『イヴ・サンローラン』
『グレース・オブ・モナコ』でも服飾が楽しみだったけど、時代の重なるこちらは貴族の服にもなり得る服から、働く女性の服、男性のネクタイも襟も(ポロシャツでさえ!)太い再現具合まで質量ともに充実! 街中のシーンでの車両もよく揃えたなーと、ジャンルは違うけど『アルゴ』の当時のファッションと通信機器の凝り具合を思い出す素晴らしさ。
サンローランの伝記映画としては、作品を作ることの緊張、評価にさらされることへの不安と喜びが、天才じゃない身にも胃が痛くなるほど伝わる。映画の中でサンローラン本人は「自分の作るオートクチュ…[全文を見る]
『THE NEXT GENERATION パトレイバー 第5章』
前回の第4章に続いてのカーシャ祭り、最高!
朝日新聞のアニメオタクコラムを書いてる有名なアニメオタク記者さんの感想は
>>「TNGパトレイバー第5章」鑑賞。つらい。
>>薄い脚本に冴えない演出、悪乗りにまで届かず、滑って失速。
>>次に期待します。お客は十人ほどでした。
とのことですが、そうかなあ? 後半のカーシャ祭りじゃない方は
うる星やつらでのSFドタバタを思い出して面白かったです。
だんだんとみんなが壊れてくると、カーシャがさくらさんに、
大田原さんがチェリーに、佑馬はあたるに見えてきておかしかった!
『まほろ駅前狂想曲』
前売り券買ってたのに今ごろ。冒頭、褌姿の麿赤児の素晴らしい肉体美!そして映りまくる町田駅前! 下の方しか映ってないけどそれはジョルナですよね、とか、その坂道の住宅街は玉川学園前では、と懐かしかった。
しかしやはり行天がらみで被虐待児の問題を考えざるを得ない。ぎりぎりと締め付けられ、殴られて育った子どもは、そこから解放されるとタガが外れるか、自分がやられていた押さえ付けを繰り返すのか、という問題。
あと、当たり前だけど、はるちゃんは春ちゃんを父とは認識はしなかったんだなあ、というのが切ない。
後ろに座ってたカップルの、脚をたびたび組み替えて前の座席にぶつけてくる男が終映後、「いやー、こういうのもいいよね、ユルくて」と連れの女性に言ってたんだけど、これをユルいって断じて終われるって、幸せな生育歴なんでしょうね、と思った。
『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』
邦題が全然合ってない典型例なんじゃ……。そのせいか、途中で席を立つ人が少々。
映画自体は興味深いですが、開幕してすぐ、攻殻機動隊のオープニングのようにアルゲリッチの娘が水に浮かんでいて、そこから上がると表れる原題は、訳しにくいだろうけど、ぴったり。原題は映画に登場するいろんな人に当てはまりそうなのも面白い。
特に面白かったのは、デュトワの娘がデュトワそっくりなことです!
『至高のエトワール 〜パリ・オペラ座に生きて〜』
日本ではやらないオペラ座新作バレエやコンテンポラリー作品の数々に、まずもう猛烈に惹かれる。定番クラシック作品より、こういう作品のライブ・ビューイングが行われるべきだと思うなあ。
ルテステュのオペラ座引退公演に、一足先に引退していた名パートナーの、「自分が引退しても、アニエスがいる間は呼んでもらって踊れた。でも彼女の引退で、もう完全に終わりなんだな、と感じた」という言葉がせつない。気づいたら泣いてたんどけど、悲しいわけじゃない。はっ、これが嘘くさいって思ってた、爽やかな感動の涙、ってやつ?
『THE NEXT GENERATION パトレイバー 第6章』
前回、前々回と打って変わって泉野 明特集。一つ目の軍用レイバーとの対決はそれこそパトレイバーの本懐! と萌えますが、映画『攻殻機動隊』の人間だと思い込んでるロボットの男の逃げるシーンのパラフレーズが実写で見られて感激!
二つ目の同窓会ものは、女の子ならではのハードボイルドもので、せつなさ半端ない……。大人の階段をひとつ、ぐっと踏み締めて登る明を見ました。
『天才スピヴェット』
天才であることと、「自分はいらない子だ」と思い込んでいる10歳であることの
孤独が交じり合って、胸を打ちます。天才じゃない観客が感情移入できるのは、
誰もが持っている10歳のあのころの孤独を描き出しているからかなあ。
タイトルが出る前に「詩人こそが科学の限界を突破していくのだ!」と教授が
高らかに宣言して出てくるタイトルは、それこそ指摘にスピヴェットを紹介して
いるんだけど、それが日本語だとうまく表現できないのでこのタイトルになった
のかなと思うほど、始まりの部分だけで英米文学の古き良き伝統を感じさせ
てくれます。
『アメリカン・スナイパー』
話題の映画で満員だったにしては、音楽なしのエンドロールなのに、
その途中で立って帰る人がとても少なかったのが印象的。こないだの
ドレスの色じゃないけれど、見る人の中身によってそうとう見え方が
違いそうな映画でした。わたし自身は厭戦映画だと思ったのですが、
それは子どもを撃ちたくないという描写、戦争後遺症についての描写
(とくにビデオやTVを見ているシーン)あたりに特に強く現れていると
感じました。
もうひとつ強く意識させられたのは、信仰と国について。なんだかん
だ言ってもアメリカはやっぱりキリスト教の国なの…[全文を見る]
『龍三と七人の子分たち』
いやー、おもしろかった。萬田久子は色っぽくて、さながらリアルなポルコとジーナみたいだいし、
最初に殺られるのは間抜けな××の法則やカンカンノウめいたとこや、いろんなセルフ含むパロ
ディもちらほら。最初から最後まで、ほとんど笑ってました。これから見る人は予告編とかで予習
しないで新鮮な気持ちで見たほうがいいかも。
残念ながら隣に座ってたじじいとばばあ(たぶん他人同士)が、「こっち側のひじかけに寄りかか
るな」「寄っかかってません」「セリフに応答しないでくださいよ」とか上映中に時々小競り合いし
てたんだけど、映画…[全文を見る]
『TNG パトレイバー 首都決戦』
パトレイバー、予想よりよかったな。押井監督、ほんとにヘルシーになったなあと思った。
下敷きになってるあの映画は、世の中に倦んでる倦怠感にまとわりつかれてるのを振り
払う感じがただよってたけど、今回は、同じように見える状況でも印象がぜんぜん違う。
荒川にあたる人物はあんなに不健康ではないし、っていうか健康そのものだし、そのお
かげでラストのさわやかなこと!
ほかのキャラクターも、以前と同じ状況に落とし込まれても、以前と同じ轍は踏まない
覚悟がそれぞれにあふれてる。後藤田さんは「おれも先代と同じか」と自…[全文を見る]
『ダライ・ラマ14世』
自分は忘却の生物だなあとつくづく思う。法王さまのおっしゃる仏典からの言葉を、何度も
目にし、耳にしているのに、日々の生活を過ごすうちに忘れていることの多いこと!
わたしがチベット仏教に惹かれる契機となった言葉、「因果応報でマイナスのカルマを負っ
たとしても、(できることがあるならすればいいし、)できることがないなら、それ以上そのこ
とについて悲しまないように」と再び出会えたのはありがたかった。
もう一つ、「勉強して自分の能力で社会に貢献する」という部分だけは、言葉自体は忘れて
も、自分が自分であるために実践でき…[全文を見る]
『TNG パトレイバー 首都決戦』
映画の日なので『パトレイバー 首都決戦』2回目。やっぱり岡部いさく氏を見つけられな
かった……。10月に上映されるというディレクターズカット版かソフト化されたもので確認
するしかないのか?
そしてやっぱりカーシャかっこいい! イノセンスの少佐っぽくもあるし。でもシリーズが
進むにつれ、どんどんセリフがロシア語だけになっていくのは、なぜなの? 首都決戦
じゃあ、一度も日本語喋ってないような。特車2課で完全に地を出してるっていう演出な
のだろうか。
わかりやすい>マッドマックス 怒
旧作の上映時は原とか2とか砂とか付ければ解決!
『バレエボーイズ』 http://www.uplink.co.jp/balletboys/
変に感傷的だったり甘ったるかったりしないのがいいドキュメンタリー。
いちばん家庭を離れがたい子が海外からの青田買いにあったり、いっ
たんバレエを諦めた子のバス停でのエピソードが泣けたりはするけど、
とにかく中盤までの展開が速い。中盤以降は同じようにはいかなくなっ
ていくバレエボーイズたちの視点の変化がシビア。でもこれこそがアー
ティストに成る人と目指す人の差の現実だろうなと思う。
それにしても、この年代の子どもたちの成長の速さと言ったら! あっ
という間に背が伸びて声変わりして少年から青年の顔になっていく。
「時分の花」を目の当たりにする思い。
『キングスマン』
おっさんのスーツと眼鏡姿でのスパイアクション、エロくて最高! 世界を平和にしたい動機が自分の家族っていう地に足着いたリアルが身に沁みる。音楽の使い方がベタすぎてむしろ何かを超越してたな。
そして予告編で、007を別の例のSF視点から見てしまう自分に気付く。早くワトソンから現代JBまでの屍体スパイものの年代記が書き継がれないかしら。
あと、予告編でみたガイ・リッチーのアメリカとロシアのスパイが冷戦時代にバディ組む映画は絶対見たい。またしてもBLネタに事欠かない雰囲気!
ところで、主人公が「後ろで」にキラーンとなるのはモーリス的なBLへの目配せっていうのは深読みしすぎですかね?
『屍者の帝国』
入場者プレゼントです、ともらったのだが、まさかキャラデザイン表でいちばん違和感のあったこの人をこのイラストレーターが描くとは。違和感は、あの時代に服を着ているにもかかわらずのあのお胸のラインなのですが。
それはともかく、映画版『屍者の帝国』は愉しかったです。大塚明夫さんの声を聞いたせいか、屍者たちが『イノセンス』のタイプハダリたちの起動シーンを思い出させるせいか、たびたびバトーさんの「魂を吹き込まれた人形がどうなるかは考えなかったのか!」を思い出してしまったり。
『ハーモニー』
対話によってではなく、完全な管理でしか平和を保てないなら、万物の霊長などと言う資格はもはやない。これは原作を読んだときにも思ったこと。
そして、humanを人間と訳した明治の人、ありがとう。
そう、人間性はホモサピエンスのヒト単体には発生しにくい。ヒトとヒトが出会ってやっていこうとする、その間に人間性は生じる。
だから、対話、話し合いを放棄するのは人間性の放棄に繋がるんですよ。
そんなことを、パリのテロとフランス空軍の空爆のあとに見た映画で思った。
『エベレスト 3D』
久々に3Dメガネかけての映画鑑賞。登山映画の恐怖は3Dでも角度とかセオリーはあんまり変わりませんね。そして登山のミスは高くても低くても
・時間厳守
・装備はきちんと使う
を怠ることに尽きるなと。わたし自身はいちばん高く登ったのが赤岳の途中までだけど、けっこうあるあるで、そういう意味で恐怖は想定内だったけど、怖かったのはヘリの離発着シーン! あれは怖いなー!
そして何も調べずに行ったので、難波康子さんが亡くなった隊の話でハッとした。映画だとわかりにくいけど、キャンプから当時、300メートルしか離れてないところで遺体が見つかったんですよね。無念だったろうなあ。
『ボクは坊さん。』
軽いタッチの映画かと思ったら、けっこう深く切り込んでくる映画で、ぐすぐす泣いてました。
最初の方では、「なんでこんなふつうのことを凡庸に見せるんだ」と、各エピソードについて思っていたんですが、その凡庸さと当たり前に起こる生老病死・愛別離苦に寄り添うのがお坊さんの役目、というところに落とし込むための演出だったのかも?
言うなれば、泥の付いた蓮根を「産直ですよ〜」と並べていて、泥の付け方がちょっとあざといなあ、と思っていると、その蓮根の先に蓮の花の蕾がつながっていることを知らされる、そんな感じ。
ラストシーンは宗教の垣根を越えて、祈りの力を信じたくなる描写でした。