一時期、韓流やk-popアンチで台湾ドラマや台湾アイドルが紹介されていた
時代があったけれども、美辞麗句を並び立てたはずなのに、画面から漂ってくる
「如何にも韓流やk-popがきらいだから、台湾をヨイショします。」
みたいな空気が漂っている。
私も韓国は嫌いだけれども、そこまでやることじゃない。
台湾アイドルも、社交辞令みたいな言葉を並べ立てるだけだったし、
何も考えないで少女漫画ドラマばかり作るドラマの現場がそこには漂ってくる。
日本のドラマやアニメだって、韓国のドラマや映画だって嫌いなやつは
たくさんいるけれども、それでも確立した世界を持っ…[全文を見る]
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ヒトコトのことを語る
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それにしても保守・右傾化には極度に恐れることなのだろうか。
僕は地下で活動して人間を戦争に進ませるカルト思想みたいに
考えたことがある。
保守・右傾化を極度に恐れていると、彼らが何でもできるように
思ってしまう。
保守・右傾化を極度に恐れている人に限って
「保守・右傾化を警戒せよ。あんなヤツを無視をしたって
だまって増殖するのだ。」
みたいなことを言われたことがある。
僕も保守・右傾化は苦手だけれども、極度に恐れる程ではない
と思っている。
昔は保守・右傾化と聞いて、恐怖を撒き散らす集団と考えたことが
しばしばだった。
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何故か母親の考えるアメリカの豊かさ・憧れのほうが実感が伴わない。
母親が天皇制批判やロシア批判をしてもなんともなしに聞いている
けれども、母親の心の根底にあるアメリカの豊かさ・憧れに対する
考えに基づいてもの定めをするほうがずっと恐ろしく感じる。
ロシアにしろ天皇制にしろ、ある意味惡意を見せるものは
惡意で自己完結しているが、
豊かさ・憧れ、お手本という図式を人に見せたもののほうが
なにかそれの実感が伴わない人に、恐ろしい感情を背負い込んでしまう
自分が怪物になってしまうのではと思ってロシアや天皇制より怖いと感じている。
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ラブライブ! スーパースター!!だけれども、
キャラの人数が5人か。
わたしが想像したのが、現実世界のももクロ、ジャニタレ、ldh,
k-popアイドルの構成員の人数ぐらいだなと思った。
前作虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の時代は
現実世界の
秋元康プロジェクトやボイメンみたいな印象を受けたけれども、
今度は4-6人ぐらいの人気アイドルグループ風にしたのか。
ここにもジャニー喜多川の亡霊がいるから悲しい。
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そういえば轉載だろうけれども、yahoojapanでジャニー喜多川の一周忌の
記事が掲載されていた。
相変わらずの美辞麗句が多かったが、yahooコメントは彼が虐待や
セクハラをしていたことが指摘されていた。
そういうことはどうでもいい。
もし、彼の罪を上げるならば、私はアイドルのグループ化を促進したことだろうと思う。
彼の生前からアイドルのプロデュースを始めたつんく♂しかり、ldhしかり、
k-popしかり、ジャニー喜多川の技法を踏襲したアイドルのプロデュースばかり溢れている。
ある意味暴虐の限りを尽くしたジャニー喜多川は消えたというか去ったんだから
そろそ…[全文を見る]
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韓国時代劇を一興業やったときに、しばしば登場する、
チャン・ヒビンとか言う人。
私は日本の戦国・幕末史における松永久秀や岡田以蔵を
髣髴とさせてしまう。
自分の力で一時期暴れまわって、惡名を轟かせて、
後年、変なイメージで記録される。
似ていすぎて怖い。
あの手この手で歴史にインパクトを残して人に嫌なイメージを
与える人は洋の東西を問わずジェンダーを超えて記録される。
どうも韓国映畫界のチャン・ヒビンがやたら登場する企画建ての
李氏朝鮮ものには昔より興味がなくなった。
それは日本の戦国・幕末に関しての企画と同じに見えるからだ。
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この際だから、爆發してしまうけれども、私は母親のTVの見方に不満がある。
いつもTVがついていなければいけないようで、特に番組改編期はイライラする。
昔は我慢できていたんだけれども、何も番組のない番組改編期ぐらい
テレビがないときがあってもいいのに、無理やり付き合されている感じがする。
「疲れているからなんとなくテレビがみたいの。」
とか言うけれども、そこまで興味ない部分だってあるのに、我慢してみなければいけない
空気に包まれるのだ。
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マジレスすると私が韓国やインドなどのアジア映画や映画が好きなのは、
「全く実感のないアメリカの豊かさ・憧れという感情ばかり押し付けてくる親に
白けたから。」
という部分があるからだ。
もし、親のように
「あの憧れの欧米に近づきどう乗り越えるか。」
という物差しだけですべてが完成していたら、気持ちが楽だろうな、安全だけですべてが
見えていただろうなと考えたことがしばしばだった。
でも、それは私は存在しなかった。
過去を描いた漫画とかでアメリカのホームドラマに
「おれたちもああなりたいよな」
とか言って、憧れているシーンに白けて読んでいたこともある。
同じような場面がおれたち世代の「ホーム・アローン」や「トイ・ストーリー」とかで
出てきたけれども、
私からしたら、「ただアメリカの風景が映し出されている」程度の感想だった。
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いつだったか、私が私淑していたノンフィクションライターが
こんなことを
述べていた。
「ココ最近の右傾化は目に余るものがあります。(中略)その中でも
排外主義的なメルマガには眉をひそめます。」
これを聞いたとき、「右派は巨大な存在として、我々を黒い霧で
支配しようとするんだ。」
ぐらいに考えた。
この作者は保守気味のドイツの政黨のほうがずっとリベラルな部分があると他の場所でも
述べていたので、右傾化というのは日本の発展途上の側面だと信じていた部分があった。
その話を天皇制嫌いでロシア嫌いの母親に言ったら、
「左傾化にも気をつけなさいよ。」
と言われた。
右傾化・保守勢力がとてつもなく巨大な存在だと思っていた私には
「全くこの巨大な不安が力を持っているので、なんでわからないんだ。」
と、喧嘩になった。
ここ10-15年の右傾化・保守化って學生運動より不安に思わない人もいるだろうかなとも
今は思う。
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先日スリランカ女性が収監中になくなった話題が方々で報道された。
横で母親が、「どうせ密航でやってきたんでしょ。あの人が死ぬのは
仕方ない。」
といった。
また、母親の思い込みやアジア蔑視みたいなものが言わせたんだろうなと思った。
私はムトゥ踊るマハラジャや韓流ドラマを横で見ているのを嫌味たらしく言ってやめさせた
母親はテレビのイ・ビョンホン特集を見ないのは好みの問題というけれども、
そんな簡単に受け止められなかった。奥底にある比較的最近の日本人が考える
反韓主義より恐ろしい、アジア蔑視みたいなものが存在するのではと思って
悲しくなった。
だから母親がムトゥ踊るマハラジャや韓流ドラマを批判する背景も、なくなった
スリランカ女性に対する言葉も母親の高度経済成長時代の思い込みや心のゆるみが
言わせているのかもしれない。
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oasisやbulrが日本に紹介されてもう25-30年ぐらいになるみたい。
Twitterから流れてきたk-pop関係の資料を読んでいて、
「日本ではロックバンドの音が未だに好まれる。」
と、発言している音楽とかに一家言ある方がおっしゃっていた。
カート・コヴァーンがなくなったあと、oasisやbulrが日本に紹介された
背景って、その日本人のロックバンド好きの心に取り込んでいたのではと
推察する。
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僕も右や保守は嫌いだが、右や保守を殊更に恐れるべきではないのでは。
右や保守がなんでも惡事ができるみたいな、極端な右翼攻撃も
ネトウヨや行動する保守運動が出始めたとき、そういう論説も目立った。
「右や保守の言い分をそれなりに警戒せよ。」
というが、必要以上に気にしすぎて、大した事も無いやつを大袈裟に
受け止めるだけでは。
政治に興味をなくしてからは、右翼保守が政治に興味があったときより
怖くなくなった。
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光GENJIが人気を集めだした時代、並行して工藤静香が売り出されたけれども、
これを見ていると
工藤静香という河合奈保子の路線の継承者みたいな人が売り出されたのを見ていると
アイドルを売り出す運営側もそこまで集団アイドルにこだわりを持っていなかったのでは。
ももクロが売れ始め頃からジャニー喜多川が亡くなってすぐぐらいの現代、
アイドルを売り出す運営も集団アイドルにやたら注力している感じがする。
運営側も楽だから集団アイドルのほうがいいと思うのかな。
そういえば、昔mi-keとかいうアイドルがいたけれども、
「売れない女の子をまとめ売りできるから…[全文を見る]
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昔、わたしは寮歌にこったことがあって、結構ハマって聞いていた。
しかし、母親に「胃液が出そう」と言われてほとんど圧力みたいに
言われて、あまり聞きたくなくなった。
母親は「都会的で洒脱なジャズ」みたいな戦後現代主義的に正しい世界しか見えない人。
私はジャズのほかメタルとかパンク、ヒップホップなんかも受け入れることが
できるけれども、母親のジャズの流れみたいに感じている。
そこまでにとどめておけば、母親に圧力を加えられることがなかったかもしれない。
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現在、河合奈保子のアルバムを視聴中。
彼女については「遅れてきたファン」だったので、リアルタイムではアイドルが
苦手だったので、そこまで聞いていない。
私がリアルタイムのアイドルであるSMAP、tokio、LDH,ももクロ、有安杏果あたりに
興味を持ってから、「彼らより昔のアイドルを聞いてみたい。」と思っていたときに
図書館で彼女のアルバムを見つけてダビングした。
意外とハマっている。
としくってから、色々聞いてから、「これはこれでありかも。」と思うようになってから
なぜだか愛聴盤になってしまった。
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何處かの野球関係の言及をしている私設サイトの管理人様
が、筒香嘉智に関して言及をしていたのだが、mlbの選手について
いかに強いか話していたが、どことなくその強さが実感できない。
今、mlbの選手で油の乘切つた選手って例えばサッカーのサディオ・マネやルカ・モドリッチ、
テニスのロジャー・フェデラーやラファエル・ナダルのようなレベルだと思う。
筒香嘉智に関して言及をしている人もmlbの選手の強さがわからないのにもどかしさを
感じてしまっている。
サッカーやテニスの選手を引用しなければその強さがわからない野球中継は嫌いなのだ。
日本の野球が嫌いで、mlbのファンをやっている人は多いけれども、報道現場とある程度のファンの
空気がずれ始めている。
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また調子に乗ってヒトコト。
韓流からさかのぼってムトゥ踊るマハラジャの時代からなぜアジア映画やアジア音楽を
紹介する空気が強まったのだろうか。
やっぱり欧米映画・音楽という路線がみんなあきぎみで、ちょっとした秘境探険を
したくなったのだろう。
敗戦直後から1970年代ぐらいの欧米映画・音楽に強い感銘を受けた世代には
そこは理解ができないのかな。
確かに戰時中に潤澤に色を使ったカラー映画やボブ・フォッシーのような度肝を抜く
演出に感銘を受けた人はそこから自分を見出そうとしたのかもしれないけれども、
ある一定より下の世代には、資料とかで見ていて思うけれども、
欧米映画・映画と聞いてただ存在だけが大きい存在と受け取ってしまう側面もありそうだ。
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昨日から始まったドラゴン桜part2だけれども、part○○という言葉を使う背景
にはルパン三世PART1とルパン三世PART2の間に流れる空気に近い。
時代背景や企画展開する枠の流れで、感じるものが違うのは、
ルパン三世もドラゴン桜も同じかもしれない。
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私が、母親の日本と西洋の比較という部分だけでサブカルを見る視座を
許せないと思うようになった瞬間はいつだろうか。
私はグランジが流行っていた時代ぐらいは母親が韓国やインドのサブカル
をバカにしても「まあ、仕方がない」
と思うことがしばしばだった。
しかし、カート・コバーンが急逝したあと、oasisやbulrのような音楽を持ってきて
流行らせてから、自分が洋楽を馬鹿にし始めたし、それを弁護する母親に怒った。
グランジの関係者がいなくなったあと、その後oasisやbulrじゃなくて
もっとアバンギャルドでキャッチーな音楽を持ってきてほしかった。
でも、違った。時代は思ってもいない方に動いていった。
なのに、韓流ドラマやインド映画だけではなくて、元ちとせにもいやみを浴びせる母親に
「昔にしがみついた年寄り」
って強く思うようになっていった。
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サンモニは外野と企画担当のスタッフとパネラーの泥試合で気にしているだけ
相手にしたくないし、相手にするほどのものだろうか。右寄りじゃない人も
やたらサンモニを気にしている。気にすると精神汚染を犯す企画ってのが
極端な私の意見だ。