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「主流っていうのは、(中略)最大公約数的に大勢の人を納得させるものがなくちゃいけないから、強烈な個性っていうのがどうしても希薄になるでしょ」。
 
(長 新太「絵本作家のアトリエ2」)

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 動物園に行ったら、1種類の動物をたっぷりと時間をかけて見ることです。ひとつ決めたら、最低30分はその場を離れない。動物園に全部で3時間滞在するとしたら6種類、もしくは4~5種類だけを見るようにしてください。そうすればきっと、おもしろい発見があるはずです。
 多くの人は動物園に来ると、たくさんの種類の動物を見ようとします。次から次へと、全種類見ようとしたりします。でもそれでは何も見ていないのと同じです。動物と会話をしていないので、なんの発見もありません。
 そういう見方は、せっかく野生からやってきた動物に失礼です。すべての動物には、それぞれの味があり、美しさがあります。動物が発信しているもの、色とか形とか匂いとか動きとか声とかを見つけながら、自分がヒトという種類の動物であることを認識する場所。それが動物園です。
 
(あべ弘士「この本読んで!2018秋号」特集“絵本どうぶつえん”)

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ヨシタケ  (略)「ハッピーです」をイラストに描いたら、ハッピーな人しか楽しめないんですよね。僕の絵本でも、「不必要な笑顔を描かない」というのは、ひとつのポリシーになっています。
 

  • --たしかに、「満面の笑み」の人物は、大人も子どももあまり出てこないですね。
  •  
    ヨシタケ  笑顔が極端に少ないんですよ。笑顔の安売りをすると、笑顔のインフレが起きるし、笑顔に傷つく人もいる。笑顔を使わなくても、幸せって表現できるはずで。
     
    (文春オンライン 絵本作家・ヨシタケシンスケインタビュー#2より)

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あだち  『きんぎょが にげた』、持ってきちゃいました。この見返しの色とかすごく好きで。見返しって、なんか好きなんです。
五味  うん、それ勝負どころだよね。
あだち  でも、「子どもの本だからこういう渋い色は……」って、あんまり使わせてもらえないんです。
五味  ほんとかよ。だって客観ってないんだからさ、「私が決めたんだから」と言わなきゃ。子どもと渋さって関係ないし、それ渋い色じゃないもん。
 
(MOE・2017年5月号 五味太郎×あだちなみ 絵本対談~絵本をつくる面白さって何だろう?~より)

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私は家族から一切の期待をかけられなかった。勉強をしろとは言われず、炎天下の庭で虫を見続けようが、雨水のたまった泥を掘り続けようが、ほうっておいてくれた。6歳の私が、大人のげたをはいて踊っていたのはフレッド・アステアのまねだとは、誰も知らなかったが、私は満足だった。世界をどんなふうに感じるかは全て私の自由だった。そのことが、今の私の人生をとても豊かにしてくれていると思っている。
(木皿泉・7月2日神戸新聞「木皿食堂」より)

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ちなみに私が好きなのはダンナである。ひっくり返るのを恐れて、亀のように首を前に伸ばしながら、そろそろ車いすを自走させている姿を見るのが大好きである。65歳のオッサンのくせに、赤ちゃんのようなつやつやした顔で無防備に眠っているのを見るのも好きである。私の生活は、このダンナの介護を中心にまわっている。人から見れば私はいつも鎖に縛られていて、その先にこの車いすのダンナがぶら下がっているように見えるだろう。さぞかし重いでしょうと同情されているかもしれないが、そうではないのだ。いつも、好きという重しをぶら下げているおかげで、私は途方もない場所へ流されてしまうことはない。私が、どこにいても私らしくいられるのは、私の好きな彼のおかげである。
(木皿泉・6月4日神戸新聞「木皿食堂」より)

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 私のダンナは介護が必要で、それは悪くなることはあっても、良くなることはない。ふだんは忘れているが、そんなことをときどき思い出し不安になる。ケアマネージャーに、私たちどうなるんでしょうね、と相談すると、彼女は「それなりになんとかなるもんです」ときっぱりと断言する。それを聞くと、別に何かが変わったわけではないのに、私たちはほっとするから不思議だ。気休めだけで生きて行けるほど、人生は甘くないのは知っている。でも、自己責任ばかり言われ続けている私たちは、ときどき自分より大きなものに大丈夫と言ってもらいたくなる。
(木皿泉 2016年11月6日神戸新聞「木皿食堂」より)

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 長寿番組の「笑っていいとも!」が終わってしまった。出演者は、いつも楽しげで、どこまでも明るい気楽な番組だった。そう思っていたのに、最終回やグランドフィナーレを見て驚いた。そこに出ている人たちが、日々不安を抱え、つらいときも笑わねばならなかったことを告白したからだ。
 私たちは脚本家というテレビの裏方の仕事をしているので、この感じはリアルにわかる。テレビの中の人は、のんきそうに見えるかもしれないが、けっこう過酷な日常を生きているのだ。生身の人間でありながら、常に明るく美しく見られなければいけないというカセは、人をおかしくする。そ…[全文を見る]

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藤城さんのもうひとつ素晴らしいところは長い年月、苦心して試行錯誤しながら独力で開発してきた影絵芸術のノウハウを気軽に、しかも積極的に公開していることだ。
誰でも藤城魔術を使うことができる。これは大変な自信だと思う。
技術と手法は学ぶことができるが、詩人の魂は学ぶことはできない。藤城清治を超えるためには全く別種のものを創作しなければならないからだ。コピーはあくまでもコピーでしかない。

(別冊太陽「光と影の詩人~藤城清治の世界」----「心は青春」やなせたかし---)

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私は素晴らしい画家になることより、花や虫の言葉がわかる画家になりたかったのです。
 
熊田千佳慕「みつばちマーヤの冒険」あとがき“いとしきマーヤとともに”より

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文学性とは、本当のこと、つまり、自己の存在に深く重たく関わってくるハナシを書くこと。エンタメは、一見真実を描いているように見えても、そういうウソであって、本当のところはうまくかわす、所詮他人事で済まされるハナシ。と、乱暴な論だが、僕はそういうふうに思っている。

要するに、エンタメは本当のことを言っちゃダメなのよ、なのである。ストライクを投げたらアウト。ギリギリかするけど、決して当たってはいけない。つまり、ボール球。だって、読者が楽しむどころか、キズついてしまうでしょ?
 
 
福山庸治のブログより

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酒もたばこも飲みません。十七、八の時に、将来小さい人たちのために仕事をするには体だけでもピュアにしておこうと思って、それでお酒とたばこは飲むまいと決めたんです。

「熊田千佳慕の言葉」より

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今の時代は道具があり過ぎて、かえって不幸だと思います。
その色が何色と何色を混ぜたらできるのか知らなくて描いてる。

「熊田千佳慕の言葉」より

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私たちはふだん、小さな小さな世界で生きている。
小さな小さな世界で働き、眠り、泣いたり笑ったりしながら暮らしている。
そして深呼吸したくなると旅にでる。
大きな空を見るために。
地球の丸さ見るために。
私の部屋は小さいけれど
ほんとうは
大空こそが屋根であり
大地の上で眠っているのだと感じるために。
・・・そしてまた、もとの小さな世界へ帰っていく。
泣いたり笑ったりしながら暮らすために。
 
 
 (旅をされているある人の文章がきれいだったので…)

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「フク、サチ、お祝いよ!」
 エミコがそんな風に言いますが、二匹は「お祝い」というものが何なのか、分かりません。
「フク、オイワイって何か、知ってる?」
「やあだサチ、そんなものも、知らないっていうの?」
「何よ、あんたは、知ってるっていうの?」
 もちろん、フクさんも知りません。でもほら、彼女は大変、気位が高い猫なのです。
「あー、あれよ、あれ、すごく、すごーく、裏のやつ。」
 そう言うと、おでこのぶちをかりかりと掻きました。こうなるとサチさんも負けていられません。ほら彼女だって、大変、気位が高いのです。
「あー、あー、あれね。はっきり言って、早いやつ。」
「うしろから、長いやつ。」
「まんなかに、匂うやつ。」
 
  西 加奈子「しずく」より

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 時には万物の季語を決定したり、ひどい時には全てのものをSとMに分ける作業に没頭し「春は出会いと別れを強制するからSだ」「秋は読書だのスポーツだの好き放題使われてるからMだ」などとエイヒレにマヨネーズを付けながら好き放題言い合う。自分が発明家か革命家にでもなったつもりで世界にとって重要な核心部分に今自分が足を踏み込んでいるのだと妄信して。
 ~中略~
 あっ、便所で「ゴキブリはMだ」と思ったのだけどテーブルに戻って皆に発表するのを忘れていた。今度会った時に言おう。皆驚いて、「やはりこの分野の権威は君だ」と言うだろう。
 
  せきしろ×又吉直樹「カキフライがないなら来なかった」より

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 「誰でもよかった」と無差別殺人者は言う。自分の人生も、他人の人生も、どうなってもいいんだという、投げやりで不貞腐れた犯人像が浮かんでくる。
 でも「誰でもよかった」というのは切羽詰まった言葉にもとれる。「誰でもいいから助けてください」と見ず知らずの人に言うのは、よほど困ってのことだろう。
 昔は、親や兄弟に、小言を言われながらも頭を下げてお金を借りに行ったりしていたが、今は無人のATMにカードをつっこめば誰にでも貸してくれる。「誰にでも」という部分は、便利だが、少し寂しい気がする。
 潤沢にある食べ物にも、同じような寂しさを感じる。山と盛られたバイキングの料理やスーパーに置いてある食品見ていると、なぜかうら悲しい気持ちになる。誰が食べてもいいというのは、つまり、誰のものでもない、ということだ。そのことが、私を寂しくさせる。
 
木皿泉「二度寝で番茶」より

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 私の見る限りでは、残念ながらただ放送時間をつぶすだけのために制作しているとしか思えない番組が三分の一ぐらいはあるようだ。品のないタレントが、下品な仕ぐさで品のない無意味なおしゃべりをするだけの番組も多い。私ほどの年齢になれば、今さら大抵のことに驚きもしないし、下らないと思えばすぐにスイッチを切る程度の判断力はあるから、テレビが何を放送しようがほとんど影響を受けることはない。
 しかし、判断力の乏しい幼い子供なら、汚い言葉やわざとらしい下品な仕ぐさを見続けるだろうし、これが人間の普通の姿だと思い込むかもしれない。テレビのおかげで人間がますます下品になっている面も多そうだ。
 
(石川英輔 著「大江戸省エネ事情」より)

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「アンパンマンのマーチ」の中に、
 
愛と勇気だけが友達さ
 
という歌詞があります。それで抗議がきたことがあるんだけど。これは、戦う時は友達をまきこんじゃいけない、戦う時は自分一人だと思わなくちゃいけないんだということなんです。
(やなせたかし「わたしが正義について語るなら」)

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積み木で作る建物は永遠ではない。ぼくらが積み木遊びする時は、接着剤で絶対につぶれないように遊ぶのではない。積み木は積んだら壊して、壊したらまた積む。積み木の城は、そういう永遠ではないという宿命を持っているんですね。永遠のものだったら接着剤でくっつけてキッチリしなくちゃいけないんだけど、そうすると積み木の面白さは何もなくなっちゃう。
(やなせたかし「わたしが正義について語るなら」)