温泉津の温泉街周辺の寺社をいくつか回った後、元湯の日帰り入浴(300円)で元気回復したところで、3日目の史跡巡りは終了。
元湯で知り合った地元のおじさんに誘われて、石見神楽のイベント「海神楽」に連れて行ってもらったり、温泉街にある古民家カフェ「路庵」で夕食を奢ってもらったりと、思いがけない展開もありつつ、温泉津駅舎で一夜を過ごしました。
最終日となる4日目は、大森銀山周辺の史跡巡りです。世界遺産ということで、バスの時刻以外はあまり下調べもせずに行きました。
着いたのが8時前でレンタサイクルの営業が9時からだったので、それまでの約1時間は、町…[全文を見る]
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史跡巡り同好会のことを語る
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吉舎の次は再度三次へ戻って三江線に乗り換え、石見方面へ向かいました。
三江線は別名「中国太郎」とも呼ばれる江の川(ごうのかわ)に沿って、日本海まで続く路線です。
江の川といえば尼子ファン的には1540年、尼子国久率いる新宮党の精鋭が吉田郡山城攻めの尖兵として侵攻した際、五龍城主・宍戸隆家と大叔父の祝屋城主・深瀬隆兼によって阻まれ、渡河を果たせなかったことなどに思いを馳せつつ…。
石見川本では乗り継ぎ1時間待ちの間に昼食を取り、次の目的地・温泉津まで5時間半の行程でした。
(三江線の旅については青春18きっぷに記事を投稿しています。その1 その2 その3)
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五龍城址に登った後は甲立から三次行の始発に乗り、三次で福塩線に乗り換えて吉舎で下車しました。
吉舎での主目的地は、戦国時代に三次盆地東南一帯を支配した和智氏の居城、南天山城です。
和智氏は他の備後国衆の例に漏れず、大永年間の尼子氏最盛期、八代・豊郷の時に尼子方に降ったものの、毛利氏が元就の代に尼子方から大内方へと転じた後、元就と甲山城主・山内直通の仲介によって大内方に転じ、その後毛利氏に従って転戦しました。
九代・誠春の時には厳島合戦にも参加したものの、1563年に毛利隆元が和智氏居館で饗応を受けた後に急死するという事件があり、1569年…[全文を見る]
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3日目は18きっぷを使って三江線で石見方面まで出る予定ですが、芸備線の三次行きの始発が7時過ぎと遅く後の本数も少ないため、吉田からだと途中の史跡に寄る余裕がありません。
そんなわけで、2日目は日没後も芸備線の次の駅、甲立まで5,6km程歩いたんですが、国道(出雲往来)と芸備線が予想以上に離れていたのと、疲労がピークに達していたため、思いのほか苦労しました。
ようやく駅に着いてみれば駅舎は閉められていたので、結局駅前の階段で膝を抱えて座りながら眠りました。
朝靄の中、夜明けとともに行動開始です。甲立での目当ては宍戸氏の居城、五龍城跡。
宍戸氏…[全文を見る]
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郡山城周辺の史跡を一通り回った頃には、すでに17時を過ぎ資料館も閉館していました。
元就が青年期までを過ごした多治比猿掛城跡も見ておきたかったのですが、3,4kmくらい離れた場所にあるので断念…。
郡山城の麓にある清神社。
京都祇園社の荘園吉田荘の鎮守として毛利氏代々の崇敬を受けたことで知られ、元就、隆元、輝元の棟札も残っています。(吉田歴史民俗資料館に展示)
清神社境内には、石見の有力国人・高橋氏の出身で、元就の父・毛利弘元の継室であった「杉大方」を祀る「椙若社」があります。
元就は後に子息に宛てた書状の中で、幼くして両親を失い、兄・興…[全文を見る]
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引き続き吉田郡山城跡です。
資料館にはそれなりの観光客が来ていたものの、城山に登っている人はほとんど見ませんでした。
唯一、元就墓所でそれぞれカメラを抱えたカップル(夫婦?)が先行しているのに出会いましたが、私が三の丸跡に登った辺りでそそくさと下りて行きました。
実際、全面を木に囲まれ見晴らしの良い場所もなく、石垣もほとんどが崩落するか石材として運び出されているため、特に思い入れがない限り、あまりお奨めできる場所ではありません。
毛利元就墓所。一帯は、1573年元就三回忌に嫡孫・輝元が建立した菩提寺「洞春寺」の跡でもあります。
洞春寺…[全文を見る]
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8/15早朝から宮島の弥山に登った後、午後からは、元就の時代まで毛利氏の本拠地であった吉田(安芸高田市)へ向かいました。
この日は登山のため移動に時間を取れないので、18きっぷは使わず広島市内から1時間かけてバスでの移動です。
城攻めに行きたい気持ちを抑えて、まずは郡山城の麓にある吉田歴史民俗資料館へ。(先に登ってしまうと下りる頃には閉館してそうなので…)
やはり中世の毛利氏関連の展示が多く、郡山城や多治比猿掛城をはじめ周辺の毛利重臣達の城(桂氏の桂城、福原氏の鈴尾城、渡邊氏の長見山城など)まで紹介ビデオがあったりして、史跡巡りには大いに…[全文を見る]
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8/14~17にかけて、青春18きっぷで毛利氏の史跡巡り旅行をしてきたんですが、投稿するのに適当なキーワードがなかったので立ててみました。
(「城」「歴史」が付くのはあるんですが、墓とか古戦場も含めて書けるキーワードがなかったので)
初日は宮島で花火大会と夜の厳島神社を観覧、そのまま島内の包ケ浦で一泊しました。
包ケ浦というのは厳島合戦で、嵐の夜に毛利軍の本隊(元就、隆元、元春)が上陸したところです。
陶晴賢の軍勢が宮尾城を攻めあぐねている間、ここから陶軍背後の博打尾まで登り、翌早朝の奇襲に至ったのですが、弥山登山のついでにそのルートを辿…[全文を見る]