お話しするにはログインしてください。

|

Tips:プロレスラーは、ヒンズースクワットといって、最終的には三千回やってもらいます。最初は五十回で結構です。
id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

話を戻して、2月16日の戦いでは「大物北の横堤」で戦闘があり、雨が降って中断したとありましたが、おそらく相当な悪天候の中での合戦だったのではないかと思われます。
「続南行雑録」より、少し飛んで3月の風聞。
> 三月十六日、河内高屋城落畢、御曹司、同遊佐、越智請取落シ被申訖、当國一圓ニ越智進止也、武家一向ニ不及入部者也、六郎殿ハ、去二月十六日夜尼崎舟沈テ他界云々、未諸人六郎殿ヲ見ル者一人モ無之云々、
高屋城が落城して「御曹司」畠山稙長・遊佐氏から越智氏の手に渡り、大和も越智が支配するところとなったが、武家は入部に及んでいないとのこと。…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

( ´-`)。o 0(…「フナの恩返し」…幼少の頃、バス待ちの暇つぶしにドブにいた子ガエルの群れに石投げて殺害していた僕は、いったい何を返されるか…恐ろしい…)

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

プレミアムなフライを色々と考えて、これを思い出しました。

もう10年近く行ってないけど、検索してみたら、まだお店あるみたい。でもフライデーに訪れるのは難しいかなぁ。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

脱線しますが、「細川両家記」の2月16日の尼崎・長洲での合戦では、大物北の横堤に高国方の香西与四郎が攻め寄せ、三好孫四郎と太刀打ちしてどちらも名を上げたが、日が暮れて雨も降ってきたので双方兵を引いた。高国は劣勢と見て各城に連絡して京都へ撤退したとあります。

「香西与四郎」は香西元長兄弟を代表する上香西氏には見えない名前で、晴元期に丹波で活動した香西元成が与四郎を名乗っていることからその父と見られているようです。この香西元成は讃岐での活動が見られないのですが、「香西記」が伝える下香西氏の系譜に元定-元成-元清とあるため、Wikipediaで…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

「続南行雑録」より2月5日の風聞。
この史料は「続々群書類従 第三 史伝部」所収、八木書店によると「水戸の儒臣佐々宗淳が元禄年間に奈良で採訪した春日若宮社司家代々の記録と寺社の由緒故事」とのこと。実は狙って読んだわけではなく、たまたま手に取って開くと見覚えのある名前の史料だったので読んでみると…まさしく、という感じでした。「祐維記抄」という名前で引用されていることも多いみたいです。
>二月五日、伝説云、津國コシ水ノ城、去三日夜落了、大将ハ河原林也、勢ハ不損云々、池田イタミ迄細川方ノ人勢悉以引退云々、

「細川両家記」によると、三好之長…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

「細川両家記」によると永正17年正月10日、高国は越水城を救援すべく二万余で攻め寄せましたが、戦況を覆すには至っていません。
そんな状況の中、正月13日に今川修理太夫(氏親)に宛てた御内書案。
>就澄元摂州出張之儀。飛脚到来。尤神妙候也。
京都から遠く離れた駿河の今川家でも、澄元の上洛戦の様子が気にかけられていたのでしょうか。

その後、2月3日には越水城が開城したため、高国は尼崎・長洲まで陣を後退させました。
2月6日、佐々木中務少輔(京極高清?)に宛てた御内書案。
>京都忩劇之條。不移時日令参洛。抽忠節者可為神妙候也。
高国方の劣勢が伝…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

先日はこの「御内書案」の続きと「続南行雑録」より永正17年頃の動向を確認しました。

永正16年12月8日付御内書案、細川右京大夫(高国)に宛てたもの。
>其後者時宜如何候哉。無心元候。早速勝利被待思食候。猶貞辰可申候也。
澄元方はこの頃越水城を攻囲中、以下「細川両家記」によると高国は11月21日に京都を出て12月2日に池田城に入り、越水城の後詰めのために武庫川沿いに布陣して合戦という状況。

同年12月28日には佐々木四郎(六角定頼)に宛てて。
>連々不可存疎略之由。被聞召訖。彌致忠節者可為神妙候也。
六角氏に対する援軍要請です。2月には高国が近江へいったん退去するも将軍義稙はそれに従わず京都に残り、三好之長が京都に入るわけですが、高国方は5月に六角氏の援軍を得た上で丹波勢と呼応して反撃、という流れになります。
六角氏の反応がもう少し早ければ、義稙も澄元を受け入れることはなかったのかもしれません。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

岩松=南朝云々はtwitterで全く同じこと言ってる人がちらほらいたみたいですね。南北朝好きな方々が盛り上がってたとか。
というか、井伊=南朝方ってこれまで作中で一度も触れてなかったのかな?あんまり集中して観てなかったので覚えてないけど…。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

南北朝期に井伊家は南朝方だったそうですし、岩松といえば近世には大名家ではないものの、正式な(素性の不確かな徳川家とは違って)新田一族として徳川家からも尊重されていたそうなので、南朝を通じた連帯意識みたいなものがあったのかな?と…ただの思いつきですし、今Wikipediaを見たら上野の岩松氏本家は足利氏に従っていたみたいですが。
でも、政次が彼なりにあのような策を用意していたとすると、直親の短慮への苛立ちだけでなく、次郎法師の振る舞いにも大いに傷付けられていて、それが後の行動に繋がっていくという話なのかなぁと思いました。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

あー、検地に来てた岩松さんって聞き覚えのある名前だと思ったら、新田岩松氏の支流か何かっていう設定?それで南朝の皇子様って言われてつい甘い対応をしてしまったと、そういう話なのかも。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

今日も見ましたけれども、政次に感情移入させようとしているとしか思えない、直親の明朗闊達、と見せかけての傍若無人ぶりですわね…。
政次よりも先に、こちらがダークサイドまっしぐらな気分。せめて奥さんとはもっと仲良い感じにしてくれれば…と思ったけど、それはそれで腹が立つかもしれませんね。
歴史ドラマとしてどうか、というのはまだ素材の難しさで不安は拭えない感じですが、今のところ三人の関係は面白い描き方してるなぁと思って見てます。
あとはもうちょっと傑山を…。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

あと、永正16年8月には細川右京太夫(高国)に宛ててこんな内容も。
> 就和州諸牢人出張之儀。急度差遣一勢。順光ニ合力候者。可為神妙候也。
「和州諸牢人」は時期的に考えて、阿波の細川澄元の上洛戦に呼応したものでしょう。
義稙は以前より赤松義村を仲介して澄元とも通じていたって話があるんですが、義稙が手足と頼む順光に迎撃させていると読めば、少なくとも公的には全く高国支持で動いていることになるわけで。
だとすると、やはり山田先生の義稙本にあったように、三好之長が上洛に及ぶ前後ギリギリの決断で澄元支持に変えたんじゃないかと。
この辺の細かい動向は参考になる論文とか資料が手元にないので、妄想だけで突っ走るのはあまりに危険だなと思い始めました。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

先日はブログ記事のためにまた図書館で続群書類従を読んでたんですが、武家部に将軍義稙の御内書案が収録されているのを見つけて、答えを探していたはずが更に疑問が増えていったという…。
気になったのは、永正14年6月2日付の伊勢貞陸から「勝山院」宛の以下の内容。
> 進退之事懇望之由。大内左京太夫執申之條。被聞食訖。猶義興可申候也。
勝山院は畠山尾州とのこと。Wikipediaによると畠山卜山(尚順)の法号が「勝仙院」らしいのですが、「進退之事懇望之由」って何だろうなと。
「猶義興可申候也」っていうのはよくある定形文言で、詳しくは使者の○○から直接話しま…[全文を見る]

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

【今日の知らんがな】バレンタインデーにちなんで「チョコ」を「チ○コ」に変える遊びを脳内で展開しております

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

おんな城主 直虎
直親になった亀は、聖人君子っていうかただの短慮な人みたいになってる…政次がダークサイドに落ちるのもやむなし、みたいな感じにするのかな。
そして傑山は、ただの次郎法師見守り隊みたいになってる…。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

あと、「忍たま乱太郎」って見るたびに、自分がネットで名乗るハンドル候補に「金たま乱打郎」ってのがあったことを思い出します。【怒られる】

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

あと、前作のダイレンジャーがすごい強い感じだったのに、カクレンジャーはいつも弱かったのが印象に残ってます。ああ、それで人に隠れなきゃ斬れないわけだ…?

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

「忍者」と聞いて何を思い浮かべるかで世代がわかる
戦隊シリーズで忍者をモチーフにした作品って結構たくさんある?んだなーと。
僕が見たことあるのはケイン・コスギが出演してた「カクレンジャー」だけですが。
毎回「人に隠れて悪を斬る!」とかキメてくるんで、辻斬りかよ、ってつっこんでた。ストーリーは覚えてません。

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

宗三左文字の件は以前に調査してたのでした。
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/243614889502390406
今のところ、羽皐隠史『詳註刀剣名物帳』をネタ元としてWikipedia経由でWebに広まってしまったという結論で良さそう?

id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

季刊「大阪春秋」で三好特集やってたのですが、近所の本屋では売っておらず、いずれ大阪に買いに行かないと…と思っていたところにちょうどこの講座があったので、会場で購入したものです。

徳島県知事と大東市長と高槻市長の鼎談があったんで、その記念の講座でもあったんですね。
三好ゆかりの地に関係する研究者の方や、ゆかりの寺の住職さんなど、三好づくしの内容ですごく充実なんですけども…。
ちょっとサイズが大き目で薄いので、そのままカバンなどに入れて持ち歩きづらいし、家でも手元に置いてちょっと待ち時間にパッと読むのも難しいしで、結果あまり読み進めら…[全文を見る]