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そうですね、新人俳優に対してプロの批評家がこの表現を使う場合は、そのような意味が多分にあるのでしょうし、ネギさんのおっしゃる通り、“新人への期待を込めた甘い評価” なのかも。例にとった「17歳のカルテ」の場合、それ以前から映画に出ていたとはいえ、当時これで有名になったA・ジョリーに対し、新人へ期待をこめるような形の評価をしたということも、プロの批評家ならあり得ますね。当時私がこれを気になると思ったのは、本来はネギさんが書かれているようにあまりいい意味ではないはずの この “食う” を、言ってる側が、いい意味/褒め言葉として使っていたからで…[全文を見る]

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やはり、おかしいものはおかしいと言わねばならんと。そもそもの発端が言いがかりであって、黙っていればそのうちやめるだろうと思ったからこそ黙っていたが、それで向こうがやめなかったということは、黙っていたらいつまでになるかわからんということとなる。とばっちりを受けた側としては、もはや周囲に気を遣う義理もなし (気を遣ったのはあくまでも “周囲” に対して。向こうへは遣っていない、言いがかりの時点から、気を遣う義理はなくなっている)。

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何かがひとつでも違えば、のちのすべてが違ったものとなる。ものごとが起こるタイミングが、その後を左右する。そういうことについて、ことあるごとに考える。即ち、クシシュトフ・キェシロフスキの映画「偶然」で描かれたようなことについてだ。違う行動を取っていれば、起こるタイミングが違えば。そういうことについて、考えずにはいられない。

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あることに関して、“1ヶ月ジンクス” がある。

もうダメかと思ったら1ヶ月後に元に戻って、その後また、やはりもうダメだろうとなった時にも1ヶ月後にどうにかなった。

どうにかなったあとすぐにまた、ああこれは、となって、そこから2週間経つ。そこで、1ヶ月ジンクスの縁起を担ぎ、残り2週間が過ぎるのを待つ最中。この1ヶ月ジンクスが必ず効くという保証はない。しかし、ジンクスと呼んではいるものの、そのぐらい時間の経った状態がちょうどよかった、という点もじつは多分にあるゆえ、根拠がまったくないわけでもなく。“1ヶ月” という時間が重要な要素。保証はないが。

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あ、もういっこあるんだった抱負。“本来しなくていいはずの我慢はしない”。

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3月にもなってから言うのもなんですが、私の今年の抱負は “空気を読まない” です。

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【祭り求む】

アカデミー賞の日はよかった。

なにしろ、映画ファン的には祭りである。隙を見て結果を追い、時間のある時にそれをハイクなどに投稿したりするだけで、その間ずいぶんと、余計なことを考えずに済んだのである。特に今回は、大記録が出たり、レオナルド・ディカプリオの受賞が例年を上回る注目を集めたりと、話題に事欠かなかった。そういうのを、ハイクなどになんだかんだと書いていれば、今考えてもどうしようもないことを今考えずに済んで、じつにちょうどよかったのであるが。

実際、授賞式の当日および翌日ぐらいまでは、かなりよかった。しかしその更…[全文を見る]

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【Fahrenheit 451】

過去数年の間にほんの数回しか通っていない、という道がある。数回しかないがゆえに、通った時どんな状況だったか、何を話したかは比較的よく覚えている。

昨年、友人と一緒の時に、その道を久しぶりに通り、映画の話になった。友人は、特に映画好きというわけではない。外国語の勉強というか忘れないために見ることはある、という。いついつどこそこでなんという映画を見た、という話の中で、友人が「Fahrenheit…… なんとかっていうやつ、忘れたけど。それも見た」と言った。タイトルにFahrenheit? だったらそれは “Fahrenheit 451” だろう。『華氏…[全文を見る]

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【映画について書く時】

いろんな映画で《素晴らしい》を多用してしまい、さすがにこれは使いすぎか、と思いつつも素晴らしいがひと文の最後にきてるとどこかしら座りが良くてちょうどいい、みたいな気もするので、素晴らしいと言うにしても、この映画のどういうところがどんなふうに素晴らしいと感じたのかはちゃんと言っとこう、とは思う。

《奇跡》だ、という言い方はなるべく避けてる (冗談やネタでなら、わざと使うこともあり得るけども)。というのも、文章のうまい人ならいい具合に文中に織り交ぜられるだろうけれど、私の文章ごときでは、単に言い方が大袈裟なだけ…[全文を見る]

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【名前の呼び方】

人をどう呼ぶかの話。酔っ払いの友人がいるが、よく知っている友人なのでそのあだ名もそりゃあ知ってはいるが、そして職場関係の人とかいうわけでもない友人なのに、こちらからは、なぜか基本的にずっと苗字呼びである。で、この酔っ払いの会話の中に頻繁に出てくる、酔っ払いがしょっちゅう一緒に飲みにいっているという同僚のかたのことは、なぜかあだ名で呼んでいる。とはいえ私はこの同僚のかたのことを、顔見知りと言うことすらできないほどに知らない。顔合わせたことがあるのは2回だけ、それも去年だし、挨拶程度にしか喋っておらず、道ですれ違…[全文を見る]

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【酔っ払いの話 (ハイクの呪い編) 】

七・七・七・五しりとりに泥酔野郎などと書いた昨日、泥酔すると記憶をなくしたり帰り方がわからんとか言い出したりする友人から、泥酔したらしき連絡があった。実際見てみると、毎度の泥酔ほどは泥酔してないんじゃないかという風情であった。わりと平気そうやがな、と思いつつ、風邪がひどいと言っててなに飲みにいっとるんとか、仕事の付き合い上断れんかったから仕方なく飲みに行ったなどという話をする。前の晩ほとんど何も食べられず今朝仕事行きしなに無理矢理よしぎゅう食べて昼はまた食欲なくして食べられずさっきも食べずに飲んでいたという有り様だった、と。せめて飲む時は食べれば、と言っていたら、よく一緒に飲みに行く同僚も風邪で… と言い出すので、その人にうつしたんちゃうんと言ったら、いや同じ時期から風邪ひき始めたからうつしてはないはず、と言うのでそれ多分同じ場所で風邪の菌もらってきたんちゃうの、という結論に至った。そもそも昨日この友人と会った私にこそうつってへんのんか、という懸念。友人は案外大丈夫そうだったので然程心配でもなく、むしろ自分の心配だけをする私。あまりに何も食べてへんからこのあと中華屋行かんか、炒飯食うか炒飯、などと言っていたので、友人は平気であろう。

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今日はあかん

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少し前、トリュフォーのドワネルもの5部作の中のとあるシーンを、なんとなく思い出すことがあった。あれは「家庭」の冒頭とラストか。主人公アントワーヌが妻と一緒に家を出るシーンである。

アントワーヌは、出かける準備に自分よりも時間のかかる妻に “はやくしろ” と言わんばかりに、玄関のドアを開けた途端、妻のコートとバッグをアパートの階段の踊り場に放り投げる。駆け降りてそれらを拾う妻は、何をするの、とは言うものの、別段怒った様子もなく、またか、ぐらいの感じである。そしてせっかちに階段を走り降りるアントワーヌに合わせ、自分も小走りで降りてゆく。…[全文を見る]

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つい今しがた、こちらの画像を見たあと自分のページに戻って「オデッセイ」という文字列を目にしましたところ、見事なまでに「オットセイ」と空目しましたことをご報告いたします。